村を離れる職人 3
その夜、グレイル村の広場で、村人たちが集まった。
オリヴァーたちが明朝リンドルへ向かうことを告げるためだった。
村人たちは不安そうだった。
当然だ。
ミラが去り、今度はオリヴァーたちも去る。完全に治ったわけではない村に残されるのだから。
けれど、村長が先に口を開いた。
「皆、聞いてくれ。オリヴァーさんたちは、この村を見捨てるのではない」
広場が静まる。
「この村は、手順を教わった。水を確認する方法も、坑道を見張る方法も、患者を記録する方法も。何かあればリンドルへ知らせる道もある」
村長はオリヴァーを見た。
「我々は、まだ助けを必要としている。だが、ただ待つだけの村ではなくなった」
オリヴァーは深く頭を下げた。
「グレイル村は、まだ途中です。ですが、この途中を支えられるのは、ここに暮らす皆さんです。私はリンドルで、ここで採ったものを解析します。王都へ送るもの、送らないものを分け、黒いものの正体を追います」
村人の一人が不安そうに言った。
「また悪くなったら?」
「連絡してください。すぐに」
「間に合わなかったら?」
その問いに、オリヴァーは少しだけ黙った。
軽い慰めは言えない。
「だから、最初の変化を見逃さないようにするんです」
彼は答えた。
「水が少しでも曇ったら。封印布が黒くなったら。患者の咳が変わったら。変だと思った時に知らせてください。早ければ早いほど、できることは増えます」
広場の人々は、ゆっくり頷いた。
恐怖は消えない。
けれど、恐怖の中で動くための手順はある。
それは、ミラが残していったものでもあった。
翌朝、出立の準備が整った。
荷馬車には、危険物を入れた遮断箱が積まれている。
瘴気の核は一番奥。
その周囲を白石粉入りの袋で囲む。
黒い粉や水サンプルは分散。
記録帳はロアンが肌身離さず持つ。
ダリオは御者台の横に座り、道の先を見ている。
村長が最後に言った。
「異変があれば、リンドルの魔道具屋へ」
「はい」
「そこからオリヴァー工房へ」
「必ず届くようにしてあります」
「分かりました」
村長は深く頭を下げた。
「この村を、まだ諦めません」
「ええ」
オリヴァーは穏やかに答えた。
「村は戻ろうとしています。その流れを、どうか守ってください」
その言葉に、村長は少しだけ驚いたような顔をした。
戻ろうとする流れ。
ミラが見ているもの。
ライヘルが手紙で書いたもの。
そして今、グレイル村にも確かにあるもの。
村は傷ついた。
だが、戻ろうとしている。
荷馬車が動き出した。
グレイル村の屋根が、ゆっくり遠ざかっていく。
ロアンが何度も後ろを振り返った。
「気になりますね」
「うん」
オリヴァーも正直に頷いた。
「でも、任せることも必要だ」
「ミラちゃんと同じこと言ってます?」
「たぶん、あの子が先に学んだんだろうね」
ロアンは少し笑った。
ダリオは前を見たまま言う。
「リンドルまで、道を変えるぞ」
「前の妨害を考えて?」
「ああ。荷が危ない。しかも今回は核まである」
オリヴァーは頷いた。
「急がず、目立たず、でも遅れすぎないように」
「難しい注文だな」
「職人の荷ですから」
ダリオは短く笑った。
リンドルへ向かう道の上で、オリヴァーはミラへの返事を書き始めた。
揺れる馬車の中で、文字は少し乱れる。
それでも、急いで伝えなければならなかった。
――白花へ。
――黒い根の運び手について、報告を受け取りました。命令痕を孤立化できたことは大きい。無理に消そうとしないでください。
――媒介経由という仮説は妥当です。冷えた銅貨、黒蜜跡のある木札、黒糸、根入り包みは動かさず隔離。可能なら反応写しだけ送ってください。実物を移すのは、こちらで封印具を用意してから。
――こちらはグレイル村を出て、リンドルへ向かいます。黒石、第三の荷札、水の道、風の道を整理します。王都へはまだ本体を送りません。
――命令痕の解除には、あなたの白い流れと職人の遮断具の両方が必要になるでしょう。焦らないこと。
最後に、父として一文を足す。
――あなたが一人で背負う仕事ではありません。
封をする前に、オリヴァーは少しだけ目を閉じた。
ミラはまた、自分でどうにかしようとするだろう。
でも今は、エリオットがいる。
レーンの人々がいる。
ライヘルも、オルガも、ロアンも、ダリオもいる。
一人ではない。
その事実を、何度でも伝える必要があった。
荷馬車は、初夏の乾いた街道を進んでいく。
森の湿気とは違う、からりとした風が頬を撫でた。
だが、荷台の奥には黒いものが眠っている。
瘴気の核。
黒輪の欠片。
三番倉庫の痕跡。
水と風の汚染サンプル。
そして、その先には、ジルの命令痕を解くための媒介が待っている。
グレイル村の復旧は、村人たちの手へ移った。
オリヴァーたちの仕事は、次の段階へ入る。
リンドルへ。
危険物を集め、整理し、黒い術式の仕組みを暴くために。
そして、白花と剣が進む道を、後ろから支えるために。




