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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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出立の支度 2

予定していた地点まで歩き、診療所へ戻る頃には、エリオットの額に薄く汗が滲んでいた。

 ミラはすぐに右腕の熱を確認する。

「少し上がっています」

「痛みは三」

「自分から言えましたね」

「言わなければ君が聞く」

「よく分かっています」

「だいぶ分かってきた」

 エリオットが少しだけ意趣返しのように言う。

 ミラは思わず笑いそうになったが、治療師の顔を保って記録した。

 ――歩行確認。祠への道半分まで往復。右腕熱感わずかに増加。痛み三。休息後軽減見込み。

「今日はもう右腕の訓練はしません」

「歩いただけだ」

「歩いただけで熱が上がりました」

「……分かった」

 エリオットは素直に椅子へ座った。

 ミラは祠の泉の水を少し含ませた布を用意し、右腕に当てる。以前よりも熱の引き方が穏やかだ。暴れるような瘴気の反応もない。

 白い刃の光は、静かに揺れている。

 まるで、眠っているようだった。

「この調子なら、数日後にはもう少し距離を伸ばせます」

「村を出るには?」

「まだ判断できません」

「君は本当に慎重だな」

「慎重でないと、また木剣を握る人がいますから」

「もう握らない」

「今は?」

「今は」

「やっぱり信用できません」

 エリオットは少しだけ眉を寄せた。

 けれど、その表情は以前よりずっと柔らかかった。

 その時、扉の外から声がした。

「ミラさん、いるかい?」

 村長だった。

 ミラが扉を開けると、村長の隣に見慣れない男が立っていた。灰色の外套をまとい、背には古びた革鞄を背負っている。旅の古書商だろうか。鞄の端からは紙束と細い巻物が覗いていた。

「こちら、王都から来た古書商の方だ。ミラさん宛ての手紙を預かっているそうでね」

「私に?」

 ミラは胸が跳ねるのを感じた。

 男は丁寧に頭を下げ、懐から一通の手紙を取り出した。

 ミラはすぐに手紙を受け取った。

 封蝋はない。魔術封もない。

 普通の糸で綴じられた、簡素な手紙。

 差出人の筆跡は兄のものだった。

 兄は手紙を送る際はいつも魔術院の定期便を使っていたはずだ。それがなぜかいつもある封蝋も魔術封もなく、古書商を使って送ってきた。

 差出人はライヘル・コックス。

 エリオットが立ち上がりかける。

「兄からか」

「はい」

 ミラは封を開ける前に、古書商へ礼を言った。

「届けてくださってありがとうございます」

「いえ。こちらも地方の古文書を仕入れる用がありましたので」

 古書商は穏やかに笑った。

 だが、その目は少しだけ周囲を確認しているようにも見えた。

 ミラは気づかなかったが、エリオットはその視線を見逃さなかった。

 古書商が村長と共に去ると、診療所の中は静かになった。

 ミラは手紙を開いた。

 最初に書かれていたのは、いつもの兄らしい小言だった。

 食事は取っているか。

 睡眠を削っていないか。

 村の世話になれるなら遠慮するな。

 薬草の残量を記録しなさい。

 ミラは少しだけ苦笑する。

「兄さんらしいです」

「心配性か」

「かなり」

 読み進めるうちに、ミラの表情が少しずつ変わった。

 エリオットは黙って見守る。

 やがて、ミラの指がある一文で止まった。

 ――王都側に確かめるべき資料があることは分かった。ただし、扱いが少し複雑だ。軽率に人へ話さないように。

 ミラは息を呑んだ。

 さらに読む。

 ――長逗留は勧めない。患者の移動が可能で、君が安全と判断するなら、当初の予定に近い形で次の逗留先へ向かいなさい。村に留まるほど、周囲の目も増える。

 周囲の目。

 その言葉が、妙に引っかかった。

 兄は、ただ心配しているだけなのだろうか。

 それとも、何かを掴んだのか。

 ミラは最後の一文まで読む。

 ――彼は、君が思っている以上に重要な患者かもしれない。だからこそ、患者本人を一番に見なさい。

 ミラは手紙を胸元に引き寄せた。

「何と?」

 エリオットが尋ねる。

 ミラは少し迷ったが、隠すべきではないと思った。

「兄は、王都側に確かめるべき資料があることは分かった、と書いています。ただ、扱いが複雑だと。軽率に人へ話さないように、とも」

「つまり、何かあったんだな」

「おそらく」

「俺の記録か」

「詳しくは書かれていません」

「書けなかった、のかもしれない」

 エリオットの声は低かった。

 ミラは頷いた。

「長逗留は勧めない、とも書いています」

 診療所の中の空気が少し重くなる。

 エリオットはしばらく黙っていた。

 それから、静かに言う。

「なら、やはり出るべきだ」

「ですが、あなたの腕はまだ」

「移動できるかどうかは、君が判断するんだろう?」

「はい」

「なら、判断してくれ。俺はそれに従う」

 ミラは手紙を握ったまま、エリオットを見た。

 彼はもう、無理に剣を握ろうとした時のような焦り方をしていない。

 それでも、進もうとしている。

 自分の腕のことを知るために。

 失われた剣を取り戻すために。

 そしてきっと、ミラを一人で行かせないために。

 そう思った瞬間、ミラは少しだけ視線を落とした。

「……明日から、移動を前提にした確認をします」

「何をする」

「歩行距離を少し伸ばします。荷物を持った状態での負担も見ます。ただし、右手で荷物を持つのは禁止です」

「分かっている」

「痛みが四を超えたら止まります」

「分かった」

「移動中も一日二回、腕を確認します」

「ああ」

「無理をしたら、村に戻ります」

「……それは困るな」

「なら、無理をしないでください」

 エリオットは小さく息を吐いた。

「君と旅をするには、ずいぶん条件が多い」

「治療継続のための同行です」

「そうだったな」

 そう言ったエリオットの声には、わずかに笑みが混じっていた。

「……そうです」

 手紙の紙が、指の中でかすかに鳴った。

 王都で何が起きているのか、ミラにはまだ分からない。

 だが、兄は何かに気づいた。

 そして、長く留まるなと書いた。

 ならば、この村にいられる時間はもう長くない。

 



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