戻り始める湿地 2
黒い種は、湿地の土の下にあった。
目で見えるものではない。
だがミラには分かる。
薬草の根へ向かう白い流れの途中に、黒い小さな結び目がある。そこから、周囲へ黒い細糸を伸ばそうとしているが、昨日作った白い輪がそれを押し留めている。
「白い流れを保ちます」
ミラは手をかざした。
白花の光が、湿地の上へ淡く広がる。
水面ではない。
土の中。
根の下。
流れの道。
黒い種を直接押さえない。
周囲の白い流れを穏やかに保ち、種を孤立させる。
オリヴァーはその反応を見ながら、封じ筒の先端を土へ差し込んだ。
「ロアン、針」
「薄曇り。黒変まではいってません」
「ミラ、流れは?」
「保てています。でも、筒が入ったところで黒い種が少し動きました」
「無理に広げない。今の幅でいい」
「はい」
オリヴァーの手は迷わなかった。
封じ筒の先端が土の中で半月形に開き、黒い種を含む周囲の土ごと包む。黒いものだけをつまむのではない。白い流れを切りすぎないよう、ほんの少し余白を残してすくい上げる。
ミラには、土地の中で白い流れがふっと揺れるのが見えた。
黒い種が抜かれた場所に、小さな空白ができる。
「今、流れが途切れます」
「通して」
オリヴァーが言う。
ミラは白花の光を細く伸ばした。
抜けた穴を無理に塞ぐのではない。周囲の流れが自分で戻る道を見つけられるよう、光で照らす。
水が、土の中をゆっくり巡る。
薬草の根へ向かう白い流れが、黒い種のあった場所を避けずに通り始めた。
オリヴァーは筒を静かに引き抜く。
封じ筒の中で、黒い小さな点が脈打った。
すぐに底の遮断板が閉じる。
筒の外側の白石線が、淡く光った。
「捕まえた」
ロアンが息を呑む。
反応針は一瞬だけ黒くなったが、すぐ薄曇りへ戻った。
ミラは手を下ろした。
足元が少しふらつく。
エリオットが左手を伸ばしかけるが、オリヴァーが先にミラの肩を支えた。
「座ろう」
「大丈夫です」
「座ろう」
「……はい」
親子のやり取りを見て、エリオットが少しだけ目を細めた。
「似ていますね」
「何がですか」
「無理をしようとするところです」
ミラとオリヴァーが同時に黙った。
ロアンが小声で言う。
「言っちゃった……」
ダリオが短く笑った。
黒い種を抜いた後、湿地の空気は明らかに変わった。
すぐに清らかになったわけではない。黒ずんだ薬草も、すぐには戻らない。
だが、重さが薄れた。
湿地の奥から吹く風に、腐りかけたような匂いが混じらなくなった。
トマがしゃがみ込み、薬草の葉を見た。
「黒ずみが止まってる」
「もう黒くなったものは使わないでください」
ミラが言う。
「でも、新しく芽吹くものは様子を見られると思います」
オリヴァーも頷いた。
「北の薬草場は数日封鎖。毎朝、反応針で確認してください。水は湧き水のみ。湿地の水はまだ触らない」
ロアンが手順を書き取る。
エリオットは周囲の配置図に、黒い種の抜き取り位置と白い流れの戻り方を記録した。
左手で描かれた線は硬いが、丁寧だった。
ミラはその手元を見つめる。
右手が戻れば、もっと正確に描ける。
けれど今、この左手の記録も確かに二人の旅を支えている。
集落へ戻ると、ハンスとマルタが広場で待っていた。
オリヴァーが封じ筒を見せると、ハンスは深く息を吐いた。
「取れたのか」
「はい。ただし、完全に安全になったわけではありません。数日は手順を続けてください」
「もちろんだ」
マルタは黒ずんだ薬草を入れた籠を見下ろした。
「北の薬草場はしばらく休ませるよ。無事な薬草だけでやりくりする」
「足りなければリンドルへ連絡してください」
「分かってる。あんたたちが来る前より、ずいぶん面倒な村になったね」
言葉は皮肉っぽかったが、表情は穏やかだった。
ミラが少し笑う。
「面倒でも、安全な方がいいです」
「その通りだよ」
納屋では、ジルも報告を聞いていた。
命令痕はもう喉へ伸びない。首筋の黒い痣は残っているが、彼の顔色は昨日よりずっとましだった。
「湿地のやつも取れたのか」
「はい」
「……そうか」
ジルは少し黙ってから、ハンスを見た。
「俺の知ってるやつに話を流す。あんたらの見張り付きでいい。まずは街道の小屋に出入りしてる連中からだ」
ハンスは腕を組む。
「逃げる気は?」
「今はない。逃げたらまた黒い仕事に捕まるかもしれねえしな」
それは善意ではない。
自分の身を守るための判断だった。
けれどエリオットは頷いた。
「それでいい。冷たい銅貨、黒い糸、黒い蜜蝋、薬草の包み。旧道や炭焼き跡での受け渡し。そういう仕事は受けるなと伝えろ」
「分かってる」
「それから、似た依頼があればリンドルの魔道具屋へ知らせる」
「……俺が?」
「君が一番、そういう連中に近い」
ジルは苦い顔をした。
「褒められてねえな」
「褒めていない」
ミラは少しだけ笑った。
ジルは善人になったわけではない。
でも、彼が生き残ったことで、黒い仕事の道筋にひびを入れられるかもしれない。
それもまた、レーンの集落で得た小さな勝利だった。




