王宮の翳り 3
同じ頃、セヴラン・ノックスの研究室にも、ベルトランからの文が届いていた。
黒い封蝋ではない。
侯爵家の上品な銀の封蝋。
セヴランはそれを見ただけで、少し退屈そうに笑った。
「侯爵閣下は、相変わらず飾った言葉がお好きですね」
封を開く。
文面は丁寧だった。
――観察とやらが、王宮の火種を育てるためのものでないことを願っている。
――研究成果を欲するならば、その器を御しきれる範囲に留めるべきだ。
――王家の白き象徴が再び語られる事態は、貴殿にとっても望ましくないはずである。
セヴランは読み終え、微笑んだ。
「政治家はすぐに壊したがる」
そばにいた研究員が尋ねる。
「返答は」
「丁寧に」
セヴランは筆を取った。
――侯爵閣下のご懸念は、理解しております。
――ただし、未成熟な現象を破壊することは、得られるはずの価値を損ないます。
――守護騎士候補と白花の治療師は、今まさに相互干渉の段階にあります。
――いま刈り取るのは、芽吹きの瞬間に果実を求めるようなもの。
――どうか、しばし観察の猶予を。
書きながら、セヴランは楽しげだった。
ベルトランは政治を見ている。
ガレスは保身を見ている。
だが、二人とも分かっていない。
今、グレイル村からリンドル、西の街道へと動いている二つの光は、ただの危険ではない。
白花の治癒。
守護騎士の白刃。
黒棘術式。
黒輪。
封じられた右腕。
それらが互いに触れ合い、変化し始めている。
この瞬間を壊すなど、愚かにもほどがある。
「ベルトラン侯爵は、王家の象徴を恐れている」
研究員が言う。
「ええ」
「ガレス副団長は、騎士団の火種を恐れている」
「ええ」
「先生は?」
セヴランは黒い水晶盤を見た。
盤面の中で、遠い西の街道に白い小さな点が二つ揺れている。
「私は、何が生まれるのかを知りたいだけです」
その声は穏やかだった。
その穏やかさが、何よりも冷たかった。
王宮の夜。
ベルトランは自室で二通の返答を受け取った。
ガレスからは短い報告。
――騎士団外の手で追跡中。対象は西へ移動。殺害ではなく再封じを優先。
ベルトランは眉を寄せた。
「再封じ、か」
温い。
そう思った。
守護騎士など、存在するだけで危険なのだ。
生かしておけば、またどこかで光る。
だが、ガレスにはガレスの事情がある。
殺せば騎士団内で火がつくという判断は、間違ってはいない。
問題は、もう一通だった。
セヴランからの返答。
観察の猶予を。
その一文を読んだ瞬間、ベルトランの顔から表情が消えた。
「あの男……」
紙を握る指に力が入る。
守護騎士を育てるなと言っているのに、セヴランは観察を続けるつもりだ。
ガレスは殺せない。
セヴランは壊したがらない。
王宮儀典局の記録には触れにくい。
騎士団長は目を覚ましかけている。
ならば。
ベルトランは机の上に置かれた小さな銀鈴を鳴らした。
すぐに、側近が入ってくる。
「お呼びでしょうか」
「西方の荘園にいる者へ連絡を」
「どちらの」
「ハルム村に近い方だ」
側近の目がわずかに動いた。
「対象は」
「若い旅治療師と、右腕を負傷した元騎士」
ベルトランはゆっくり言った。
「ガレスの手とは別に、こちらでも見ておく」
「接触しますか」
「まだだ」
ベルトランの目が冷える。
「ただ、王家の白い噂がどれほどのものか、確かめる」
側近が頭を下げる。
ベルトランは窓の外を見た。
王宮の夜空は澄んでいた。
どこまでも静かで、どこまでも美しい。
その美しい王宮の奥で、腐敗した貴族たちが、白い光を恐れて動き始めている。
エリオット・バーンスタンは、まだ王都へ戻ってもいない。
ミラ・コックスは、まだ自分の力の意味を知らない。
それでも、二人の歩みはもう、騎士団、魔術院、王宮の奥を静かに揺らし始めていた。




