三番倉庫の黒い迎え 2
三番倉庫は、リンドルの西側にあった。
大きすぎず、小さすぎない。商人が一時的に荷を預けるための倉庫だ。木造の壁は古く、屋根の一部には新しい補修跡がある。
倉庫の周りには人通りが少ない。
ダリオはまず周囲を歩き、足跡と視線を確認した。
「正面には入るな」
彼は低く言った。
「なぜです」
ロアンが尋ねる。
「正面扉の前だけ、砂が綺麗すぎる。昨夜のうちに均した跡がある」
「足跡を消した?」
「それもある。だが、踏ませたい場所を作った可能性もある」
オリヴァーは頷いた。
「裏の搬入口から入ろう」
店主が顔をしかめる。
「裏の鍵は古い。開けにくい」
「その方がいい」
ダリオが言った。
「罠を仕掛けるなら、通りやすい方を使わせる」
裏口へ回ると、たしかに錠前は錆びついていた。店主が手間取りながら開ける。その間、ロアンは足元に白石粉を細く撒き、オリヴァーは反応針を手にしていた。
扉が開いた瞬間、空気がわずかに動いた。
埃っぽい倉庫の匂い。
その奥に、かすかな黒蝋の甘い匂いが混じっていた。
オリヴァーは中へ入らず、まず反応針を差し入れた。
針先は薄曇り。
強い反応ではない。
だが、何かがある。
「ロアン、入口に吸着布」
「はい」
ロアンが棒の先につけた吸着布をゆっくり床へ滑らせる。布の端が一瞬だけ黒く染まり、すぐに薄くなった。
「床に反応あり」
ダリオが先に入り、壁際を確認する。
「人はいない。だが、天井を見る」
彼は短剣の柄で梁を軽く叩いた。
埃が落ちる。
その中に、細い黒い紙片が一枚、ひらりと舞った。
ロアンが息を呑む。
黒い紙片は床に落ちる前に、ふっと燃えた。
灰すらほとんど残さない。
「見張りか」
ダリオが低く言う。
「もうこちらの入室は知られたかもしれない」
オリヴァーは表情を変えなかった。
「なら、なおさら急がず正確に」
入口から右。
三枚目の床板。
ネロの言葉通り、そこには一本だけ新しい釘が打たれていた。
だが、オリヴァーはすぐには近づかなかった。
「ロアン、床板の周囲に白石粉を輪にして」
「はい」
「店主さん、倉庫の外にいてください」
「しかし」
「中にいる人数を減らしたい」
店主は頷き、扉の外へ下がる。
ダリオは床板の対角に立ち、短剣ではなく長い鉄具を構えた。
「何か出たら叩く」
「叩く前に、私に一呼吸ください」
「一呼吸だけな」
ロアンが緊張した顔で白石粉を撒き終えた。
オリヴァーは長い金属鉗子で新しい釘に触れた。
その瞬間、釘が黒く濡れたように光った。
「やはり」
オリヴァーは手を止めた。
床板ではなく、釘が罠だった。
ネロが隠した時には、釘はただの目印だったのかもしれない。
だが昨夜、誰かがこの釘に術式を仕込んだ。
ロアンが青ざめる。
「師匠、どうします」
「釘を抜かずに床を開ける」
「そんなことできます?」
「やる」
オリヴァーは工具を変え、床板の端を慎重に持ち上げ始めた。
古い木が軋む。
白石粉の輪が、じわりと黒く染まる。
何かが床下から息をしているようだった。
板が指一本分浮いた瞬間、黒い糸が釘から飛び出した。
狙いはオリヴァーの手ではない。
床下だった。
「証拠を燃やす気だ!」
ロアンが叫ぶ。
オリヴァーは即座に白石布を差し込んだ。黒い糸が布に絡み、じゅっと音を立てる。
ダリオが鉄具で釘を打ち、床板ごと押さえ込む。
ロアンは震える手で吸着板を差し入れた。
黒い糸は床下へ潜ろうとしたが、白石粉の輪と吸着板に阻まれた。
「今!」
オリヴァーは床板をわずかに上げ、鉗子を差し込んだ。
中にあったのは、小さな布包みだった。
黒い蜜蝋で封じられている。
その横に、欠けた木札。
さらに、薄い金属片が一枚。
鉗子で布包みを掴んだ瞬間、黒い蜜蝋がひび割れた。
「割るなと言われたのに!」
ロアンが半泣きで叫ぶ。
「割れたんじゃない。割らされた」
オリヴァーは布包みを白石粉の皿へ落とした。
黒い蜜蝋から、棘のような細い紋が浮かび上がる。
それは、グレイル村の黒い粉に見えた術式の筋とよく似ていた。
そして、エリオットの右腕に残る反応を記録した図とも。
完全な一致ではない。
だが、同じ根を持つものだ。
ロアンが木札を覗き込む。
「文字……ですか?」
欠けていて読みにくい。
だが、焼き印のような符号が残っている。
――三。
――西。
――脇。
そして、もう一つ。
棘の輪の中に、小さな黒い点が七つ。
「七つ」
オリヴァーが低く言った。
「黒塗り木箱七つ」
王都側の記録と繋がる。
ヴィクトルの移送記録。
押収品七点。
消えた二点。
三番倉庫。
グレイル村の脇坑。
点が、線になり始めている。
その時、倉庫の奥で何かが落ちた。
金属の小さな音。
ダリオが即座に振り向く。
「伏せろ!」
黒い針が、奥の暗がりから飛んできた。
ダリオが鉄具で弾く。針は床に刺さり、黒い靄を噴いた。
白石粉の輪が一瞬で黒く染まる。
ロアンが咳き込みかけ、オリヴァーがすぐに濾過布を口元へ押し当てた。
「吸うな!」
倉庫の奥で、黒い影が揺れた。
人ではない。
紙と糸で作られた、人形のようなもの。
黒紙の体。
細い針の手。
顔のない頭。
迎え。
セヴランが置いたもの。
ダリオが前に出る。
「職人たちは下がれ」
「燃やされる前に回収を」
「俺が時間を稼ぐ」
黒紙の人形が、音もなく床を滑った。
狙いは人ではない。
白石粉の皿に置かれた布包みだった。
「証拠を消す気です!」
ロアンが叫ぶ。
オリヴァーは皿ごと遮断箱へ滑り込ませた。
その瞬間、人形の針が箱へ伸びる。
ダリオの短剣が、その手を切り落とした。
黒い紙片が舞い、燃える。
だが、人形は止まらない。
もう片方の針がロアンへ伸びた。
ロアンは動けなかった。
オリヴァーが手を伸ばすより早く、ダリオが体を入れた。
針がダリオの外套を裂く。
外套の裏に縫い込まれていた白石粉の布が、黒い針を受け止めた。
「退役しても、準備くらいはする」
ダリオは低く言い、短剣の柄で人形の胴を叩き潰した。
黒紙の人形は床に落ち、細い悲鳴のような音を立てて燃えた。
今度は灰が残った。
オリヴァーはすぐに灰を採取瓶へ入れる。
「これもサンプルにする」
ロアンは真っ青な顔で言った。
「師匠、今のでそこまで考えます?」
「後で震える」
「僕は今震えてます」
「それは正しい」




