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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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消された記録 3

 翌日の夕刻、ライヘルは王都騎士団の訓練場近くにある小さな詰所を訪れた。

 ユアン・クロフォードは、訓練後の装備点検をしていた。

 短い濃紺に近い髪。

 堅実な動き。

 騎士としては派手さがないが、立ち姿に隙がない。

 彼はライヘルを見ると、少し意外そうに目を細めた。

「コックス研究員」

「クロフォード卿。少し話がある」

「魔術院から騎士団へ正式な用件ですか」

「いや。正式ではない」

 ユアンの表情が警戒に変わる。

「では、聞く場所を選ぶべきですね」

 彼は周囲に目を走らせ、ライヘルを詰所裏の人気のない通路へ案内した。

 石壁に囲まれた狭い場所。

 遠くから訓練場の掛け声が聞こえる。

「話とは?」

 ユアンが尋ねる。

 ライヘルは一瞬迷った。

 ミラの名前を出すべきか。

 エリオットの名を出すべきか。

 だが、遠回しにしすぎれば信用されない。

「エリオット・バーンスタンについて聞きたい」

 ユアンの目が鋭くなった。

「なぜ今、その名を?」

「彼の負傷任務について、記録に不整合がある」

「魔術院の人間が、今さらあいつの記録を調べてどうする」

 声が硬い。

 怒りというより、守るような警戒だった。

 ライヘルは静かに答えた。

「妹が、彼を診ている」

 ユアンの表情が変わった。

「妹?」

「ミラ・コックス。旅治療師だ。今、バーンスタンの故郷の村にいる」

「……エリオットは生きているんだな」

「そうらしい」

 ユアンは目を伏せた。

 ほんの一瞬、その顔に安堵が浮かぶ。

「あいつの腕は」

「動き始めていると」

 ユアンは息を呑んだ。

「本当か」

「妹の手紙では、指先の随意運動が戻りつつある。右腕に残った黒い瘴気と、白い刃状の魔力反応も確認している」

「白い刃……」

 ユアンは何かを思い出すように眉を寄せた。

「クロフォード卿。あなたはバーンスタンと同期だったと聞いている」

「ああ」

「彼の負傷任務について、何か不自然な点はなかったか」

 ユアンはすぐには答えなかった。

 風が通路を抜ける。

 遠くの訓練場で、剣と剣が打ち合う音がした。

「不自然な点なら、あった」

 やがて、ユアンは低く言った。

「だが当時は、口にできなかった」

「なぜ」

「証拠がなかった。俺は別任務に回されていたし、エリオット自身は何も言わずに退団した。周囲も、“不運な事故”として片づけた」

「何が不自然だった?」

「任務の配置変更だ」

 ユアンは記憶を辿るように話し始めた。

「本来、あの討伐は危険度の高い任務ではなかった。中級魔物の群れの処理。エリオットの部隊なら十分対応できる内容だったはずだ」

「実際には?」

「報告にない上位個体が出た。しかも、黒い瘴気をまとっていたと聞いた」

 ライヘルの指がわずかに動く。

 黒い瘴気。

 ミラの手紙と一致する。

「救援は?」

「遅れた」

「なぜ」

「救援要請の伝達が、途中で止まっていた」

「誰が担当していた?」

 ユアンの表情が硬くなった。

「ヴィクトル・グレイン」

 その名が出た瞬間、ライヘルは小さく息を吐いた。

 エリオットとユアンの同期。

 エリオットに劣等感を抱いていたと噂のある騎士。

「グレイン卿は今も騎士団に?」

「ああ。中堅騎士として残っている。ただ、あの件以来、妙に上層部に近くなった」

「任務変更を承認したのは」

「ガレス副団長だ」

 ライヘルの脳裏に、オルガが見せた封印記録の薄い頭文字が浮かんだ。

 G。

 ガレス・オルブライト。

「確証はあるか」

「正式な記録が残っていればな」

 ユアンは苦々しく言った。

「だが、俺が見た限り、任務記録は後から整えられている。配置変更の理由も、救援遅延の経緯も、あまりに綺麗すぎる」

「綺麗すぎる記録は、嘘に近い」

「誰の言葉だ」

「資料管理官の受け売りだ」

 ユアンはわずかに眉を上げた。

「魔術院にも、まともな人間はいるんだな」

「少数だが」

 ライヘルの返答に、ユアンは一瞬だけ口元を緩めた。

 すぐに表情を引き締める。

「コックス研究員。エリオットの腕が動いているという話は、騎士団内で漏らすな」

「もちろんだ」

「上層部が知れば、また何かされる可能性がある」

「また?」

 ライヘルが聞き返すと、ユアンは苦い顔をした。

「俺は、あいつの負傷が事故だったと本気で信じたことはない」

 その言葉は重かった。

「だが、何もできなかった」

 ユアンは拳を握る。

「エリオットは、俺たちの中で一番まっすぐだった。田舎出身で後ろ盾もないのに、誰より実力で前へ進んでいた。俺はあいつを妬んだこともある。だが、それ以上に認めていた」

 ライヘルは黙って聞いていた。

「それが、右腕を失って退団した。皆、気の毒だと言った。だが俺には、誰かがあいつを都合よく消したように見えた」

「今からでも、調べる気はあるか?」

 ユアンはライヘルを見た。

「今さらでもいい。あいつに起きたことが事故じゃないなら、見過ごすわけにはいかない」

 その言葉に、ライヘルは静かに頷いた。

「ただし、内々に進めたい。妹からもそう言われている。バーンスタン本人の情報を広げたくない」

「分かった。俺も不用意には動かない」

「まずは、当時の非公式な証言が欲しい。救援の伝達経路、配置変更、同行者の記憶。正式記録ではなく、現場にいた者の記憶だ」

「時間がかかる」

「分かっている」

「だが、やる」

 ユアンはそう言い、通路の奥へ視線を向けた。

「エリオットは……本当に腕が動いているのか」

「妹の手紙では」

「そうか」

 短い返事だった。

 だが、そこには確かな感情があった。

 安堵。

 後悔。

 そして、かすかな希望。

「いつか、会いに行けるか」

「まだ分からない」

「そうか」

 ユアンは頷いた。

「なら、その時までに、俺も少しは役に立つ情報を集めておく」

 

 その夜、ライヘルは魔術院の自室へ戻った。

 机の上には、ミラからの手紙が置かれている。

 ライヘルは新しい紙を取り出した。

 すぐに返事を書くべきだろう。

 けれど、何をどこまで書くべきか悩んだ。

 分かったことはある。

 エリオットの試し石反応は、記録されていた。

 白刃紋。

 守護騎士候補。

 要観察。

 負傷記録には欠落がある。

 瘴気分析だけが抜かれている。

 封印指定に、ガレス副団長の関与を示す痕跡がある。

 騎士団側の任務変更にも、ガレスとヴィクトルの名が絡む。

 これだけあれば、事故ではない可能性が高い。

 だが、断定はまだできない。

 断定できないことを、遠い村の妹にどう伝えるべきか。

 ライヘルは筆を取った。

 ――ミラへ。

 ――手紙は読んだ。まず、君が診ている患者について、できるだけ慎重に扱う。魔術院内で不用意に情報を広げるつもりはない。

 そこまで書いて、少し止まる。

 妹が心配だった。

 だが、「すぐに王都へ戻れ」と書くわけにはいかない。

 エリオットの治療を止めれば危険かもしれない。

 それにミラは、そう書いても戻らないだろう。

 ライヘルは続きを書いた。

 ――確認した限り、エリオット・バーンスタンに関する一部資料には不自然な閲覧制限と欠落がある。試し石についても、通常の儀礼記録とは異なる扱いがされている。

 ――現時点で詳しい結論は出せないが、君の判断は誤りではない。村での治療記録を続けてほしい。特に、黒い瘴気と白い刃状の反応については、発現条件を細かく記録してくれ。

 そこで、ライヘルは筆を止めた。

 研究者の文章になっている。

 彼は手紙の最後に、もう一文加えた。

 ――ただし、無理はするな。食事と睡眠を削るな。危険を感じたらすぐ知らせろ。君ひとりで抱えるな。

 書いてから、少しだけ苦笑した。

 兄らしいことを書いたつもりだった。

 その時、扉の外でかすかな足音がした。

 ライヘルは顔を上げる。

 足音はすぐに遠ざかった。

 ただの通行人か。

 それとも。

 ライヘルは立ち上がり、扉を開けた。

 廊下には誰もいない。

 だが、石床の上に、小さな黒い紙片が落ちていた。

 拾い上げると、そこには何も書かれていない。

 しかし、紙片からは微かに瘴気の気配がした。

 ライヘルの表情が凍る。

 調べていることを、誰かに気づかれたのか。

 それとも、こちらを試しているのか。

 彼は紙片を慎重に封じ袋へ入れ、魔力灯を消した。

 王都の夜は、相変わらず静かだった。

 けれどその静けさの奥で、何かが動き始めている。

 遠い村でミラが触れたものは、やはりただの伝承ではなかった。

 消された記録。

 封じられた試し石。

 白刃紋。

 守護騎士候補。

 ライヘルは妹への手紙を封じながら、低く呟いた。

「ミラ。これは、お前が思っているよりずっと危険な話かもしれない」

 封蝋が固まる。

 その赤い印の上で、魔力灯の残り火が一瞬だけ揺れた。





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