職人の手、貴族の手 1
リンドルの魔道具屋の奥では、朝から白石粉の匂いが濃く漂っていた。
作業台の上には、レーンの集落から届いた三つの反応写しが並べられている。
冷えた銅貨。
黒蜜跡のある木札。
黒糸と根入り包み。
そして、最後に届いた配置図と記録。
オリヴァーは、それらを一枚ずつ見比べていた。
グレイル村の黒い粉。
三番倉庫の木札。
ネロの黒輪欠片。
ミラから預かった瘴気の核。
すべてが同じではない。
だが、根は似ている。
「人の流れを曲げるもの。土地の流れを曲げるもの。命令を引っかけるもの」
オリヴァーは低く呟いた。
ロアンが隣で記録を取る。
「全部、形が違うのにですか」
「形は違う。でも考え方は同じだ。本来まっすぐ流れるはずのものに、黒い鉤を引っかけて、別の方へ曲げている」
オリヴァーは銅貨の写しを指差した。
「これは人に引っかけるための鉤」
次に、根入り包みの写し。
「これは薬草や土に染み込ませるための種」
最後に、木札。
「これは命令や反応を束ねるための札だろう。三番倉庫のものと癖が近い」
ロアンの顔が強張る。
「それなら、その命令痕も、湿地の黒い種も、同じ系統ってことですよね」
「うん」
「解除できますか」
「一人では無理だ」
オリヴァーははっきり答えた。
「外側の鉤は職人が外せる。だが、ジル本人の中に残った流れはミラが見ないと駄目だ。白花が流れを保ち、こちらが媒介との接続を切る」
「じゃあ、ミラちゃんと師匠が揃わないと」
「そうなる」
その時、ダリオが奥の棚にもたれながら言った。
「なら、早く行くしかないな」
「行きます」
オリヴァーは答えた。
「ただし、準備してからです。相手は人にも土地にも罠を仕込む。こちらが慌てて動けば、次はその慌てた動きに罠を置かれる」
ロアンは思わず息を呑んだ。
セヴランという名は、今ここでは出さない。
だが、誰の術式を相手にしているかは、皆分かっていた。
オリヴァーが最初に作ったのは、小さな白石の輪だった。
指輪ほどの大きさではない。首筋に当てるには少し大きく、手のひらに乗る程度の薄い輪。内側には細かな刻線が走り、外側には白石粉を練り込んだ銀線が巻かれている。
ロアンが目を凝らした。
「これが命令痕用ですか?」
「仮名は遮断輪」
「そのままですね」
「分かりやすい方がいい」
オリヴァーは輪を光にかざした。
「ジルの首筋に直接触れさせるわけではない。少し離して置き、ミラが白い流れを保っている間に、銅貨や黒糸から伸びている外部接続を遮断する」
「失敗したら?」
「命令痕が暴れる」
淡々とした声だった。
だからこそ、ロアンは背筋が冷える。
「もう一つ安全具を作る」
オリヴァーは次に、小さな板状の器具を取り出した。
白石と木材を重ねた薄い札。裏には吸着布が張られている。
「首筋に反応が強く出た時、黒い流れが喉へ伸びるのを遅らせるためのものだ。完全に止める道具ではない。時間を稼ぐ道具」
「ネロの時に、これがあれば……」
ロアンが言いかけて、口を閉じた。
オリヴァーは少しだけ手を止める。
「ネロの黒輪には、これでも足りなかったと思う」
「……はい」
「でも、もう一つの命令痕には届くかもしれない」
ネロは救えなかった。
だからこそ、ジルを同じように死なせない。
それはミラだけでなく、オリヴァーたちにとっても大きな意味を持っていた。
次に用意されたのは、湿地の黒い種を抜き取るための筒だった。
見た目は太い採取筒に近い。
ただし、外側には三重の封印線が刻まれ、先端は土をすくうように半月形になっている。内側には白石布が巻かれ、底には小さな遮断板が仕込まれていた。
「黒い種を直接つまむのは危険だ」
オリヴァーはロアンに説明した。
「だから、周囲の土ごと抜く。ミラが白い流れを保ち、こちらが筒で種の周囲を切り離す。レーンの集落の人たちには周囲を守ってもらう」
「種を抜いたら、湿地は安全になりますか?」
「すぐに完全にはならない。でも広がりは止まる。あとは土地の流れが戻るかどうかを見る」
ロアンは筒を見つめた。
「ミラちゃんの力、土地にも効いてましたよね」
「うん」
オリヴァーの声が少し柔らかくなる。
「あの子は、人の傷だけじゃなく、土地が戻ろうとする流れも見始めている」
「すごいですね」
「すごいよ」
そう言ってから、オリヴァーは小さく息を吐いた。
「だから、危ない」
ロアンは黙った。
力があることは、喜びだけではない。
セヴランのような者にとって、それは格好の観察対象になる。
ベルトランのような者にとっては、消すべき火種になる。
ガレスのような者にとっては、封じるべき危険になる。
だから、守る方法が必要だった。
作業台の端には、まだ試作段階の小さな黒白の石が置かれていた。
白石に、ごく微量の黒い粉を封じ込めたものだ。
ロアンはそれを見るたびに顔をしかめる。
「師匠、それ本当に作るんですか?」
「まだ試すだけだよ」
「囮反応具、ですよね」
「名前は変えたいけどね」
「名前の問題じゃないです」
オリヴァーは少しだけ笑った。
だが、目は真剣だった。
「黒い盤のようなものが、黒い反応を遠くから見ている可能性がある。もしそうなら、こちらの強い反応を隠すだけでなく、別の場所に薄い反応を置いて視線を逸らす方法があるかもしれない」
「危なすぎませんか」
「危ない。だから、今は使わない」
「いつ使うんですか」
「本当に必要になった時だけ」
ダリオが横から口を挟む。
「相手の目を騙す道具か」
「うまくいけば、です」
「うまくいかなければ?」
「相手にこちらの考えを読ませる」
「最悪だな」
「ええ」
オリヴァーは静かに答えた。
「だからまだ、机の上だけです」
ロアンは少し安心したように息を吐いた。
だが、オリヴァーはその小さな石を見つめ続けていた。
相手は観察している。
ならば、いつか観察そのものを利用しなければならない時が来る。
そう感じていた。




