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219/228

見られている右手 2

 ミラが起きてきたのは、それから少し後だった。

 顔色がいつもより白い。

 しかし、目は妙に冴えている。

「ミラ」

 オリヴァーがすぐに気づいた。

「眠れなかった?」

「夢を見ました」

 その一言で、室内の空気が変わった。

 ミラは胸元の白花に触れながら、ゆっくり話し始めた。

「水辺にいました。水車があって、祠があって、白い花が流れてきて……顔の見えない女の人の声がしました」

 オリヴァーは記録紙を引き寄せる。

 エリオットは黙って聞いている。

「黒を掬い上げてはいけません。水は、流れを思い出せば自ら澄みます。あなたの手は、戻る道を照らす手……そう言われました」

 ミラの声は震えてはいなかった。

 けれど、戸惑いはある。

「兄さんの手紙に、夢も記録するようにと書いてありました。だから、ちゃんと書きます。でも……あれはただの夢なんでしょうか」

 オリヴァーはすぐに答えなかった。

 今、全てを話すべきではない。

 だが、何も言わないのも違う。

「ただの夢とは、言い切れない」

 彼は慎重に言った。

「サリアの伝承、水車の音、昨日見た白花。君の力がそれらに反応して、夢という形で整理された可能性がある」

「私の力が……」

「だからこそ、焦ってはいけない。夢で見た通りだ。黒を掬い上げようとしない。戻る流れを見る」

 ミラは少しだけ頷いた。

 そこへエリオットが静かに言った。

「俺からも報告がある」

 ミラはすぐに顔を上げた。

「右手ですか?」

「ああ」

「痛みますか?」

「痛みは三。熱は手首から肘。肩まではない。薬指の位置感覚が昨日よりはっきりしている。小指の奥に圧のようなものがある」

 ミラは一瞬、息を止めた。

 夢の話で揺れていた表情が、治療師のものへ変わる。

「動かしましたか」

「動かしていない」

「本当に?」

「本当に」

「……よかった」

 ミラは深く息を吐いた。

 それから、オリヴァーを見た。

「今、診てもいいですか?」

「いい。ただし、ここで。外から見えないようにする」

 オリヴァーが窓の布を下ろす。

 ダリオは外へ出た。

 監視役が不審に思わないよう、入口のそばに立つためだ。

「治療経過の確認だ。余計な奴は入れるな」

 そう言って出ていく背中は、ひどく頼もしかった。

     

 診察は短く行われた。

 ミラはエリオットの右手に直接触れず、補助具の隙間から白い流れを見る。

 昨日まで、薬指の根元へ細く伸びていた白い流れが、少しだけ濃くなっている。

 そして小指の奥。

 まだ触覚には程遠い。だが、黒い封じの奥に白い点のようなものが灯っていた。

「……あります」

 ミラは囁いた。

「小指側にも、白い流れの端が見えます。すごく細いです。でも、消えていません」

 エリオットは右手を見下ろした。

 動かない手。

 だが、死んだ手ではない。

 ミラはすぐに記録した。

 ――第四流、位置感覚明瞭化。

 ――第五流、圧覚の兆候。白点確認。

 ――黒い封じは残存。追加確認禁止。

 ――外部視線あり。確認は室内のみ。

 最後の一文を書いたのはオリヴァーだった。

 ミラはそれを見て、眉を寄せる。

「外部視線?」

 エリオットとオリヴァーが視線を交わす。

 隠しきるべきではない。

 ただし、必要な範囲だけ。

 エリオットが言った。

「役人の監視とは別に、俺を見ている者がいる。右手の回復具合を探っている可能性がある」

 ミラの顔が強張った。

「騎士団の?」

「断定はできない。だが、剣を知る者の目だ」

「……だから、窓を閉めたんですね」

「ああ」

 オリヴァーが穏やかに補足する。

「右手の回復は希望だけれど、今はまだ切り札でもある。必要な相手には共有する。見せる必要のない相手には見せない。それだけだよ」

 ミラはこくりと頷いた。

「分かりました」

 その表情には不安があった。

 けれど、彼女は取り乱さなかった。

「じゃあ、今日の診療中は、右手を使わないでください」

「使わない」

「荷物も持たないでください」

「分かった」

「ミラを庇う時も、右を出すなって俺が言った」

 外から戻ってきたダリオが、扉越しに言った。

 ミラは少し驚いて振り返る。

「ダリオさんも?」

「俺は外を見る役だ。右手を見せるな。治っていないと思わせておけ」

 エリオットは静かに頷いた。

「そうします」

 ミラは、その短いやり取りに何かを感じた。

 エリオットが誰かに守られることを、受け入れている。

 以前なら、きっともっと苦しそうな顔をしただろう。

 けれど今は、必要な役割として受け取っている。

 それもまた、戻り始めたものの一つなのかもしれなかった。


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