騎士団の外側 2
しばらく、誰も動かなかった。
倉庫の外で、村人たちが息を潜めている気配がする。
オリヴァーはゆっくりと手を離した。
白石布は黒く焼け焦げ、指先に嫌な熱を残している。
ネロの右手首には、黒輪が残っていた。
命を奪ったあとも、まるで役目を終えた道具のようにそこにある。
オリヴァーは、その輪を見て静かに言った。
「君の言葉も、残す」
罪は消えない。
ネロが運んだ荷で、グレイル村は傷ついた。
彼は金を受け取り、見ないふりをした。
その事実は変わらない。
けれど、最後に残したものもまた事実だった。
セヴランが「知らない男だ」と切り捨てても、三番倉庫の床下から出てきた物は消えない。
ネロが生きた痕跡は、証拠になった。
その日の夕方、オリヴァーはミラ宛ての手紙を書いた。
何度も書き直した。
父親として、何をどこまで伝えるべきか迷ったからだ。
だが、曖昧にしてはいけないと思った。
ミラはもう、ただ守られる子どもではない。
苦しいことも、真実として受け取らなければならない場所に立っている。
――ミラへ。
――ネロは亡くなりました。
――三番倉庫で、彼の言った通り物証を回収しました。黒い蜜蝋、符号の刻まれた木札、金属片、黒紙人形の灰です。
――戻った時、黒輪が暴走していました。抑制具と白石布で時間は稼げましたが、止めきれませんでした。
――彼は最後に、物が残ったことを知りました。
――そして、あなたに伝えてほしいと言いました。
――「自分は助けられるような人間ではなかった。でも、あいつの道具のままでは終わらなかった」と。
――ミラ。あなたが彼を救いきれなかったのではありません。彼は最後に、自分で選んで証拠を残しました。
――その選択を、私たちは無駄にしません。
筆を置いたあと、オリヴァーは深く息を吐いた。
ロアンは隣で王都へ送る証拠の目録を作っている。
ダリオは外で見張りに立っていた。
グレイル村の夜は静かだった。
けれど、その静けさの中に、ひとつの命が消えた重みが残っていた。
同じ頃、リンドルへ向かう途中の宿場で、ミラは父からの使いを受け取った。
夕食の前だった。
薬草茶を淹れていたミラの手が、封を見た瞬間に止まる。
オリヴァーの筆跡。
緊急ではない。
けれど、重い報告だとすぐに分かった。
エリオットが向かいの椅子から顔を上げた。
「読むか」
「はい」
封を開く。
読み進めるほどに、ミラの顔から色が消えていった。
ネロは亡くなりました。
その一文で、指が震える。
分かっていた。
危険だと分かっていた。
助けきれないかもしれないと分かっていた。
それでも、現実として書かれた文字は、胸に深く刺さった。
ミラは最後まで読んだ。
読み終えて、しばらく何も言えなかった。
エリオットは急かさなかった。
ただ、静かに待っていた。
「ネロさん……亡くなったそうです」
ようやく、ミラは言った。
「ああ」
「三番倉庫の証拠は、見つかったって」
「ああ」
「最後に……あいつの道具のままでは終わらなかった、と」
声が震えた。
ミラは手紙を握りしめる。
「私、助けられませんでした」
言ってしまってから、唇を噛んだ。
言わないようにしていた言葉だった。
けれど、出てしまった。
エリオットはゆっくりと答えた。
「君が救えなかった命じゃない」
「でも」
「黒輪を作ったのは君じゃない。締めたのも君じゃない」
「それでも、私は」
「ミラ」
エリオットの声は低かった。
怒っているのではない。
ただ、真っ直ぐに彼女を止める声だった。
「ネロは、最後に自分で選んだ。自分のために隠したものを、俺たちに渡した。使い捨てられるだけでは終わらないと決めた」
ミラは目を伏せた。
「その選択まで、君の失敗にするな」
胸の奥が痛んだ。
けれど、その痛みは少しだけ違っていた。
自分を責める痛みではなく、ネロが最後に残したものを受け取る痛み。
ミラはゆっくり頷いた。
「……はい」
エリオットは左手で杯を差し出した。
「飲め」
ミラは少しだけ笑いそうになった。
こんな時でも、彼は薬草茶を差し出す。
「記録しますか?」
「する」
「ひどいです」
「必要だ」
ミラは杯を受け取った。
温かい薬草茶の香りが、少しだけ呼吸を助けてくれた。




