騎士団の外側 1
グレイル村へ戻る道で、オリヴァーは一言も話さなかった。
荷馬車の中には、三番倉庫で回収した遮断箱がある。
黒い蜜蝋の欠け。
符号の刻まれた木札。
薄い金属片。
黒紙人形の灰。
錠前についた黒い粉。
どれも小さなものだ。
だが、小さすぎるからこそ、消される前に拾えたことに意味があった。
ネロの言った通りだった。
証言では足りない。
物を見ろ。
それは、あの男が自分の命綱として隠していたものだった。
そして今は、セヴランへ繋がる細い糸になるかもしれない。
だが、その糸を拾った瞬間、ネロの黒輪が暴れた。
それもまた、予想していた。
予想していても、胸の中の重さは変わらなかった。
「師匠」
ロアンが荷台の奥で震える声を出した。
「間に合いますか」
オリヴァーはすぐには答えなかった。
御者台のダリオも黙っている。
馬車の車輪が、乾いた道を鳴らす。
「分からない」
ようやく、オリヴァーは答えた。
「でも、戻る」
グレイル村では、手順が動いていた。
倉庫の外には白石粉の輪が二重に撒かれ、村人たちは決められた距離から近づかない。診療所から運ばれた反応針は黒く染まっているが、見張りの者は焦らず、記録板に時刻を書いていた。
ネロの発作。
黒輪反応、第三段階。
オリヴァー不在。
白石布、外側から使用。
水分補給なし。
無理に発話させない。
昨日教えたばかりの手順だった。
それを、村人たちは守っていた。
オリヴァーが馬車から降りると、村長が駆け寄ってきた。
「オリヴァーさん」
「中は」
「まだ息があります。ただ、輪が……」
村長の声が震えた。
オリヴァーは頷き、遮断箱をロアンに渡した。
「この箱は診療所へ。絶対に開けない。白石粉の輪の内側に置いて」
「はい」
「ダリオさん、倉庫の入口を」
「ああ」
オリヴァーは白石布を手に、倉庫へ入った。
ネロは床に倒れていた。
右手首の黒輪は、抑制具の下で脈打っている。
黒い糸が喉へ、胸へ、そして空気の中へ伸びかけては、白石布に阻まれて焼けるように消えていた。
抑制具は持ちこたえている。
けれど、持ちこたえているだけだった。
術者本人が本気で締めている。
その事実が、反応針の震えから分かった。
「ネロ」
オリヴァーは膝をついた。
ネロの目が、かすかに開く。
焦点は合っていない。
だが、声は聞こえているようだった。
「……見つけた、か」
掠れた声。
オリヴァーはすぐに答えた。
「見つけた」
ネロの喉が震えた。
「床下」
「ああ。入口から右、三枚目。釘が新しかった」
「……罠」
「あった。釘に仕込まれていた。黒紙の人形もいた」
ネロの口元が、わずかに歪む。
笑おうとしているのだと分かった。
「先生らしい」
「黒い蜜蝋、木札、金属片を回収した。灰も、錠前の粉も。王都へ送る」
ネロは荒く息を吸った。
黒輪が締まる。
オリヴァーはすぐに白石布を重ねた。だが、黒輪の奥から伸びる力は弱まらない。
「俺の……口じゃ、足りねえ」
「ああ」
「でも、物は……」
「残った」
ネロの目が少しだけ開いた。
「なら」
その先は、咳に飲まれた。
黒い靄が口元から漏れる。
オリヴァーは浄化布で受け、白石粉の皿へ置いた。
靄はすぐに黒い筋を残して消える。
ネロは、ほとんど息だけで言った。
「俺の勝ち、だな」
オリヴァーは喉の奥が詰まるのを感じた。
勝ち。
こんな状態で。
命を握られ、床に倒れ、名を出すことすらできずに。
それでも、この男は最後に自分の意志で何かを残した。
使い捨ての駒として終わるのではなく。
「そうだね」
オリヴァーは静かに言った。
「君の勝ちだ」
ネロは目を閉じた。
その表情から、ほんのわずかに力が抜けた。
「治療師ちゃんに……」
黒輪が強く脈打つ。
オリヴァーは身を乗り出した。
「話さなくていい」
「言っとけ……」
ネロは息を絞った。
「俺は……助けられるような人間じゃ、なかった」
オリヴァーの手が止まる。
「でも……あいつの、道具のままじゃ……終わらなかったって」
それきり、言葉は続かなかった。
黒輪が一度、強く光った。
反応針が甲高い音を立てて割れる。
ダリオが入口で息を呑む。
オリヴァーは最後まで白石布を押さえていた。
けれど、黒輪の奥の力は、布も抑制具も越えてネロの喉を締め切った。
やがて、倉庫の中が静かになった。
黒輪の脈動が止まる。
ネロの呼吸も、止まっていた。




