森沿いの集落へ 2
レーンの集落に着いたのは、午後の早い時間だった。
森の入口に寄り添うように家々が並んでいる。丸太を組んだ家、低い石造りの倉庫、薬草を干すための棚。あちこちに束ねた草や木の実が吊るされ、集落全体に青く苦い香りが漂っていた。
しかし、人々の視線は少し鋭かった。
森沿いの集落らしく、よそ者に慣れていないのだろう。子どもたちは家の陰から覗き、大人たちは作業の手を止めてこちらを見る。
エリオットはその視線を受け止めながら、ミラの半歩後ろに立った。
前に出すぎない。
けれど、必要ならすぐ動ける位置。
集落の中央にある井戸のそばで、年配の男が待っていた。
「リンドルから来た治療師か」
「はい。ミラ・コックスと申します。旅治療師です」
ミラが頭を下げるより早く、エリオットが静かに一歩横へ出た。
「こちらが旅治療師のミラ・コックスだ。俺はエリオット。彼女の記録を手伝っている」
自分の名は短く。
ミラの役割を先に。
その言い方があまりに自然で、ミラは少しだけ胸がくすぐったくなった。
年配の男はエリオットをじろりと見た。
「記録係にしては、いい体をしてるな。武人か?」
予想通りの問いだった。
エリオットは隠しも誇りもしない。
「退役した元騎士だ。今は治療を受けている身でもある」
「騎士様が、治療師の手伝いか」
「できることをしている」
短い答え。
だが、不思議と重みがあった。
年配の男はしばらく彼を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「俺はこの集落のまとめ役、ハンスだ。森のことなら、狩人のトマか薬草師のマルタ婆に聞くといい」
「よろしくお願いします」
ミラが頭を下げると、ハンスは少しだけ表情を和らげた。
「正直、薬草師はいる。だが、熱が引かない者が何人かいる。森の薬草も変だ。根が黒ずむものが出ている」
ミラとエリオットは、同時に顔を上げた。
「根が黒ずむ?」
ミラが聞き返す。
「ああ。全部じゃない。森の北側にある湿地の近くだけだ。採った薬草の一部が、干す前に腐るように黒くなる」
エリオットが護符へ左手を当てる。
強い反応はない。
けれど、まったく何もないわけでもなかった。
「ミラ」
「はい」
「薄い。だが、森の奥に少し違和感がある」
ハンスの目が鋭くなる。
「分かるのか」
「少しだけ」
「騎士の勘か?」
「今は、患者の身だ」
エリオットはそう言ってから、付け加えた。
「だが、危険を見る癖は残っている」
ハンスはまたしばらく黙っていた。
そして、村の若者を呼んだ。
「トマを呼べ。森へ案内させる。ただし、今日は奥へ入らない」
ミラはほっとした。
いきなり森へ入ることになったら、エリオットは止めるだろうと思っていたからだ。
しかし、エリオットはすぐに言った。
「森へ入る前に、患者を診たい。熱病の者と、黒ずんだ薬草を見せてほしい」
ハンスが眉を上げる。
「森を見なくていいのか」
「順番がある。人、薬草、水場、森の入口。奥へ入るのはその後だ」
その言い方は、元騎士の指揮に近かった。
だが、命令ではない。
現地の人間に判断を渡しながら、危険を減らすための提案だった。
ハンスは気に入ったのか、口の端をわずかに上げた。
「なるほど。治療師さんの助手は、頭も使うらしい」
「見習いだ」
エリオットが真面目に訂正する。
ハンスは今度こそ笑った。
最初に案内されたのは、集落の薬草小屋だった。
中には、乾燥中の薬草が吊るされている。清潔に保たれており、湿気対策もされている。薬草師がいるというだけあって、管理はかなり行き届いていた。
その奥で、一人の老婆が待っていた。
白髪を後ろでまとめ、腰は少し曲がっているが、目は鋭い。手には薬草を束ねる紐を持っている。
「この子が旅治療師かい」
「ミラ・コックスです」
「マルタだ。この集落で薬草を見てる」
マルタはミラを上から下まで見て、それからエリオットに視線を移した。
「あんたは?」
エリオットはまた、余計なことを言わずに答えた。
「エリオット。元騎士だが、今はミラの記録を手伝っている」
「ふうん。護衛じゃなくて?」
「護衛を名乗れるほど動けない」
正直すぎる答えに、マルタは片眉を上げた。
「だが、立つ位置は護衛のそれだね」
「癖だ」
「悪い癖じゃない」
マルタはそう言って、奥の棚から黒ずんだ薬草を一束持ってきた。
「これだよ」
ミラは布の上に薬草を置いてもらい、手をかざした。
黒い。
けれど、グレイル村のように濃くはない。黒棘や黒根というより、根の先に薄く黒い靄が染み込んでいるような感じだ。
そして、その奥に。
細い白い流れが、途切れかけていた。
「……薬草にも、流れがあります」
ミラは囁いた。
マルタの目が細くなる。
「何が見える」
「根から葉へ上がるはずの流れが、根元で止まっています。黒いものは薄いけれど、流れを歪めています」
ミラは白花のペンダントに触れた。
光を流そうとして、すぐに止める。
ここで無理に浄化していいのか分からない。
薬草を治すことと、原因を見つけることは違う。
エリオットが静かに言った。
「記録だけにしよう」
ミラは頷いた。
「はい。今は触りすぎません」
マルタは二人を見比べ、ふっと笑った。
「止める人がいるのはいいことだね」
「よく言われます」
ミラが少し恥ずかしそうに答えると、マルタはさらに笑った。




