森の外から来た呼び声 2
集落は、すぐに動いた。
ハンスは子どもたちを家の中へ入れ、森番たちに北側の道を見張らせた。マルタは薬草小屋の入口に白石粉を撒き、黒い根入りの布包みを隔離する。
トマは青年を納屋の一室に閉じ込めた。
ただし、拷問のようなことはしない。
エリオットの指示だった。
「問い詰めすぎるな。黒いものを持たされている以上、口止めの術式があるかもしれない」
「末端の運び屋ってところか?」
トマが低く聞いた。
ミラの胸が少し痛んだ。
ネロ。
彼の最後の言葉を思い出す。
――あいつの道具のままでは終わらなかった。
「分かりません」
ミラは答えた。
「でも、無理に話させるのは危険です」
エリオットも頷く。
「拘束はする。だが、喉や手首に黒い反応がないか先に確認する」
青年は抵抗したが、ミラが離れた位置から白花の光を細く流すと、袖口と首筋に薄い黒い印があることが分かった。
黒輪ほど強くはない。
だが、命令を受けた痕跡がある。
「名前を聞くだけなら大丈夫そうです」
ミラは言った。
「でも、誰に頼まれたか、何を運んできたかを聞くと反応するかもしれません」
「では名前だけ」
ハンスが青年に向き直る。
「名は」
青年はしばらく黙っていたが、やがて小さく答えた。
「……ジル」
「どこの者だ」
ジルの首筋の印が薄く黒くなる。
ミラがすぐに言った。
「そこまでです」
ハンスは口を閉じた。
集落の者たちも、黙る。
誰も不用意に続けない。
その慎重さが、ミラにはありがたかった。
夜が近づく頃、森の入口で長い笛が一度鳴った。
戻れ、の合図。
トマと森番が湿地方面から戻ってきた。追跡はしなかった。かわりに、炭焼き跡へ続く道の手前に、細い黒紙の切れ端が落ちていたという。
セヴラン側か。
それとも、別の者がセヴランの仕掛けを利用したのか。
判断はつかない。
エリオットは地面に図を描いた。
薬草小屋。
偽の使者。
布包み。
北の炭焼き跡。
湿地の黒い種。
外れに残っていた複数の足跡。
「目的は二つあったと思う」
彼は言った。
「一つは、ミラを集落の外へ誘い出すこと」
ハンスが頷く。
「もう一つは?」
「黒い根を集落内へ入れること。薬草小屋に置ければ、薬草の管理が乱れる。患者が増える。ミラは治療で消耗する」
マルタが忌々しげに舌打ちした。
「汚い手だね」
「そして、俺たちが怒って追えば、森の罠に入る」
トマが低く言った。
「追わなくて正解だった」
「ああ」
エリオットは静かに頷いた。
「敵を捕まえられなくてもいい。今日の目的は、ミラを連れ出されないこと、黒いものを広げさせないこと、集落に被害を出さないことだった」
ハンスはしばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐く。
「防げたのは、あんたが手順を決めていたからだ」
「違う」
エリオットはすぐに否定した。
「防げたのは、この集落が動いたからだ。マルタさんが笛を吹き、トマが追わずに塞ぎ、ハンスさんが村人を動かした。俺は形を提案しただけだ」
その言葉に、集落の者たちは少し驚いた顔をした。
ミラは横で彼を見上げる。
剣を持てない騎士。
けれど、確かに人を守っている。
その姿が、今のエリオットだった。
ジルは納屋に隔離された。
食事と水は与える。
だが、一人にはしない。
喉の印が黒くならない範囲で、少しずつ話を聞く。
ネロの時と同じように、無理に核心を引き出さない。
ミラは記録帳に書いた。
――偽の患者呼び出し。
――使者ジル。街道赤土の靴。集落民ではない。
――袖口に黒い根入り薬草。湿地の種と同系統。
――首筋と袖口に薄い命令痕。黒輪ほど強くない。
――無理な尋問禁止。
――集落側、手順通り対応。被害なし。
書き終えると、エリオットが左手で紙を押さえた。
「符丁に直す必要がある」
「はい。西塔か黒鴉か、どちらか分かりませんね」
「分からない時は、黒い根の運び手とだけ書けばいい」
「なるほど」
ミラは修正する。
もう、平文で何でも書くことはしない。
自分たちの言葉も、守るべきものになっている。
夜、ミラは薬草小屋の外でエリオットに言った。
「今日、怖かったです」
エリオットは黙って彼女を見た。
「でも、前よりは動けました。エリオットさんが止めてくれると思ったし、トマさんも、マルタさんも、ハンスさんもいました」
「ああ」
「一人で行かなくてよかった」
「そうだな」
「グレイル村で学んだことが、ここでも役に立ちましたね」
エリオットは少しだけ森の方を見る。
「俺は今、剣で君を守れない」
静かな声だった。
「だから、人を頼る。道を選ぶ。危ない呼び出しを疑う。逃げ道を先に見る」
ミラは彼を見つめた。
「それは、弱いということですか?」
「違う」
エリオットは即答した。
「今の俺にできる守り方だ」
ミラはゆっくり頷いた。
「じゃあ、私も一人で何とかしようとしません」
「ああ」
「でも、患者さんは診ます」
「それは分かっている」
「ちゃんと手順を作ってから」
「良い」
その言い方があまりに真面目で、ミラは少し笑った。
「エリオットさん、だいぶ助手が板についてきましたね」
「見習いだ」
「まだそこは譲らないんですね」
「まだ、だ」
ミラは笑った。
森の奥には黒い種が残っている。
外からの視線も消えていない。
ジルという新たな運び手も現れた。
それでも、今日、集落は守られた。
誰か一人の力ではなく、みんなで。
遠く、森の外れで、二つの影がそれぞれ別の方向へ消えていった。
一人はガレス側へ、もう一人はベルトラン側へ。
報告はすぐ王都へ届くだろう。
――対象の誘導失敗。
――集落側が協力体制を形成。
――元騎士は戦闘力不完全ながら、危険察知と配置判断に優れる。
――治療師は黒い根の運び手を識別。
――現地狩人と薬草師が協力者化。
そして、森の湿地の奥では、黒い種が白い流れに囲まれたまま、静かに沈黙していた。
黒鴉は遠くからそれを見ている。
だが、今夜のレーンの集落は、黒い手に崩されなかった。
初夏の森に、長い夜が落ちる。
その夜を越えれば、次は水車の村へ向かう道が開く。
清い水と白花の伝承が残る、サリア水車村へ。




