符丁の手紙 1
王立魔術院の資料室で、ライヘル・コックスは妹から届いた手紙を読み返していた。
リンドル到着。
次の治療先は、ハルム村、レーンの森沿いの集落、サリア水車村。
エリオットの右手には、親指と人差し指の感覚が残っている。
ネロは亡くなった。
三番倉庫の物証は、父が回収した。
どれも重要な報告だった。
そして、どれも平文で書かれていた。
「……まずいな」
ライヘルが呟くと、向かいの机で禁術資料を読んでいたオルガ・フェンネルが顔を上げた。
「何が?」
「ミラの手紙です。リンドルの魔道具屋を信頼して、かなり率直に書いています」
「今まではそれで良かった。あの店主は信用できるし、実際に何度も助けられている」
「はい。でも、リンドルはもう安全な中継点ではなくなっています」
ライヘルは手紙を丁寧に畳んだ。
「三番倉庫に罠が仕掛けられていた。ガレス側の情報屋もリンドルに入っている可能性がある。セヴラン側も、黒い盤で周辺の反応を見ている。魔道具屋そのものを信用できても、そこへ届くまでの道が信用できません」
オルガは眼鏡の奥で目を細めた。
「つまり、次から符丁か」
「はい」
「妹さん、分かりやすく書く癖があるだろう?」
「あります」
「治療師としては良い癖だね。記録が正確だから」
「今は少し危険です」
ライヘルは新しい紙を取り出した。
書き出しはいつもの通りにした。
――ミラへ。
――報告を読みました。リンドルに無事着いたこと、エリオットさんの右手に感覚が残っていること、次の治療先が決まったこと、確認しました。
そこまで書いてから、少し筆を止める。
妹が旅先で読む手紙だ。
怖がらせすぎてもいけない。
けれど、甘く伝えてはいけない。
ライヘルは、ゆっくり続きを書いた。
――リンドルの魔道具屋は信頼できます。ですが、今後は手紙が安全に届くとは限りません。
――日常報告や患者の一般症状はそのままで構いません。けれど、危険な固有名、術式名、移動先、証拠に関する内容は、必ず符丁を使ってください。
その下に、短い一覧を作る。
――黒い盤の先生、または黒鴉。
――西塔。
――剣の枝。
――黒い根。
――第三の荷札。
――運び手。
――白花。
――古井戸。
――水の道。
オルガが横から覗き込む。
「分かりやすいね」
「分かりにくすぎるとミラが困ります」
「ガレスは西塔か。ぴったりだ」
「名前を書かず、けれどこちらには分かる程度に」
「セヴランを黒鴉にしたのは?」
「黒い盤の先生だけだと、本人が読めば気づきます。黒鴉なら、少し抽象化できます」
「なるほど」
オルガは机の上の小さな遮断瓶を指で叩いた。
「オリヴァーさんからの物証便も、同じ符丁で目録を作った方がいい。届く前に奪われた場合、目録だけでも敵に中身を悟られにくくなる」
「はい」
ライヘルは別紙を用意した。
――第三の荷札、一式。
――黒蜜の欠片。
――棘紙の灰。
――古錠の粉。
――水の道の土。
――風の道の粉。
それぞれが、何を意味するかは、別便の短い符丁表で送る。
一つの手紙で全部が分からないように。
「ミラ、嫌がるかな」
ライヘルが小さく呟くと、オルガは少し笑った。
「嫌がるというより、真面目に全部覚えようとして寝不足になるんじゃないかい?」
「……ありそうです」
「なら、エリオットさん宛てにも書いておきな。治療数と同じく、符丁表も管理してくださいって」
ライヘルは思わず苦笑した。
「確かに、その方が効果がありそうですね」
同じ頃、騎士団本部では、アルベルト・レーヴェンがヴィクトル・グレインの証言記録を読み返していた。
机の上には、ヘルムートが整理した書類が並んでいる。
通行証の写し。
旅費仮払い台帳。
記録室外勤届。
王宮儀典局の試し石記録。
リンドル魔道具屋の証言。
グレイル村の現地記録。
そして、ヴィクトルの保護証言。
紙の上に並べると、ヴィクトルの言葉はところどころで綻んでいた。
「彼は、黒い幌の荷馬車について“聞いただけ”と言ったな」
アルベルトが問う。
ヘルムートがすぐに答えた。
「はい。実物は見ていない、と」
「だが、押収品七点の移送記録に、彼の確認印がある」
「確認印はあります。ただし、実物確認ではなく書類確認だったと言い逃れはできます」
壁際に立っていたユアン・クロフォードが、静かに言った。
「三番倉庫の物証が届けば、もう少し詰められます」
「木札の符号か」
「はい。もし木札の符号が、ヴィクトル卿の移送記録にある分類符号と一致すれば、“聞いただけ”では済まない」
アルベルトは目を閉じた。
焦りはある。
ガレスの名が見え始めている。
ヴィクトルは嘘を混ぜている。
セヴランの影もある。
だが、焦って踏み込めば、相手は証拠を消す。
「物証便はいつ届く」
アルベルトが尋ねると、ヘルムートが答えた。
「リンドルから王都へ向かう通常便ではありません。オリヴァー工房の取引路を使い、途中で二度荷を替える予定です。最短で二日。遅ければ四日」
「護衛は?」
「騎士団名義ではつけていません。つければ逆に目立ちます」
ユアンが続けた。
「代わりに、こちらの私的な連絡員を二人、別行程で動かしています。護衛ではなく、見張りです」
アルベルトは頷いた。
「よし」
そこで、扉が軽く叩かれた。
入ってきたのは、若い騎士だった。
「団長閣下。ヴィクトル卿が、追加で話したいことがあると」
ユアンの目がわずかに細くなった。
「このタイミングで?」
アルベルトも同じことを思った。
物証便が動き出した。
三番倉庫の情報が王都へ来る。
その直後に、ヴィクトルが追加証言を申し出る。
偶然とは思いにくい。
「通せ」
アルベルトは言った。




