王都から離れる道 1
リンドルの街門が見えた時、ミラは思わず足を止めた。
石造りの大きな門。
行き交う荷馬車。
商人たちの声。
乾いた土と馬の匂い。
それから、どこか懐かしい薬草と金属の匂い。
グレイル村を発ってから一日半。
途中の宿場でネロの死を知らされ、胸に重いものを抱えたまま歩き続けてきた。けれど、リンドルの喧騒は、否応なく二人を現実へ引き戻す。
ここは人が多い。
物が集まる。
情報も集まる。
そしてきっと、敵の目もある。
「ミラ」
隣でエリオットが低く呼んだ。
「はい」
「門を入ったら、先に魔道具屋へ行く。寄り道はしない」
「分かっています」
「本当に?」
「本当に」
「薬草市を見たい顔をしていた」
「……少しだけです」
エリオットは責めるような顔をしなかった。
ただ、リンドルの門前に集まる人々へ視線を走らせている。右腕は補助具で固定され、左手には杖。彼は今、剣を持つ騎士ではない。
それでも、その目は騎士のままだった。
人の流れ。
荷馬車の位置。
路地の影。
こちらを見た者の視線の長さ。
ミラが見落とすものを、エリオットは静かに拾っている。
「見られていますか?」
ミラが小声で尋ねると、エリオットはほんのわずかに頷いた。
「まだ分からない。大きな街では、旅人を見る目は珍しくない」
「でも、警戒はする」
「ああ」
「助手というより、護衛ですね」
そう言うと、エリオットは少しだけ困ったように目を伏せた。
「護衛というほど動けない」
「でも、見てくれています」
「それくらいはできる」
短い言葉。
けれど、ミラはそれだけで少し安心した。
彼の右腕はまだ不完全だ。
親指と人差し指に感覚が戻り始めただけで、物を持てるわけでも、まして剣を振れるわけでもない。
それでも、彼は自分にできる守り方を探している。
それが、今のエリオットだった。
リンドルの魔道具屋に着くと、店主は二人を見るなり奥へ通した。
「無事で何より」
「お世話になりました」
ミラが頭を下げると、店主は首を横に振った。
「礼は後で。まず、座りな。顔色が悪い」
「私は大丈夫です」
「その言葉は、ここでは信じないことにしている」
すぐに言い返され、ミラは言葉に詰まった。
横でエリオットが静かに頷く。
「正しい判断です」
「エリオットさんまで」
「正しいものは正しい」
店主は少しだけ笑ったが、すぐ真面目な顔に戻った。
「オリヴァーさんから一部報告が来ている。三番倉庫の物証は回収済み。ネロという男は……」
「聞きました」
ミラは小さく答えた。
店主はそれ以上言わなかった。
代わりに、机の上へ地図を広げる。
リンドルを中心に、王都へ戻る東の街道。
グレイル村へ向かう北西の道。
そして、さらに西へ伸びる大きな街道。
「今後の道だが、王都へ戻るのはおすすめしない」
店主の言葉ははっきりしていた。
「王都側は動いている。けれど、あんた方が戻れば、敵の目も一気に集まる。今はまだ、王都へ入るには早い」
エリオットが頷く。
「俺も同じ意見です」
ミラは地図を見る。
「では、西へ?」
「そう。リンドルの先には、いくつか小さな村がある。さらに進めば、地方都市エルダントに着く。王都ほどではないが、薬草市場と療養院がある。旅治療師が拠点にするには悪くない街だ」
「エルダント……」
初めて聞く名前ではなかった。
魔術学校時代、地方治療師の研修記録で見たことがある。森と農村に囲まれた街で、慢性的に治療師が不足している地域だったはずだ。
店主は地図の上に小さな木札を三つ置いた。
「途中で治療依頼が三件ある」
「三件?」
「一つ目は、ハルム村。怪我人と高齢者の慢性痛が多い。黒いものの報告はない。普通の治療依頼だ」
普通の治療。
その言葉が、ミラの胸に少しだけ沁みた。
「二つ目は、レーンの森沿いの集落。薬草不足と熱病。こちらも、今のところ黒棘の報告はない」
「三つ目は?」
エリオットが尋ねる。
店主の顔が少し曇った。
「サリア水車村。井戸水に薄い曇りが出たという報告がある。ただ、グレイル村ほど強いものではない。念のため、反応針を持って向かう価値はあるだろうな」
ミラとエリオットは、同時に視線を交わした。
水。
黒根。
グレイル村で見つけたばかりの経路。
「行きます」
ミラが言うより早く、エリオットが静かに言った。
「順番を決めよう」
「はい」
彼は左手で帳面を開いた。
「まずハルム村。普通の治療依頼で、移動後の調整を兼ねる。次にレーンの集落。薬草の確認。最後にサリア水車村。黒反応の可能性あり」
ミラは目を瞬いた。
「エリオットさん、本当に助手みたいです」
「真似事だ」
「いえ、かなり助かります」
彼は少しだけ視線を逸らした。
店主はそのやり取りを見て、穏やかに笑った。
「良い相棒だな」
ミラは少し照れたように口を閉じた。
エリオットも何も言わなかった。
けれど、否定もしなかった。




