白花を運ぶ文 2
翌朝、ミラたちは再びサリア水車村へ向かった。
今度は準備が違う。
ミラの旅治療師登録証。
オリヴァーの魔道具職人証。
レーンの村長ハンスによる証言状。
サリアの薬草師リーナ、水車番ネリア、村長マルコ・フェルドからの正式依頼書。
マルタの紹介状。
エリオットがまとめた手順書。
すべてを分けて持つ。
エリオットは左手で書類の束を確認し、右手を補助具の中に収めたまま歩いていた。薬指の位置感覚は、まだ弱く残っている。だが、今日は右手のことを試す日ではない。
サリアの橋が見える。
水車の音が近づく。
ごとり、ごとり。
ミラの白花が、また温かくなった。
「反応は?」
エリオットが小声で尋ねる。
「昨日より、少し強いです。でも、まだ大丈夫」
「大丈夫ではなく、記録できるかどうかで言え」
ミラは一瞬目を瞬き、それから頷いた。
「記録できます」
「なら良い」
オリヴァーが横で小さく頷いた。
「その言い方はいいね」
「父さんまで感心しないでください」
ミラは少しだけ頬を膨らませた。
橋の前には、先日と同じ役人がいた。
ただし今日は、衛兵が一人増えている。
役人はミラたちを見るなり、眉を寄せた。
「また来たのか」
オリヴァーが一歩前に出る。
「サリア水車村薬草師リーナ殿、水車番ネリア殿、ならびに村長マルコ・フェルド殿より依頼を受けました。書類はこちらです」
役人は差し出された文を受け取り、目を通す。
表情が硬くなった。
「村人による独自依頼は、現在無効だ」
ミラは息を呑んだ。
だが、エリオットが視線だけで制する。
オリヴァーは穏やかに尋ねた。
「無効とする根拠は?」
「水利監察中であり、外部者との接触は混乱を招く恐れがある。男爵閣下への確認が取れるまで、立ち入りは認められない」
「では、確認が取れるまで、どれほどかかりますか」
「分からない」
「その間に患者が悪化した場合、外部治療師の診療を拒否した責任者名と理由を、文書にしていただけますか」
役人の顔色が変わった。
「何?」
オリヴァーは声を荒げない。
「こちらは正式な依頼を受けています。治療師登録証も、職人証も、レーン集落での証言状もあります。それでも診療を拒否するなら、拒否理由を記録する必要があります。患者の容態が悪化した場合、リンドルと王都へ経過報告を送ります」
エリオットはすでに記録帳を開いていた。
左手で、時刻、場所、役人の発言を書き留めている。
役人の視線がそこへ向いた。
「何を書いている」
「記録です」
エリオットは淡々と答えた。
「今後、確認が必要になる可能性があります」
「貴様、退役騎士だな」
「はい」
「身分照会を受ける立場で、役人を脅すのか」
「脅していません。発言を記録しているだけです」
その言い方があまりに冷静で、役人は言葉に詰まった。
橋の向こうでは、サリアの村人たちが集まり始めていた。
リーナがいる。
ネリアがいる。
村長マルコも、少し離れたところで険しい顔をしている。
患者の家族だろうか、幼い子を抱いた母親が不安そうにこちらを見ている。
「こちらが頼んだんです!」
リーナが橋の向こうから声を上げた。
「水が濁ってるんですよ! 子どもの熱が下がらない!」
母親も叫んだ。
「診せてください! 薬を変えても熱が戻るんです!」
役人は振り返り、怒鳴った。
「静まれ! 男爵様の監察に逆らうつもりか!」
村人たちがひるむ。
その時、村長マルコが一歩前に出た。
「監察に逆らうつもりはない」
落ち着いた声だった。
けれど、そこには村を預かる者としての重みがあった。
「だが、村人の命に関わる。水利監察が村を守るためのものなら、患者の診察を拒む理由はないはずだ」
役人の顔がさらに歪む。
「村長、立場をわきまえろ」
「わきまえている。だからこそ、依頼書に署名した」
橋の向こうがざわめいた。
ネリアが、ゆっくりと前へ進む。
「男爵様が水を守ると言うなら、まず水を見なされ」
しわがれた声だった。
「祠の下の水が濁っている。昔からあの水で煎じる薬を、今は使えない。監察だと言って、あんたたちは何をした」
役人の顔が赤くなる。
「村の迷信を持ち出すな!」
「迷信かどうか、見れば分かる」
ネリアはそう言うと、小さな木椀を取り出した。
中には、水が入っている。
そして、白い花が一輪浮かんでいた。
ミラの白花が、強く温かくなる。
「ミラ」
エリオットの声が低くなる。
「大丈夫です。記録できます」
ミラはそう答えた。
ネリアは橋の手前に近づき、木椀の水を地面へ流した。
村の中から流れてきた水は、橋の下の細い水路へ落ちる。
水はわずかに濁っていた。
その流れに浮いた白い花が、ゆっくりとミラの前まで流れてくる。
ミラは手を伸ばさなかった。
ライヘルの手紙を思い出す。
力を引き出そうとしないこと。
見えたものだけを書いてください。
「水に触れません」
ミラは小さく言った。
「見ます」
白花のペンダントが淡く光る。
水路を流れる白い花が、ほんの一瞬、同じ光を返した。
ミラには見えた。
水そのものが黒いのではない。
祠の下から村の水路へ向かう流れの途中で、清い流れがどこかへ曲げられている。水は濁されているというより、本来の道を思い出せずにいる。
その曲がり目に、細い黒い筋が絡んでいた。




