表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
PR
159/194

王都から離れる道 2

物資の補充には時間がかかった。

 グレイル村で使った薬草、包帯、浄化布、白石粉。

 それから、反応針の予備。

 水を確認するための小瓶。

 簡易濾過布。

 エリオットの補助具用の白石片。

 店主と手伝いの少年が品を揃えていく間、ミラは薬草棚を見ていた。

 今度は、ただ見たいからではない。

 次の村で何が必要になるか、考えながら選ぶ。

「咳止め用は多めにします。熱病用の苦草と、鎮痛用の柳皮も。あと、高齢者の関節痛なら温湿布用の香草が必要ですね」

「良い判断だ」

 店主が言う。

 エリオットが帳面に書き留める。

「苦草、柳皮、温湿布用香草」

「エリオットさん、字は大丈夫ですか?」

「左手だから遅いが、読める」

「見せてください」

 エリオットは一瞬ためらったが、帳面を差し出した。

 文字は少し角張っていて、ところどころ線が震えている。けれど、丁寧だった。

 ミラは微笑んだ。

「読めます」

「ならいい」

「右手が戻ったら、右手でも書けるようになりますね」

 言ってから、ミラは少しだけ息を止めた。

 期待を乗せすぎたかもしれない。

 だが、エリオットは静かに右手を見た。

「……そうだな」

 その声は、怖がっていなかった。

 慎重ではある。

 けれど、拒んではいない。

 ミラは胸の奥が温かくなるのを感じた。

     

 その日の宿は、魔道具屋の紹介で取った。

 店の裏手にある小さな旅人宿で、清潔だが目立たない。大通りから少し外れていて、荷馬車の音も遠い。

 宿の主人が部屋の鍵を二つ出そうとしたところで、少し困った顔をした。

「申し訳ありません。今日は片方の部屋で雨漏りが見つかりまして。すぐ修理させますが、今夜は一部屋しか……」

 ミラは首を傾げた。

「私は構いません。エリオットさんは患者ですし」

 その瞬間、エリオットがはっきりと言った。

「俺が構います」

 ミラは瞬いた。

「え?」

「君が気にしないことと、俺が気にしないことは別だ」

 その声は穏やかだったが、きっぱりしていた。

 宿の主人が慌てる。

「簡易寝台を廊下側の小部屋に出せます。扉は内側から開けておけますし、衝立も」

「それでお願いします」

 エリオットは即答した。

 ミラは少し戸惑った。

「でも、エリオットさんの腕が」

「小部屋で問題ない。君は部屋を使え」

「患者なのに」

「元騎士でもある」

 その一言に、ミラは黙った。

 エリオットの中には、確かにまだ騎士がいる。

 剣を握れなくても。

 右腕が不完全でも。

 彼は女性と同じ部屋で不用意に寝起きすることを、当然とはしない。

 それは距離を置かれている寂しさではなく、丁寧に扱われている安心感だった。

「……ありがとうございます」

 ミラがそう言うと、エリオットは少しだけ目を伏せた。

「礼を言われることじゃない」

「でも、言います」

「そうか」

 宿の主人は二人を見比べ、微笑ましそうな顔をしてから、慌てて表情を戻した。

     

 夜、ミラは部屋の机でライヘルへの手紙を書いた。

 リンドル到着。

 次の治療先。

 ハルム村、レーンの集落、サリア水車村。

 エリオットの右手の状態。

 ネロの死の報告を受け取ったこと。

 そして、最後にこう書いた。

 ――エリオットさんは、助手として記録を手伝ってくれています。

 ――ただ、根本はやはり騎士なのだと思います。

 ――私が平気だと言っても、節度を守ろうとしてくれます。

 ――そういうところに、少し安心します。

 書いてから、ミラは筆を止めた。

 これは兄に書くことだっただろうか。

 少し迷って、消さずに残した。

 兄ならきっと、余計に心配する。

 でも、同時に安心もするはずだ。

 廊下側の小部屋から、紙をめくる音が聞こえる。

 エリオットも記録をつけているのだろう。

 ミラは少しだけ笑った。

 グレイル村へ来た時とは、何もかもが違う。

 自分も。

 彼も。

 二人の関係も。

     

 その同じ夜、リンドルの厩で、一人の男が馬の脚を見ていた。

 旅の商人を装った男だった。

 厩番が、何気なく話しかける。

「今日は王都方面からも西からも人が多いな」

「そうかい」

「右腕を吊った大きな男と、若い治療師の二人連れも来たよ。魔道具屋に入っていった」

 男は馬の蹄を見る手を止めなかった。

「怪我人か」

「元騎士みたいな歩き方だったな。右腕は駄目そうだったが、目つきが違う。治療師の方は小柄な娘さんだ。旅治療師らしい」

「へえ」

 男は銅貨を一枚、厩番に渡した。

「その二人、どちらへ?」

「西へ行くんじゃないか。ハルム村だの何だの、魔道具屋の小僧が言ってた」

「そうか」

 男は立ち上がった。

 夜の闇の中で、その目だけが冷えている。

 騎士団の者ではない。

 通行証も持たない。

 正式命令もない。

 だから、記録には残らない。

 男はリンドルの路地へ消えた。

 その報せは、翌朝には王都北区の古い屋敷へ届くことになる。

     

 翌朝、ミラとエリオットはリンドルを発つ準備を整えた。

 目的地はハルム村。

 王都からは、さらに遠ざかる道だった。

 ミラは街道の西を見た。

「王都から、離れますね」

「ああ」

「少し怖いです。王都には兄さんたちがいるのに」

「近づけば、敵にも近づく」

「はい」

「今は、離れることにも意味がある」

 エリオットは左手で帳面を持ち、右手を補助具の中で静かに休ませていた。

「治療を続ける。黒いものの痕跡を探す。俺の腕を壊さないよう、少しずつ進める。その間に、王都側が証拠を固める」

「はい」

「戻る時は、逃げ戻るんじゃない」

 彼は王都の方角を一度だけ見た。

「取り戻すために戻る」

 その言葉に、ミラの胸が震えた。

 エリオットの右腕。

 彼の騎士としての道。

 グレイル村で見つけた真実。

 ネロが残した物証。

 そして、王都の奥にいる黒い根。

 すべてを取り戻すために。

「行きましょう」

 ミラは言った。

 エリオットが頷く。

「ああ」

 二人はリンドルを出て、西の街道へ歩き出した。

 まだ恋ではない。

 けれど、並ぶ歩幅は以前よりずっと自然だった。

 旅治療師と、その助手見習い。

 患者と治療師。

 元騎士と、白花の力を持つ少女。

 いくつもの名を持ちながら、二人は次の村へ向かう。

 その背後で、見えない目が静かに動き始めていることを、まだ完全には知らないまま。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ