背負わないための手順 1
レーンの集落に、リンドルからの便が届いたのは昼過ぎだった。
初夏の日差しは強いが、森のそばを吹く風にはまだ湿り気が残っている。薬草小屋の軒下では、マルタが黒ずんだ薬草と無事な薬草を分け、ハンスが湿地へ続く道に新しい立て札を打たせていた。
――北の湿地、立ち入り禁止。
その文字を見て、ミラは小さく息を吐いた。
昨日より、集落の空気は落ち着いている。
けれど、危険が去ったわけではない。
納屋にはジルがいる。
北の湿地には黒い種が残っている。
そして、集落の外にはまだ何者かの視線がある。
「治療師さん!」
ハンスの息子が駆けてきた。
「リンドルからです。魔道具屋の印がありました」
ミラは受け取った筒を見て、すぐに父からの返事だと分かった。
胸の奥が、少しだけ緩む。
「エリオットさん」
呼ぶと、近くで記録板を確認していたエリオットが顔を上げた。
彼はすぐに歩いてくる。
「オリヴァー殿からか」
「はい」
「中で読もう。ここでは開けない」
「はい」
それがもう、二人の間では当たり前になっていた。
手紙も、守らなければならないものの一つだった。
村長宅の一室で、ミラは封を切った。
エリオットは入口側の椅子に座り、外の気配を見ている。マルタも同席し、ハンスとトマは少し離れた場所で待機していた。
ミラは文面を読み始める。
――白花へ。
――黒い根の運び手について、報告を受け取りました。命令痕を孤立化できたことは大きい。無理に消そうとしないでください。
その一文で、ミラの肩から少し力が抜けた。
無理に消さなくていい。
父にそう言われたことで、胸の奥に引っかかっていた焦りが少しだけほどけた。
――媒介経由という仮説は妥当です。冷えた銅貨、黒蜜跡のある木札、黒糸、根入り包みは動かさず隔離。可能なら反応写しだけ送ってください。実物を移すのは、こちらで封印具を用意してから。
――こちらはグレイル村を出て、リンドルへ向かいます。黒石、第三の荷札、水の道、風の道を整理します。王都へはまだ本体を送りません。
――命令痕の解除には、あなたの白い流れと職人の遮断具の両方が必要になるでしょう。焦らないこと。
ミラの目が、最後の一文で止まった。
――あなたが一人で背負う仕事ではありません。
何度も、読み返した。
エリオットが静かに尋ねる。
「何と?」
ミラは手紙を少し下げた。
「命令痕は、無理に消さなくていいと。媒介候補は動かさず、反応写しだけ送るように、と」
「妥当だな」
「それと……一人で背負う仕事ではない、と」
言葉にした瞬間、少しだけ喉が詰まった。
マルタがふんと鼻を鳴らす。
「まったく、その父親は分かってるじゃないか」
「……はい」
「若い治療師はすぐ背負う。背負えば立派に見えるとでも思ってるのかね」
「そんなつもりは」
「なくても背負うんだよ」
ミラは言い返せなかった。
エリオットが低く言う。
「オリヴァー殿の指示通り、今日は反応写しを取る。実物は動かさない」
「はい」
「ジルへの聞き取りも、今日はしない」
「はい」
「君の治療も、必要最低限にする」
ミラは少しだけ目を瞬いた。
「それも今日の手順に入りますか?」
「入る」
「……分かりました」
マルタが横で満足そうに頷いた。
「いい助手だね」
エリオットは一瞬黙り、やはり真面目に答えた。
「見習いです」
反応写しの作業は、薬草小屋の奥で行われた。
窓を開け、風が直接吹き込まないよう薄布を掛ける。机の上には白石布を敷き、周囲に白石粉で細い輪を作る。
作業に立ち会うのは、ミラ、エリオット、マルタ、トマ。
ハンスは外で人を遠ざけ、森番たちは納屋と湿地へ続く道を見張っていた。
最初に出されたのは、冷えた銅貨三枚だった。
小さな銅貨。
見た目はどこにでもある安物だ。けれど白石布の上に置いた瞬間、布の端が薄く黒ずんだ。
「冷たいですね」
ミラが呟く。
「金属だからじゃないのか」
トマが言う。
ミラは首を横に振った。
「普通の冷たさではありません。触ってはいけない種類の冷たさです」
エリオットが記録帳を開く。
「銅貨三枚。白石布に薄黒反応。反応針は?」
ミラが針をかざす。
「薄曇りから黒変手前。強くはないですが、命令痕と似た流れがあります」
「写し紙」
エリオットが左手で写し紙を差し出す。
ミラは白花の光を使わず、反応針と白石粉だけで写しを取った。紙の上に、細い棘のような模様がぼんやり浮かぶ。
「これが、命令の通り道……?」
ミラは目を細めた。
銅貨そのものに強い力はない。
だが、そこには何かを引っかけるための印がある。触れた者の流れに、小さな鉤を残すようなもの。
「術者が直接触れた感じは薄いです」
「媒介か」
エリオットが言う。
「はい。たぶん、銅貨を通じて命令痕が入り込んだんだと思います」
マルタが顔をしかめた。
「金に触っただけで命を握られるなんて、ろくでもない術だね」
「本当に」
ミラの声は低かった。




