職人の手、貴族の手 2
その夜、リンドルの魔道具屋の奥で、オリヴァーはレーンへ向かう荷を整えた。
遮断輪。
命令痕用の安全札。
黒い種を抜き取る封じ筒。
反応針。
白石粉。
予備の白石布。
ジルの媒介候補を安全に収めるための小箱。
危険物の本体は、リンドルに残す。
瘴気の核、ネロの黒輪欠片、グレイル村のサンプル、三番倉庫の残留物。
それらは魔道具屋の地下倉庫に移され、三重の封印を施された。
「王都へ送らないんだな」
店主が確認するように言った。
「まだ送りません」
オリヴァーは答えた。
「王都へは、反応写しと整理した記録だけ。核や黒輪欠片の本体は、ここで保管します」
「狙われるぞ」
「ええ」
「この店も」
「ご迷惑をかけます」
店主は肩をすくめた。
「今さらだな。三番倉庫の件に関わった時点で、もう片足は泥の中だ」
「すみません」
「謝るより、いい封印具を作ってくれ」
オリヴァーは少し笑った。
「任せてください」
同じ頃、王宮西棟の一室で、ベルトラン・ゼーヴァルト侯爵は新たな報告を受け取っていた。
レーンの集落で、ミラたちを誘い出す試みは失敗。
運び手のジルは生存。
命令痕は処分に失敗し、孤立化された可能性。
集落はミラたちに協力し、薬草便や狩猟品の便で何かをリンドルへ送ったらしい。
ベルトランは、文面を読み終えると静かに紙を机へ置いた。
「ガレスも、セヴランも、役に立たんな」
側近は何も言わない。
ベルトランの声は荒くない。
だが、その静けさの中に苛立ちが沈んでいる。
「末端は失敗し、生き残った。集落は協力体制を作った。白い噂は、村の中で善意に変わりつつある」
それが一番まずい。
白い治療師が村を救った。
傷ついた元騎士が村を守る手順を作った。
黒いものに苦しむ者を助けた。
そんな話は、民の口に乗る。
民は象徴を好む。
王家の白い剣と治癒の白花。
そんなものが広がる前に、止めなければならない。
「ローヴェル男爵へ文を」
ベルトランは言った。
側近がすぐに筆を取る。
ローヴェル男爵。
サリア水車村周辺の水利と街道管理を任されている小貴族であり、ベルトラン派に属する男だった。領地は大きくないが、地方役人や代官への影響力がある。
「文面は」
「表向きは、水利監察の名目でよい」
ベルトランはゆっくり言った。
「サリア水車村周辺に、身元不明の旅治療師と退役騎士が向かっている。治療活動に不審な術式が含まれる可能性がある。村人の混乱を防ぐため、必要ならば保護と調査の名目で足止めせよ」
側近の筆が走る。
「拘束ですか」
「言葉を選べ」
ベルトランは冷たく言った。
「拘束ではない。保護だ」
「承知しました」
「元騎士については、身分確認を求める。治療師については、施術許可と薬草管理の確認を求める。水車村は水利が要だ。不審な魔法を使われれば村の水に影響すると言えば、村人も不安になる」
側近は一瞬だけ顔を上げた。
「白い治療師の噂を逆に利用するのですね」
「噂は、染め方次第だ」
ベルトランは窓の外を見た。
王宮の庭は静かに整っている。
その美しい景色の奥で、彼は淡々と続けた。
「希望に見える前に、不安に変えればよい」
文が封じられる。
侯爵家の印ではなく、別の小さな紋章が使われた。
直接ベルトランへ繋がらないようにするためだ。
側近が封筒を受け取る。
「ローヴェル男爵へ、急ぎで」
「ええ」
「それと、旧水車道の見張りを増やさせろ。旅治療師たちが正規街道を使っても、旧道に何かの線がある可能性がある」
「承知しました」
側近が退室した後、ベルトランは一人になった部屋で低く呟いた。
「守護騎士など、まだ噂にもさせぬ」
殺すには早い。
だが、足止めし、疑わせ、孤立させることはできる。
ガレスの剣でも、セヴランの黒い術でもない。
政治の手。
紙と印章と役人の口で、人は十分に動きを縛られる。
一方、黒い研究室では、セヴラン・ノックスが水晶盤を眺めていた。
レーンの集落を示す小さな反応。
リンドルへ向かう、分けられた薄い反応。
そして、リンドルで重なり始めた白石の反応。
「職人が動きましたね」
研究員が言う。
セヴランは微笑んでいた。
「ええ。銅貨の鉤を読まれました。木札も、黒糸も」
「止めますか」
「まだです」
即答だった。
「あの命令痕を、彼らがどう切るか見ましょう」
「失効すれば」
「簡易印ですから」
セヴランは穏やかに言った。
「多少の損失は想定内です」
けれど、研究員には分かった。
その言葉ほど、彼は穏やかではない。
水晶盤の上で、白い流れと職人の白石反応が近づきつつある。
それは、セヴランの術式を破壊する力ではない。
構造を読み、通り道を切ろうとする力だ。
セヴランは、それを見たい。
同時に、不快にも思っている。
「ベルトラン侯爵も動きました」
研究員が告げる。
「サリア周辺の小貴族へ文が出たようです」
「でしょうね」
セヴランは退屈そうに答えた。
「彼らはいつも、火を水で消せると思っている。時には油を注いでいるとも知らずに」
「放置しますか」
「もちろん」
セヴランは水晶盤に指を置いた。
サリア水車村のあたりに、薄い黒い点が浮かぶ。
「政治の手が白花を足止めするなら、それも観察材料です。彼らが権威で止められた時、白花と剣はどう動くのか」
研究員は黙った。
セヴランは楽しげに続ける。
「それに、水車村には古い水の伝承がありましたね」
「治癒の女神の?」
「ええ」
黒い盤面に、白い小さな光が揺れた。
「白花が水に触れた時、何が起きるのか。楽しみです」
翌朝、リンドルの魔道具屋の前に小さな荷馬車が用意された。
乗るのは、オリヴァー、ロアン、ダリオ。
荷は最小限。
しかし、その中にはジルの命令痕を切るための道具と、湿地の黒い種を抜くための筒が入っている。
店主が見送りに出た。
「道中、気をつけろ」
「そちらも。地下倉庫の封印は朝夕確認を」
「分かっている」
オリヴァーは荷台を確認し、最後に手紙を一通取り出した。
ライヘル宛ての写しだ。
王都へ送るのは、情報だけ。
危険物の本体は動かさない。
それが今の判断だった。
「行きましょう」
ロアンが御者台へ乗る。
ダリオは周囲の道を確認し、短く頷いた。
「尾行は今のところ見えない」
「見えないだけかもしれません」
「分かってる」
荷馬車が動き出す。
向かう先は、レーンの集落。
ジルの命令痕を切り、湿地の黒い種を抜き、セヴランの術式に小さな楔を打ち込むために。
そしてその先には、サリア水車村がある。
清い水と白花の伝承が残る村。
同時に、ベルトランの政治の手が伸び始めた村。
初夏の乾いた風の中、職人の荷馬車は森沿いの道へ進んでいった。




