表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
203/224

職人の手、貴族の手 2

その夜、リンドルの魔道具屋の奥で、オリヴァーはレーンへ向かう荷を整えた。

 遮断輪。

 命令痕用の安全札。

 黒い種を抜き取る封じ筒。

 反応針。

 白石粉。

 予備の白石布。

 ジルの媒介候補を安全に収めるための小箱。

 危険物の本体は、リンドルに残す。

 瘴気の核、ネロの黒輪欠片、グレイル村のサンプル、三番倉庫の残留物。

 それらは魔道具屋の地下倉庫に移され、三重の封印を施された。

「王都へ送らないんだな」

 店主が確認するように言った。

「まだ送りません」

 オリヴァーは答えた。

「王都へは、反応写しと整理した記録だけ。核や黒輪欠片の本体は、ここで保管します」

「狙われるぞ」

「ええ」

「この店も」

「ご迷惑をかけます」

 店主は肩をすくめた。

「今さらだな。三番倉庫の件に関わった時点で、もう片足は泥の中だ」

「すみません」

「謝るより、いい封印具を作ってくれ」

 オリヴァーは少し笑った。

「任せてください」

     

 同じ頃、王宮西棟の一室で、ベルトラン・ゼーヴァルト侯爵は新たな報告を受け取っていた。

 レーンの集落で、ミラたちを誘い出す試みは失敗。

 運び手のジルは生存。

 命令痕は処分に失敗し、孤立化された可能性。

 集落はミラたちに協力し、薬草便や狩猟品の便で何かをリンドルへ送ったらしい。

 ベルトランは、文面を読み終えると静かに紙を机へ置いた。

「ガレスも、セヴランも、役に立たんな」

 側近は何も言わない。

 ベルトランの声は荒くない。

 だが、その静けさの中に苛立ちが沈んでいる。

「末端は失敗し、生き残った。集落は協力体制を作った。白い噂は、村の中で善意に変わりつつある」

 それが一番まずい。

 白い治療師が村を救った。

 傷ついた元騎士が村を守る手順を作った。

 黒いものに苦しむ者を助けた。

 そんな話は、民の口に乗る。

 民は象徴を好む。

 王家の白い剣と治癒の白花。

 そんなものが広がる前に、止めなければならない。

「ローヴェル男爵へ文を」

 ベルトランは言った。

 側近がすぐに筆を取る。

 ローヴェル男爵。

 サリア水車村周辺の水利と街道管理を任されている小貴族であり、ベルトラン派に属する男だった。領地は大きくないが、地方役人や代官への影響力がある。

「文面は」

「表向きは、水利監察の名目でよい」

 ベルトランはゆっくり言った。

「サリア水車村周辺に、身元不明の旅治療師と退役騎士が向かっている。治療活動に不審な術式が含まれる可能性がある。村人の混乱を防ぐため、必要ならば保護と調査の名目で足止めせよ」

 側近の筆が走る。

「拘束ですか」

「言葉を選べ」

 ベルトランは冷たく言った。

「拘束ではない。保護だ」

「承知しました」

「元騎士については、身分確認を求める。治療師については、施術許可と薬草管理の確認を求める。水車村は水利が要だ。不審な魔法を使われれば村の水に影響すると言えば、村人も不安になる」

 側近は一瞬だけ顔を上げた。

「白い治療師の噂を逆に利用するのですね」

「噂は、染め方次第だ」

 ベルトランは窓の外を見た。

 王宮の庭は静かに整っている。

 その美しい景色の奥で、彼は淡々と続けた。

「希望に見える前に、不安に変えればよい」

     

 文が封じられる。

 侯爵家の印ではなく、別の小さな紋章が使われた。

 直接ベルトランへ繋がらないようにするためだ。

 側近が封筒を受け取る。

「ローヴェル男爵へ、急ぎで」

「ええ」

「それと、旧水車道の見張りを増やさせろ。旅治療師たちが正規街道を使っても、旧道に何かの線がある可能性がある」

「承知しました」

 側近が退室した後、ベルトランは一人になった部屋で低く呟いた。

「守護騎士など、まだ噂にもさせぬ」

 殺すには早い。

 だが、足止めし、疑わせ、孤立させることはできる。

 ガレスの剣でも、セヴランの黒い術でもない。

 政治の手。

 紙と印章と役人の口で、人は十分に動きを縛られる。

     

 一方、黒い研究室では、セヴラン・ノックスが水晶盤を眺めていた。

 レーンの集落を示す小さな反応。

 リンドルへ向かう、分けられた薄い反応。

 そして、リンドルで重なり始めた白石の反応。

「職人が動きましたね」

 研究員が言う。

 セヴランは微笑んでいた。

「ええ。銅貨の鉤を読まれました。木札も、黒糸も」

「止めますか」

「まだです」

 即答だった。

「あの命令痕を、彼らがどう切るか見ましょう」

「失効すれば」

「簡易印ですから」

 セヴランは穏やかに言った。

「多少の損失は想定内です」

 けれど、研究員には分かった。

 その言葉ほど、彼は穏やかではない。

 水晶盤の上で、白い流れと職人の白石反応が近づきつつある。

 それは、セヴランの術式を破壊する力ではない。

 構造を読み、通り道を切ろうとする力だ。

 セヴランは、それを見たい。

 同時に、不快にも思っている。

「ベルトラン侯爵も動きました」

 研究員が告げる。

「サリア周辺の小貴族へ文が出たようです」

「でしょうね」

 セヴランは退屈そうに答えた。

「彼らはいつも、火を水で消せると思っている。時には油を注いでいるとも知らずに」

「放置しますか」

「もちろん」

 セヴランは水晶盤に指を置いた。

 サリア水車村のあたりに、薄い黒い点が浮かぶ。

「政治の手が白花を足止めするなら、それも観察材料です。彼らが権威で止められた時、白花と剣はどう動くのか」

 研究員は黙った。

 セヴランは楽しげに続ける。

「それに、水車村には古い水の伝承がありましたね」

「治癒の女神の?」

「ええ」

 黒い盤面に、白い小さな光が揺れた。

「白花が水に触れた時、何が起きるのか。楽しみです」

     

 翌朝、リンドルの魔道具屋の前に小さな荷馬車が用意された。

 乗るのは、オリヴァー、ロアン、ダリオ。

 荷は最小限。

 しかし、その中にはジルの命令痕を切るための道具と、湿地の黒い種を抜くための筒が入っている。

 店主が見送りに出た。

「道中、気をつけろ」

「そちらも。地下倉庫の封印は朝夕確認を」

「分かっている」

 オリヴァーは荷台を確認し、最後に手紙を一通取り出した。

 ライヘル宛ての写しだ。

 王都へ送るのは、情報だけ。

 危険物の本体は動かさない。

 それが今の判断だった。

「行きましょう」

 ロアンが御者台へ乗る。

 ダリオは周囲の道を確認し、短く頷いた。

「尾行は今のところ見えない」

「見えないだけかもしれません」

「分かってる」

 荷馬車が動き出す。

 向かう先は、レーンの集落。

 ジルの命令痕を切り、湿地の黒い種を抜き、セヴランの術式に小さな楔を打ち込むために。

 そしてその先には、サリア水車村がある。

 清い水と白花の伝承が残る村。

 同時に、ベルトランの政治の手が伸び始めた村。

 初夏の乾いた風の中、職人の荷馬車は森沿いの道へ進んでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ