白花を運ぶ文 1
マルタは、薬草小屋の奥から古びた木箱を引っ張り出した。
箱の中には、乾燥薬草の束、蝋引きの紙、古い紐、そして使い込まれた小さな筆が収められている。
「サリアへ文を出すなら、普通の便じゃ駄目だよ」
そう言って、彼女は細い薬草紙を一枚取り出した。
ミラは、薬草小屋の入口で少し背筋を伸ばす。
「普通の便だと、止められますか?」
「止められるね。今のサリアは役人が橋を押さえてる。正面から出した文は読まれるか、届く前に握りつぶされる」
マルタは当然のように言った。
その横で、エリオットが腕を組む。
「なら、どう届けるんです」
「薬草の注文に紛れ込ませる」
マルタはにやりと笑った。
「サリアの薬草師とは、昔から薬草の交換をしてる。向こうは水辺の薬草に強い。こっちは森の薬草に強い。こういう時、年寄りのつながりは役に立つんだよ」
ロアンがぽつりと言った。
「年寄りの小箱に続いて、年寄りのつながり……」
「何か言ったかい」
「何も」
ロアンは即座に首を振った。
ミラは少しだけ笑い、それから表情を引き締める。
「でも、サリアの方に迷惑がかかりませんか? 役人さんたちに知られたら」
「だから、迷惑がかからないように書くんだよ」
マルタは筆を取った。
「表向きは薬草の確認。だが、分かる者には分かる」
彼女は薬草紙へ、ゆっくり文字を書き始めた。
――白い花の水辺に、熱を持つ草あり。
――根の色、葉の萎れ、煎じ水の濁りを確認したい。
――森側の治療師と職人、必要なら橋向こうに待機。
――村の薬草師、または水車番より正式依頼あれば動ける。
ミラは文面を見つめた。
「これで伝わりますか?」
「伝わる相手にはね」
「伝わらない相手には?」
「ただの薬草の相談だよ」
マルタはそう言って、最後に小さな白い乾燥花を一枚、紙の間に挟んだ。
「これは?」
「サリアの水車番のネリア婆さんが昔くれた花だよ。『困った時は白花を戻せ』なんて言ってね。変な言い回しだと思ったけど、今なら少し分かる気がする」
ミラの胸元で、白花のペンダントがほんのり温かくなった。
エリオットがすぐに気づく。
「反応したか」
「少しだけです。強くはありません」
「記録しておこう」
「はい」
ミラは素直に頷いた。
もう、些細な変化を見過ごしていい段階ではなかった。
文は、薬草籠の底に仕込まれた。
届けるのは、マルタの甥ではなく、サリアとの薬草交換に慣れた中年の女だった。表向きは乾燥薬草の納品。橋の役人に見られても、不自然ではない。
「薬草小屋へ渡すだけだよ」
マルタが念を押す。
「役人に何か聞かれたら?」
「いつもの薬草交換だって言えばいいんだろ」
「そう。余計なことは言わない。治療師の名も出さない」
「分かってるよ」
女は籠を背負い、森とは反対側の道へ歩き出した。
ミラはその背を見送りながら、手をぎゅっと握った。
「届くでしょうか」
「届く」
エリオットが言った。
断言に近い声だった。
「ただし、返事が戻るまでこちらは動かない」
「はい」
「焦って正面へ行けば、相手の思う壺だ」
「分かっています」
ミラは頷いた。
サリアの水車の音を、まだ耳が覚えている。
あの白い花も。
けれど今は、待つ時だった。
返事が来たのは、翌日の午後だった。
レーンの集落に、小さな荷車が入ってきた。積まれているのは水辺の薬草と、サリア産の粉袋。役人の目を避けるため、表向きはレーンへの薬草納品という形を取っていた。
荷車を引いていたのは、白髪交じりの女だった。
マルタが彼女を見るなり、目を細める。
「サリアの薬草師、リーナじゃないか」
「久しぶりだね、マルタ」
リーナと呼ばれた女は、疲れた顔で笑った。
「本当は来るつもりじゃなかったんだけどね。橋の役人がうるさくて、文だけじゃ危ないと思って」
マルタの顔が険しくなる。
「そんなに悪いのかい」
「水が少し濁ってる。全部じゃない。祠の下から流れる古い水路のあたりだけだよ。だけど、その水を使う家で微熱が続いてる」
ミラは思わず一歩前へ出た。
「患者さんは?」
「三人。子どもが一人、老人が二人。重くはないけど、熱が引かない。薬も効きが悪い」
リーナはミラを見た。
「あんたが、橋の向こうまで来た治療師さんだね」
「ミラ・コックスです。旅治療師です」
「サリアの薬草師リーナだ。水車番のネリア婆様からも伝言を預かってる」
「水車番の方から?」
リーナは懐から、蝋引きの紙を取り出した。
そこには、簡潔な依頼文が書かれていた。
――サリア水車村薬草師リーナ、および水車番ネリアの名において、旅治療師ミラ・コックスと魔道具職人オリヴァー・コックスへ依頼する。
――微熱患者の診察、薬草の確認、村外へ流れ出る水の異常確認を求む。
――水車村の水と薬草に関わる事案につき、早急な来訪を願う。
署名は二つ。
薬草師リーナ。
水車番ネリア。
そして、その下にもう一つ、小さく村長の名が添えられていた。
――サリア水車村村長、マルコ・フェルド。上記依頼を承認する。
「村長さんの署名もあります」
ミラが言うと、リーナは小さく頷いた。
「マルコ村長は役人に睨まれてる。大きく動けない。でも、依頼を出すことには同意した」
エリオットが低く尋ねる。
「役人は、この依頼を知っていますか」
「知らない。知られたら止められる」
「では、次に我々が行けば、また止めるでしょう」
「だろうね」
リーナは苦々しく笑った。
「だが、こっちも黙っていられない。あんたたちが来た日に、白花が揺れたんだ」
ミラの指が、胸元のペンダントに触れる。
「白花が?」
「水車小屋の裏に咲く白い花だよ。風もないのに揺れた。ネリア婆様は、それを見て『来た』と言った」
薬草小屋の中が静まり返った。
オリヴァーは、すぐに口を開かなかった。
エリオットもまた、ミラを見る。
ミラ自身は、まだその意味を理解しきれない。
けれど、自分がサリアの橋の前に立った時、胸元の白花が温かくなったことは覚えている。
あの水車の音。
白い花。
呼ばれるような感覚。
「……行きます」
ミラは静かに言った。
その瞬間、エリオットが一歩だけ近づく。
「手順通りに」
「はい。分かっています」
「一人で答えない」
「はい」
「役人が挑発しても、黒いものの話はしない」
「はい」
ミラが素直に頷くと、リーナが少し驚いた顔をした。
「ずいぶん止められ慣れてるね」
「最近、よく止められます」
「良いことだよ。止める人がいる治療師は長生きする」
マルタが満足そうに言った。
「ほら見な。あたしと同じこと言うだろ」
エリオットは真面目に頷いた。
「正しい意見です」
ミラは少しだけ複雑な顔をした。




