命令痕の朝 2
ジルが落ち着くまで、誰も無理に話を聞かなかった。
マルタが苦みの強い薬草茶を飲ませる。
ハンスは人払いを続ける。
トマは納屋の周囲を確認し、夜明け前に近づいた足跡がないか探った。
ミラは記録をつけた。
――夜明け前、ジル命令痕発作。
――首筋の印が喉へ伸長。処分機構と思われる。
――黒輪ほど深くない。外部媒介による後付け印の可能性。
――白花光により命令痕周囲の白流を孤立化。喉への伸長停止。
――命令痕は残存。核心発話時の反応不明。
――無理な尋問禁止。
エリオットが横から記録を見た。
「媒介を探す必要があるな」
「はい」
「昨日の布包みだけとは限らない」
ジルがかすれた声で言った。
「……銅貨」
全員の視線が彼に向いた。
ジルは怯えたように首を押さえかけ、また手を止めた。
「言える範囲でいい」
エリオットが言った。
「無理に言えば死ぬ」
その声は冷静だったが、脅しではなかった。
ジルは唇を震わせる。
「仕事を受けた時……前金を渡された。銅貨三枚。やけに冷たかった」
首筋の印が薄く黒くなる。
ミラがすぐに手を上げる。
「そこまで」
ジルは黙った。
マルタが険しい顔になる。
「銅貨は?」
「袋に……腰の」
トマがジルの腰袋を慎重に取り、白石布の上へ中身を出した。
銅貨。
小さな木札。
黒い糸の切れ端。
安物の針。
干し肉。
その中で、銅貨三枚だけが不自然に曇っていた。
ミラが反応針を近づける。
針先が黒くなる。
「これです」
彼女は息を呑んだ。
「銅貨が媒介かもしれません」
エリオットは木札も見る。
「こっちは?」
木札には、粗い傷があるだけに見えた。
だが、角に黒い蜜蝋の跡がほんの少し残っている。
「これも隔離した方がいい」
マルタが白石粉入りの小箱を持ってきた。
「全部入れな。危ないものは、年寄りの小箱に閉じ込めるに限る」
「年寄りの小箱……」
「文句あるかい」
「ありません」
ミラは慌てて首を振った。
ジルは少しずつ話した。
ただし、核心へ近づくたび命令痕が反応するため、会話は切れ切れになった。
「包みを置けって……言われた」
「治療師を、北の炭焼き跡へ……」
「相手の顔は……思い出せない。帽子を、深く……」
「声は……若くなかった」
「仕事を受けたのは、旧道の……」
そこで首筋の印が黒くなり、ミラが止めた。
「旧道」
エリオットが繰り返す。
「サリア水車村へ向かう旧道か?」
ジルの目が恐怖で揺れる。
答えない。
けれど、その沈黙は答えに近かった。
ハンスが低く言う。
「サリアへ向かう道は二つある。今使われてる街道と、古い水車道だ。昔は水車村の粉挽きが通っていたが、今はあまり使わん」
ミラの胸が重くなる。
次の目的地。
サリア水車村。
そこへ向かう道の近くで、ジルは仕事を受けた可能性がある。
偶然ではないだろう。
「ジルさん」
ミラは静かに言った。
「あなたはこの集落を危険に晒しました」
ジルは顔を伏せた。
「……分かってる」
「黒いものを持ち込み、私を森へ誘い出そうとした。それで誰かが傷ついたかもしれません」
「分かってるって……!」
ジルは叫びかけ、すぐに喉を押さえて呻いた。
ミラは表情を変えずに続けた。
「でも、だからといって、使い捨てにされていい理由にはなりません」
ジルの目が見開かれる。
彼は何かを言おうとして、言葉を失った。
ミラの声は優しくはなかった。
赦しているわけではないからだ。
ただ、命を切り捨てない。
それだけだった。




