残された村に届く手紙 1
グレイル村の朝は、以前より少し忙しくなった。
南の泉から水を運ぶ者。
広場で反応針を確認する者。
診療所で患者の記録をつける者。
坑道入口の封印布を点検する者。
北側の古井戸に近づく子どもがいないか見回る者。
どれも、数日前まではなかった仕事だ。
だが村人たちは、もうそれを特別なこととは扱わなくなり始めていた。
「南の泉、朝一番、反応なし」
広場で若い娘が声に出して記録を読む。
隣にいた年配の女性が頷いた。
「じゃあ、配っていいね。桶は昨日と同じ順番で」
「はい」
白石粉の皿はまだ少し不気味だ。
反応針を見る時、誰もが緊張する。
それでも、手順は回っている。
オリヴァーはその様子を少し離れた場所から見ていた。
完璧ではない。
けれど、続いている。
ミラが去った後も、グレイル村は崩れていなかった。
「師匠、坑道入口の布、昨日より黒ずみが薄いです」
ロアンが走って戻ってきた。
額には汗が浮いているが、声は明るい。
「反応針は?」
「薄曇り。黒変まではいってません」
「よし。交換は明日でいい。ただし、風が強くなったら今日中に見る」
「分かりました」
ロアンはすぐに記録板へ向かう。
彼もまた、随分とたくましくなった。
オリヴァーは小さく息を吐き、坑道の方角を見た。
あの奥には、まだ箱がある。
風と水を汚した黒い箱。
セヴランの実験の一部。
今は入口と脇坑、排水路を封じて流出を抑えているが、完全に取り除いたわけではない。
グレイル村は救われたのではない。
持ちこたえているのだ。
それを忘れてはいけなかった。
昼前、リンドルからの便が届いた。
魔道具屋の小さな印が押された木箱と、封書が二通。
村長が大急ぎでオリヴァーの元へ持ってきた。
「王都からのようです」
封を見て、オリヴァーはすぐにライヘルの筆跡だと分かった。
胸の奥がわずかに固くなる。
王都へ送った物証の返事だ。
彼は診療所の奥に入り、机の上に白石布を敷いた。ロアンも呼ぶ。ダリオは扉の外に立ち、誰も不用意に近づかないよう見張った。
オリヴァーはまず一通目を開いた。
――父さんへ。
――三番倉庫から送られた物証は王都へ届きました。途中で妨害がありましたが、本命の荷は無事です。囮の一部は奪われた可能性があります。今後、荷と手紙はさらに分散してください。
オリヴァーは目を閉じた。
届いた。
まず、その事実に深く息を吐く。
ロアンがほっとしたように肩を落とした。
「よかった……」
「うん」
オリヴァーは続きを読んだ。
――木札の符号は、ヴィクトル・グレイン卿の移送記録に残る分類符号と一部一致しました。
――黒い蜜蝋と黒紙人形の灰には、セヴラン系と思われる術式痕があります。
――ただし、まだセヴラン本人との直接的な繋がりを示すものではありません。証拠は線になり始めていますが、断定には足りません。
――ネロの証言と死亡記録、黒輪の遺留反応、三番倉庫の物証、グレイル村のサンプルを照合する必要があります。
ネロの名に、部屋の空気が少し沈んだ。
ロアンが小さく唇を噛む。
「ネロの言った通り、物が繋がったんですね」
「ああ」
オリヴァーは静かに頷いた。
「彼の口だけでは足りなかった。でも、彼が残した物は、確かに王都へ届いた」
それは救いではない。
亡くなった命が戻るわけでもない。
けれど、無意味ではなかった。
オリヴァーはもう一度、手紙へ目を落とす。
――今後は、危険な固有名や術式、証拠の名称には符丁を使ってください。
――黒鴉、西塔、剣の枝、黒い根、第三の荷札、運び手、白花、水の道。
――詳細な符丁表は別便で送ります。もし一通だけ奪われても意味が通らないよう、手紙は分けてください。
ロアンが顔をしかめた。
「本当に戦みたいになってきましたね」
「戦だよ」
オリヴァーは静かに言った。
「ただし、剣ではなく記録と荷と手紙の戦だ」
ロアンは黙って頷いた。




