祠へ向かう理由 2
昼前、サリアの小さな広場に村人が集まり始めた。
もちろん、役人も来た。
昨日より衛兵の数が増えている。男爵から監視強化の命が来たのだろう。役人の顔は硬く、苛立ちと焦りが混じっていた。
「祠へ行くことは認めないと言ったはずだ」
役人が言う。
村長マルコは静かに答えた。
「治療師殿が祠へ行くとは言っていない。水車番ネリアが、村の習わしとして水を汲むだけだ」
「外部者が同行する必要はない」
「薬草師リーナが水を確認する。治療師殿は薬に使う水の反応を記録する。魔道具職人殿は容器の安全確認をする。すべて患者治療のためです」
役人の顔が歪む。
「詭弁だ」
そこでネリアが前へ出た。
小柄な老婆だが、その背筋はまっすぐだった。手には木椀と古い水汲みの柄杓を持っている。
「詭弁かどうかは、水を見てから言いなされ」
「村の迷信を盾にするな」
「迷信で子どもの熱が下がるなら、あんたらの監察より役に立つね」
村人の間に、小さなどよめきが走った。
役人は顔を赤くした。
「無礼な!」
だが、その場でネリアを押さえつけることはできなかった。
村人たちが見ている。
患者の母親もいる。
薬草師も村長もいる。
そしてエリオットが、すでに発言を記録している。
役人は歯ぎしりするように言った。
「……水を汲むだけだ。祠に触れるな。外部者は祠へ手を伸ばすな。水車小屋裏にも入るな。監視付きだ」
マルコが頭を下げる。
「承知した」
その声には、わずかな勝利が混じっていた。
祠へ向かう道は、水車小屋の裏手へ続いていた。
石畳は古く、ところどころ苔むしている。小さな水路が足元を走り、その水音が水車の音と重なっている。
ミラは歩きながら、胸元の白花が温かくなるのを感じていた。
強い。
昨日よりずっと強い。
けれど、怖さだけではない。
夢の中で聞いた声が、また遠くから届くような気がする。
――水が、道を忘れています。
「ミラ」
エリオットが低く声をかけた。
「記録できます」
ミラは答えた。
「でも、近いです。すごく」
「無理なら止める」
「はい」
オリヴァーは祠へ続く石組みを見ていた。
「古い刻線がある」
「封印具ですか?」
ロアンが尋ねる。
「今の魔道具の刻線ではない。もっと古い。水の流れを整えるための祈りに近い刻みだと思う」
監視役が苛立ったように言う。
「余計な観察はするな」
「祠に触れていません。石畳を見ているだけです」
オリヴァーは平然と答えた。
言葉を選ぶ。
それだけで、進める距離が少しずつ増えていく。
祠は、水車小屋の裏手にひっそりと建っていた。
苔むした石造りの小さな祠。
その下から、細い清水が湧き、水路へ落ちている。
祠のそばには、白い花が群れて咲いていた。
風はない。
それなのに、ミラが近づくと、白い花が一斉に揺れた。
村人たちが息を呑む。
役人の顔が強張る。
ミラは立ち止まった。
手を伸ばさない。
触れない。
ただ見る。
祠の下を流れる水は、表面だけを見れば澄んでいた。だがミラの目には、その奥で白い流れが絡まっているのが見えた。
水源から出た清い流れが、水車小屋の方へ向かう途中で、黒い細糸に引かれている。
黒い糸。
レーンで見た命令痕の黒糸とは少し違う。
けれど、考え方は似ている。
流れを結び、曲げるもの。
「……ここにあります」
ミラは小さく言った。
オリヴァーがすぐに反応する。
「媒介か」
「祠の下ではありません。水車小屋の方へ、引かれています。でも、祠の水がここで曲げられている」
ネリアが水を汲もうと柄杓を差し出した瞬間、水面に浮かべた白い花が淡く光った。
ミラの白花も、同じ光を返す。
その光は派手ではなかった。
ただ、水面に白い筋を一本引いた。
曲げられていた流れの上に、まっすぐな道を示すように。
ミラは夢の言葉を思い出す。
黒を掬い上げてはいけません。
水は、流れを思い出せば自ら澄みます。
水が、ほんのわずかに澄んだ。
村人たちがざわめく。
「今、見たか」
「水が光った」
「白花が……」
役人が慌てて叫んだ。
「不審な術式だ! 離れろ!」
エリオットの声がすぐに飛ぶ。
「彼女は水に触れていない。祠にも触れていない。水を汲んだのは水車番ネリア殿だ」
オリヴァーも続けた。
「村の習わしとして汲まれた水に、白花が反応しただけです。監視役も見ていましたね」
監視役たちは互いに顔を見合わせた。
見ていた。
確かに、全員が見ていた。
ミラは何も掬わなかった。
何も壊さなかった。
ただ、水が戻ろうとする道を照らしただけだった。




