三つの報告 3
黒い研究室では、セヴラン・ノックスが報告を読んでいた。
紙ではない。
黒い水晶盤の上に、細い文字が浮かび上がっている。
ハルム村。
白花光、患者ごとに形状変化。
黒反応なし。
古傷に対し“白い流れ”を視認した可能性。
守護騎士候補、右手で短線を描画。
親指、人差し指、中指に感覚回復。
セヴランは、しばらく黙っていた。
研究員が緊張した顔で立っている。
「先生」
「興味深い」
その声は、ひどく穏やかだった。
「黒棘への対抗反応だけではない。通常の損傷や古い魔力路の歪みにも干渉している。つまり、白花の力は除去ではなく、回復経路の再認識に近い」
研究員はすぐに記録を取る。
「守護騎士候補の右手も、その影響でしょうか」
「おそらく」
セヴランは水晶盤を指でなぞった。
盤面に、右腕の簡易図が浮かぶ。
黒い封じ。
途切れた魔力路。
その奥に、薄い白い流れ。
「彼女は黒を剥がしているのではない。黒に塞がれた下の流れを見つけ始めている」
「それは、先生の封じにとって危険では」
「危険です」
セヴランは微笑んだ。
「だからこそ、見なければならない」
研究員は言葉を失った。
ガレスなら恐れる。
ベルトランなら消そうとする。
だが、セヴランは違う。
危険だから近づく。
壊されるかもしれないから、覗き込む。
「もし白花の力が、本来の流れの再構築であるなら、黒輪や黒棘にも応用できるでしょう」
「解除される、ということですか」
「いいえ。解析できれば、こちらが利用できます」
セヴランの目が、かすかに輝く。
「人の中にある“戻ろうとする流れ”を利用して、より深い拘束を作ることもできる。戻る道を示すふりをして、別の道へ導くこともできる」
研究員の顔が青ざめた。
セヴランはそれに気づき、少し笑う。
「怖い顔をしますね」
「いえ……」
「安心してください。まだ仮説です。壊すには惜しい段階ですよ」
彼は盤面の中の二つの白い光を見つめた。
西へ進む、白花と剣。
「ガレスは焦るでしょう。ベルトラン侯爵も騒ぐでしょう。ですが、彼らはいつも結果ばかり欲しがる。過程にこそ価値があるというのに」
「放置しますか」
「いいえ」
セヴランは静かに答えた。
「観察には刺激が必要です」
研究員が顔を上げた。
「刺激、ですか」
「レーンの森沿いの集落へ、薄い黒根の種を置きましょう。強すぎてはいけません。グレイル村のような大規模汚染ではなく、白花が“流れ”を見つけるための、小さな歪みでいい」
「ガレス側や侯爵側の者と接触する可能性が」
「それも観察材料です」
セヴランは楽しげだった。
「三者の手が同じ場所に伸びた時、白花と剣はどう反応するのか。見てみたいと思いませんか」
研究員は答えなかった。
答えられなかった。
ガレスは、報告を読んでエリオットの右手を恐れた。
ベルトランは、報告を読んで守護騎士の象徴を恐れた。
セヴランは、報告を読んで白花と剣の相互干渉に微笑んだ。
同じ事実。
違う恐れ。
違う欲望。
違う手。
そして、その三つの手は、まだ何も知らないミラとエリオットの次の行き先へ、静かに伸び始めていた。
ハルム村の夜は穏やかだった。
ミラは客室の机で、エリオットが右手で引いた短い線をもう一度見ていた。
紙の上に残る、震えた一本の線。
それは、誰かにとってはただの線だ。
けれどミラには、道に見えた。
戻るための道。
焦らず、壊さず、少しずつ進むための道。
エリオットは向かいで記録帳を閉じた。
「明日は村長に挨拶して、レーンの集落へ向かう」
「はい」
「移動は短めにする。君の力の変化もあるし、俺の右手もある」
「分かっています」
「本当に?」
「本当に」
ミラは少し笑った。
「無理はしません。エリオットさんが見ていますから」
そう言われて、エリオットはわずかに言葉を失った。
やがて、静かに答える。
「見る」
その声は、約束のようだった。
窓の外では、穏やかな風が干し草を揺らしている。
その先で、敵の影が集まり始めていることを、二人はまだ知らない。
けれど、白い流れは確かに見え始めていた。
黒に塞がれたものが、戻る道を思い出すように。




