命令の糸を切る 2
木札は、銅貨よりも厄介だった。
黒蜜跡のある木札に二番札を重ねると、納屋の空気が一瞬だけ重くなった。
ミラの白花が冷える。
「これは……命令というより、反応を束ねています」
「三番倉庫の木札と同じ癖だ」
オリヴァーが低く言った。
「ジル本人ではなく、媒介側の記録かもしれない。無理に消さず、外す」
ジルが震えた。
「なあ、俺の首、まだ繋がってるか」
「繋がっている」
エリオットが答える。
「今のところは」
「そこは安心させろよ」
「嘘はつかない」
マルタが短く笑った。
「いいから息をしな、小僧」
ジルは涙目で息を吸った。
ミラは白い流れを支え続ける。
黒い印は暴れようとしている。けれど、昨日のように喉へ伸びることはできない。
白い流れが戻る道を覚え始めている。
「父さん、今なら」
「ああ」
オリヴァーが遮断輪の外側を指で弾いた。
刻線が白く光る。
木札から伸びていた黒い筋が、途中で折れるように切れた。
木札の黒蜜跡が、灰色に変わる。
「二つ目」
ロアンが息を吐いた。
だが、最後の黒糸が残っている。
黒糸は、最も細く、最も嫌な反応をした。
白石粉の輪の中で、糸はほとんど動かなかった。だがミラには、それがジルの首筋に深く絡んでいるのが見えた。
銅貨は鉤。
木札は束ね。
黒糸は結び目。
「これを切れば、命令痕の強制力はかなり弱くなるはずです」
ミラは言った。
「でも、切る時に一番反応するかもしれません」
「分かった」
オリヴァーはロアンに目で合図する。
「三番札」
「はい」
札が黒糸に重ねられた瞬間、ジルが声にならない悲鳴を上げた。
首筋の印が黒く膨らむ。
喉へ伸びる。
「ミラ!」
「止めます!」
ミラは白花の光を広げた。
黒を押さえつけない。
ジルの白い流れを、喉から胸へ、元の道へ戻す。
戻る道を照らす。
その言葉が、胸の奥に浮かぶ。
ジルの呼吸が詰まる。
マルタが薬草布を口元へ当てる。
「吐きな! 吸うんじゃないよ!」
エリオットが一歩踏み出した。
右手ではない。
左手と杖で、ジルの肩を支える。押さえつけすぎず、倒れ込まないよう支える。
その時、補助具の中で右手の薬指がずしりと重くなった。
エリオットの眉が一瞬だけ動く。
だが、今はそれどころではない。
「オリヴァー殿」
「あと少し」
遮断輪が黒糸の反応を捕まえる。
細い黒い糸が、音もなく張り詰めた。
切るには強すぎる。
無理に断てば、ジルの首筋ごと裂ける。
オリヴァーの額に汗が浮かんだ。
「ミラ、白い流れを少しだけ外側へ」
「外側?」
「黒糸を首から浮かせる。剥がすんじゃない。隙間を作るだけ」
「やってみます」
ミラは指先の光を細くした。
ジルの白い流れを、首筋の内側からほんの少しだけ持ち上げる。黒い糸に触れないように、その下に薄い白い膜を作る。
黒糸が、わずかに浮いた。
「今だ」
オリヴァーが遮断輪を回す。
白石の刻線が一斉に光り、黒糸の反応を挟んだ。
ぱきん。
今度ははっきり音がした。
黒糸が白石粉の上で灰になった。
ジルの首筋の印が、急速に薄くなる。
完全には消えない。
だが、棘のようだった模様は、ただの黒い痣のような形へ落ち着いた。
ジルが大きく息を吸った。
「……っ、は、あ……!」
彼は床に崩れた。
生きている。
ミラは膝から力が抜けそうになった。
エリオットがすぐに声をかける。
「ミラ」
「大丈夫です」
「座れ」
「はい」
今度は素直に座った。
オリヴァーも深く息を吐き、遮断輪を白石布の上に置いた。
「命令の外部接続は切れた」
静かな声だった。
「命令痕そのものは痕跡として残る。しばらくは注意が必要だ。でも、喉を締める処分機構はもう動きにくいはずだ」
ジルは床に転がったまま、震える声で言った。
「……外れた、のか」
「完全にではない。だが、命は握られていない」
オリヴァーの言葉に、ジルは両手で顔を覆った。
泣いているのか、笑っているのか分からなかった。




