森沿いの集落へ 3
熱病の患者は三人いた。
症状は軽い。高熱ではなく、微熱と倦怠感、喉の違和感。黒根ほど深くはないが、完全に普通の風邪とも言い切れない。
一人目の患者の手首に触れた時、ミラは小さく眉を寄せた。
喉から胸にかけて、薄い黒い霞がある。
しかし、それ以上に気になるのは、身体の白い流れが少し遠回りをしていることだった。まるで、どこかを避けるように。
「黒いものが強いわけではありません」
ミラは言った。
「でも、身体の流れが何かを避けています」
エリオットが記録する。
――微熱患者一名。薄い黒霞。白流が喉下で迂回。黒根初期、または外部要因の可能性。
マルタが横で腕を組む。
「水かい?」
「まだ分かりません」
「井戸は?」
エリオットがハンスを見る。
「集落の中央井戸と、森の湧き水を使っている。北の湿地の水は飲まない」
「湧き水を確認したい」
「今日は?」
「入口まで」
エリオットはきっぱり言った。
「日が傾く前に戻る。ミラは患者を三人診たら今日は終わりだ」
ミラは反射的に言いかけた。
「でも」
エリオットが視線を向ける。
静かだが、逃がさない目。
ミラは言葉を飲み込んだ。
「……三人までです」
マルタが満足そうに頷く。
「いいね。若い治療師は放っておくと自分を薬草みたいに煎じ詰めるからね」
「煎じ詰める……」
「違うかい?」
ミラは反論できなかった。
夕方前、森の入口へ向かうことになった。
ただし、ミラとエリオットだけではない。
案内役として、狩人のトマが来た。
年は二十代半ばほど。日に焼けた肌、短く切った髪、背には弓。寡黙で、初対面の二人をじっと観察する目をしている。
「森へ入るなら、俺が先に歩く」
トマが言った。
「お願いします」
ミラが答える。
エリオットは彼の弓と足元を見て、静かに頷いた。
「足音が少ない。森に慣れているな」
「そっちは、右腕が使えなくても騎士の目をしてる」
「元だ」
「元でも目は残る」
短いやり取りだった。
だが、それで互いに少しだけ認めたようだった。
森の入口には、小さな祠のような石積みがあった。土地の精霊を祀るものだという。ハンスが言うには、昔から森へ入る前にここで一礼する決まりらしい。
ミラは自然に頭を下げた。
その瞬間、白花のペンダントが微かに温かくなった。
「……」
ミラは胸元に手を置く。
森の奥から、細い流れを感じた。
白い。
けれど、その途中に小さな黒い滞りがある。
グレイル村のような濃い悪意ではない。
でも、誰かが置いた小さな石のように、流れを乱している。
「ミラ?」
エリオットが声をかける。
「奥に、何かあります」
トマの顔が険しくなる。
「獣か」
「違います。水の流れか、薬草の根か……まだ分かりません。でも、黒いものが薄く混じっています」
エリオットはすぐに言った。
「今日は確認だけだ。奥へ入らない」
「分かっています」
「本当に?」
「本当に」
トマが二人を見て、少しだけ不思議そうな顔をした。
マルタの言う通り、止める者がいるのはいい。
ミラはそう思いながら、森の入口に立った。
木々の向こうは薄暗い。
葉の擦れる音。
湿った土の匂い。
遠くで流れる水の気配。
そしてその奥に、ごく薄い黒。
レーンの集落は、グレイル村ほど深く蝕まれてはいない。
けれど、何かが確かに置かれている。
ミラは白花のペンダントを握った。
隣には、右腕を使えない元騎士。
前には、森を知る狩人。
後ろには、集落の人々。
もう一人で向かう必要はなかった。
その夜、集落の外れで、小間物売りとは別の男が森を見ていた。
ベルトランの側から送られた者だった。
森の中に入るつもりはない。
まだ観察だ。
旅治療師は、現地の者を味方につけ始めている。
元騎士は、戦えないにも関わらず人の配置を整えている。
狩人が同行した。
薬草師が関心を示した。
男は報告用の小紙に書いた。
――対象二名、レーン到着。
――現地民との協力関係を構築しつつあり。
――治療師、薬草の黒変を感知。
――元騎士、森への不用意な進入を制止。判断力健在。
――現地狩人、協力者となる可能性。
男は小紙を折った。
ガレス側の密偵も、おそらく近くにいる。
セヴラン側が何かを置いている可能性もある。
この小さな森沿いの集落に、三つの影が集まり始めている。
男は森の奥を見た。
黒いものは見えない。
けれど、森の静けさが少しだけ深すぎる気がした。




