物証便の攻防 1
王都へ向かう薬草荷車は、小さな橋の手前で止まっていた。
夕暮れが近い。
街道の両脇には低い草地が広がり、その先に細い川が流れている。橋は古く、荷車一台が通るには十分だが、二台がすれ違うには少し狭い。
その橋の手前に、壊れた荷馬車が一台、斜めに道を塞いでいた。
車輪が外れたように見える。
荷台には布袋が積まれ、男が二人、困ったように頭をかいている。
薬草商の御者、マルクは手綱を握ったまま、遠くから声をかけた。
「困りごとかい」
男の一人が振り返った。
「ああ、見ての通りだ。車輪がやられちまってな。悪いが、少し手を貸してくれないか」
よくある話だった。
街道で荷車が壊れることは珍しくない。
旅人同士が助け合うのも珍しくない。
だが、マルクは荷車を進めなかった。
オリヴァー・コックスの言葉を思い出していた。
――道を塞ぐ事故には近づかない。
――善意を試される時ほど、荷を守ってください。
――相手が本当に困っているなら、こちらが近づかずとも助ける方法はあります。
マルクは少し距離を保ったまま言った。
「車輪なら、予備の楔と縄がある。そこへ投げるから、自分たちで直せるかい」
男たちの表情が、ほんの少しだけ変わった。
一瞬。
本当に困っている者なら、助かったと喜ぶ場面だ。
だが、男たちは互いに視線を交わした。
「いや、悪いが、こっちは腰をやっちまってな。近くまで持ってきてくれないか」
「腰をやったにしては、さっきからよく動いている」
マルクは静かに答えた。
男の顔から、困った旅人の色が薄れた。
橋の下で、何かが動く。
草の中にも、別の影。
マルクは手綱を握り直した。
「荷を狙うなら、相手を間違えたな」
「薬草商が、ずいぶん用心深いじゃないか」
男が低く笑った。
「ただの薬草ならな」
もう一人が合図をした。
橋の下から、灰色の外套を着た男が二人現れる。草地からも一人。合計五人。
騎士ではない。
剣の構えも、姿勢も違う。
だが、荒事に慣れた動きだった。
マルクは荷台へ手を伸ばした。
そこには乾燥薬草の袋が積まれている。
その一番上に、小さな鈴が結ばれていた。
彼が紐を引くと、鈴は鳴らなかった。
代わりに、荷台の横に仕込まれた細い筒から、白い煙が低く噴き出した。
白石粉を混ぜた煙。
風に乗って、道を塞いでいた男たちの足元へ広がる。
「何だ、これは!」
「吸うな!」
男たちが後ずさる。
その隙に、マルクは馬を大きく右へ寄せた。
道を戻るのではない。
橋の手前で脇道に入る。
あらかじめ決めていた退避路だった。
草地の向こう、低い丘の陰から、一人の女がその様子を見ていた。
王都側の私的な連絡員の一人、セリアだった。
彼女は騎士団員ではない。
アルベルトの古い伝手で動く、表には出ない目だ。
護衛ではない。
見張り。
マルクの荷車が白煙を上げ、脇道へ逸れた瞬間、セリアは短く口笛を吹いた。
反対側の林から、もう一台の小さな荷馬車が動き出す。
それは、空の薪車に見える。
だが、荷台の奥にはもう一つの遮断箱が隠されていた。
オリヴァーは荷を二つに分けていた。
一台目は目立つ薬草荷車。
底板の下には、囮の遮断箱。
中には黒紙人形の灰の一部と、錠前の粉のごく少量。
奪われても痛手にはなるが、致命傷ではない。
本命は、薪車の荷台に積まれた古い薪束の中。
黒い蜜蝋の欠け。
木札の写し。
薄い金属片。
そして、三番倉庫の床下で拾った白石粉の黒変痕。
王都へ届けるべきものは、そちらだった。
セリアは丘を下りながら、もう一度口笛を吹いた。
薪車は進む。
王都へ向かって。
薬草荷車の方では、男たちが怒声を上げていた。
「逃がすな!」
「荷を見ろ!」
灰色の外套の男が二人、白い煙を避けながら荷台に飛びつく。
マルクは馬を急がせない。
急げば荷が跳ねる。
跳ねれば、狙われる箱が動く。
彼はわざと脇道の途中で馬を止めた。
追いついた男の一人が荷台に手をかける。
「ようやく止まったな」
「年寄りの薬草商にしては、よく走ったろう」
マルクはそう言って、荷台の端を蹴った。
乾燥薬草の袋が一つ、男の腕に落ちる。
袋が破れた。
中から乾いた薬草が舞う。
ただの薬草ではない。
眠気を誘う香草と、咳を誘う苦粉を混ぜたものだ。
「ぐっ、何だこれ!」
男が咳き込む。
別の男が荷台の底板を剥がそうとした。
そこには、小さな遮断箱がある。
「これだ!」
男が叫ぶ。
マルクは内心で息を吐いた。
見つけさせるための箱だった。
男たちは箱を引き抜くと、あっという間に後退した。
追う必要はない。
むしろ、追ってはいけない。
マルクは馬をなだめ、荷台を確認した。
囮の箱は奪われた。
薬草袋も二つ破れた。
だが、本命はこの荷車にはない。
それでも彼は、肩の力を抜かなかった。
敵は馬鹿ではない。
囮だと気づけば、必ず次を探す。




