残された村に届く手紙 3
午後、オリヴァーたちは坑道入口へ向かった。
ライヘルの手紙を受け取ったからといって、現場の仕事が消えるわけではない。
坑道入口の封印布は、昨日より薄く黒ずんでいた。
風は弱い。
だが、奥から漏れる黒い気配はまだ残っている。
ロアンが反応針をかざす。
「薄曇りから黒変手前です」
「今日は交換しよう」
「はい」
村人たちは手順通り、棒で古い封印布を外す。直接触れない。白石粉を入れた桶に落とし、新しい布を張る。
作業は慎重だが、以前ほど混乱していない。
オリヴァーはその様子を見ながら、ライヘルの言葉を思い返していた。
黒を剥がすのではなく、本来の流れを探す。
それは、人の身体だけでなく、この村にも必要なことかもしれない。
黒い箱をすぐに壊すことはできない。
坑道を一瞬で清めることもできない。
だが、水を分け、風を弱め、村人の手順を作り、少しずつ生活の流れを戻していく。
それもまた、戻る道を照らすことなのだろう。
「師匠、どうしました?」
ロアンが尋ねる。
「いや」
オリヴァーは首を横に振った。
「ミラに少し似た仕事をしているなと思って」
「師匠が?」
「村を治療しているみたいだ」
ロアンはしばらく考えて、それから頷いた。
「確かに」
グレイル村は大きな患者だ。
坑道は傷口。
排水路は黒い根。
水場は血流。
村人たちは、その身体を動かす手足。
そう考えると、やるべきことが少し見えやすくなった。
夕方、ネロの黒輪を安置している小部屋で、オリヴァーは再び記録を取った。
ネロの遺体は、村長と相談の上、村の外れに仮埋葬された。罪ある者であっても、無造作に扱うことはしなかった。
ただし、黒輪だけは外せなかった。
命を失った後も、黒輪は手首に残っていた。
オリヴァーは遺体を傷つけない範囲で、輪の表面から剥がれた微細な黒片だけを採取した。
小瓶の中で、その欠片は今も薄く光っている。
ロアンは少し離れて立っていた。
「まだ反応してますね」
「うん」
「ネロが死んでも、術式は残るんですね」
「術者が切らない限り、痕跡は残る」
つまり、セヴランはネロを命として切ったが、術式としては完全に処理していない。
面倒だったからか。
それとも、何か残したままにする理由があるのか。
オリヴァーは小瓶を白石粉の中に沈めた。
「これも王都へ送る。だが、今すぐではない」
「危険だから?」
「うん。今の輸送経路は狙われている。次はもっと分ける」
ロアンは顔を引き締めた。
「符丁、覚えないとですね」
「全部覚える必要はない。表を分けて持つ」
「ミラちゃんと同じこと言われてそう」
「言われているだろうね」
二人は少しだけ笑った。
重い空気の中で、その小さな笑いがありがたかった。
その夜、オリヴァーはライヘルへ返事を書いた。
――ライヘルへ。
――物証到着の報告、確認しました。妨害があったにも関わらず本命が届いたこと、安心しました。今後はこちらも荷をさらに細分化します。
――第三の荷札に関する追加サンプルは、まだこちらで保管します。黒輪の欠片は特に危険です。輸送経路が整うまで動かしません。
筆を止める。
そして、ミラのことを書く。
――ミラの力についての件、理解しました。本人にはまだ伝えません。
――ただ、あの子が自分の力を怖がらず、記録しながら扱えるようになるなら、それは良い方向だと思います。
――あなたの助言は正しい。黒を剥がすのではなく、本来の流れを探す。それなら、ミラは自分の力を“背負うもの”ではなく“扱うもの”として見られるかもしれません。
少し迷ってから、もう一文。
――エリオット君は、よくミラを見ています。無理を止め、記録を助け、節度も守る。彼がそばにいることは、父親としてもありがたい。
――彼自身の右腕を治すためにも、そしてミラが自分を使い潰さないためにも、二人が相棒として進むことには意味があると思います。
書き終えた後、オリヴァーは窓の外を見た。
グレイル村の夜は、以前より静かだった。
静かすぎるほどではない。
どこかで水桶を片づける音がする。
見張りの若者が小さく咳払いをする。
診療所では、村の女性が患者に薬草茶を飲ませている。
生活の音が戻り始めている。
完全ではない。
けれど、戻ろうとしている。
オリヴァーは手紙を封じた。
同じ頃、遠くハルム村のミラとエリオットはまだ知らない。
王都で、ミラの力と女神の伝承が繋がり始めていることを。
グレイル村で、父がその事実を胸にしまったことを。
そして、自分たちの小さな治療記録が、黒い根を追うための大きな手がかりになり始めていることを。
白花の光は、まだ淡い。
けれど、それは確かに、失われたものが戻る道を照らし始めていた。




