村を離れる職人 1
グレイル村の水場では、朝一番の確認が始まっていた。
南の泉から汲んできた水を桶へ移し、反応針をかざす。針先が澄んだままであることを確かめ、記録板へ時刻と担当者の名を書く。
「南の泉、朝一番、反応なし」
若い娘が声に出して読むと、隣の年配の女性が頷いた。
「じゃあ、配っていいね。今日は西側の家から」
「はい」
少し前まで、村人たちは反応針を見るだけで青ざめていた。
今も怖くないわけではない。
だが、怖がりながらも手順を守れるようになっている。
オリヴァーは、その様子を広場の端から見ていた。
水場は回っている。
診療所も回っている。
坑道入口の見張りも、交代表通りに立っている。
北側の古井戸には封印布と柵。
排水路には白石粉の輪。
子どもたちは、もう近づいてはいけない場所を覚えていた。
グレイル村は、まだ治ったわけではない。
けれど、倒れずに立っている。
「師匠」
ロアンが駆け寄ってきた。
「坑道入口の反応、薄曇りです。昨日と同じ。封印布の黒ずみも広がってません」
「排水路は?」
「南側は反応なし。北側の古い溝は薄曇り。白石粉の輪は崩れてません」
「よし」
オリヴァーは頷いた。
「今日、村長と最終確認をしよう」
ロアンの顔が少し引き締まる。
「リンドルへ戻るんですね」
「うん」
グレイル村に残る仕事は、まだある。
坑道奥の黒い箱。
封じた古井戸。
黒く染みた排水路。
患者たちの経過。
だが、オリヴァーがここに留まり続ければ、他の仕事が止まる。
三番倉庫の物証。
ネロの黒輪の欠片。
ミラから預かった瘴気の核。
そして、これからミラたちから届くかもしれない新たな媒介。
それらを整理する場所が必要だった。
今、王都へそのまま送るには危険すぎる。
ならば、リンドルへ集める。
リンドルの魔道具屋を拠点に、封印具を作り直し、危険度を分け、王都へ送るものと送らないものを決める。
それが、職人としての次の仕事だった。
村長は診療所の机に広げられた手順書を、真剣な顔で見つめていた。
水場管理。
坑道入口の点検。
排水路の白石粉交換。
患者の症状記録。
反応針が黒変した場合の対応。
リンドルへの連絡方法。
オリヴァーは一つずつ確認していく。
「南の泉は朝夕二回。針が黒変したら使用中止。配った水も回収」
「はい」
「北の古井戸は封印布を外さない。布が黒くなったら、棒で外して白石粉の桶へ。素手では触らない」
「はい」
「坑道入口は、風が強い日は必ず確認。黒い粉が見えたら近づかない。鐘を二回」
「鐘を二回。分かっています」
「人影やよそ者を見たら追わない。鐘は三回。リンドルへも連絡」
村長は深く頷いた。
「追いません。若い者たちにも、何度も言ってあります」
横にいた見張り役の若者たちも、緊張した顔で頷く。
ダリオが腕を組みながら低く言った。
「追いたくなっても追うな。追わせるために姿を見せる奴がいる」
「はい」
「いい返事だ。だが、実際に見たら足が動く。だから鐘を先に鳴らせ。鳴らした後で考えろ」
若者たちは背筋を伸ばした。
オリヴァーは村長に、小さな木箱を渡した。
「これは追加の反応針と白石粉です。数は多くありません。無駄遣いはできませんが、危ない時は惜しまないでください」
「分かりました」
「そして、何か異変があれば、必ずリンドルの魔道具屋へ。そこからオリヴァー工房へ連絡が届くようにしてあります」
「王都ではなく、リンドルへ?」
「今は王都への道が安全とは言い切れません」
村長の顔が険しくなる。
「また、荷が狙われる可能性があると」
「あります」
オリヴァーは隠さなかった。
「だから、連絡は短く。具体的な名や物の名前は書かない。リンドルの魔道具屋には符丁表を渡してあります。分からない時は、“水場異常”“坑道異常”“患者急変”だけでも構いません」
「はい」
村長は、手順書を胸に抱えるようにして言った。
「この村は、まだあなた方に頼ることになるでしょう」
「頼ってください」
オリヴァーは穏やかに言った。
「ただし、最初の一歩は村で踏めます。水を止める。近づかない。鐘を鳴らす。記録を残す。それだけで、救えるものがあります」
村長は深く頭を下げた。
「必ず守ります」




