三番倉庫の黒い迎え 1
グレイル村の朝は、手順の確認から始まった。
水場。
診療所。
坑道入口。
排水路。
ネロの隔離倉庫。
オリヴァーは、それぞれの場所を一つずつ回り、村人たちが昨日教えた通りに動けているかを確かめた。
水配りの記録板には、今朝の時刻と担当者の名が書かれている。
坑道入口の封印布は黒ずんでいない。
排水路の白石粉の輪も崩れていない。
診療所の換気具は安定して回っている。
完璧ではない。
だが、回っている。
「師匠、南の泉の反応は正常です」
ロアンが戻ってきて報告する。
「ありがとう。水場係に、午後も同じ手順で確認するよう伝えて」
「はい」
ダリオは見張りの若者たちへ短く指示を出していた。
「俺たちがいなくなってもやることは変わらん。怪しい人影を見ても追うな。鐘を鳴らせ。三回だ。追いたくなったら、昨日の俺の顔を思い出せ」
「はい!」
「声が大きい。見張りは目立つな」
「……はい」
若者たちは少し縮こまった。
オリヴァーはその様子を見て、小さく笑った。
村は、不安を抱えながらも動き始めている。
ならば、次は三番倉庫だ。
出発前、オリヴァーはネロの黒輪抑制具をもう一度確認した。
倉庫の中で、ネロは壁にもたれている。
昨夜より顔色は悪い。黒輪は静かだが、その静けさがかえって不気味だった。
「今日、リンドルへ行く」
オリヴァーが言うと、ネロは薄く目を開けた。
「やっとか」
「村の手順を確認する必要があった」
「真面目なことで」
「君の抑制具も二重にした。白石布はこのまま外さない。発作時の手順は村人にも伝えた」
「俺の心配か?」
「命の管理だよ」
ネロはかすかに笑った。
「職人っぽい言い方だな」
「治療師の父親でもあるからね」
「治療師ちゃんは?」
「もうリンドルへ向かっている。エリオット君と一緒に」
ネロの目が少しだけ動いた。
「そうか」
短い返事だった。
安心したのか、寂しいのか、恐れているのか。
オリヴァーには判断できなかった。
ネロは目を閉じ、掠れた声で言う。
「三番倉庫。入口から右、三枚目」
「分かっている」
「釘が一本だけ新しい」
「覚えている」
「床板を上げる前に、白い粉を撒け」
「そうする」
「黒い蜜蝋は割るな。焦って触るな。あれは、封じゃねえ。印だ」
その言葉に、オリヴァーは眉を動かした。
「印?」
「たぶん、荷の行き先を見分けるための印だ。箱に貼られてた札と同じ匂いがした」
黒輪がわずかに脈打つ。
オリヴァーは反応針を見た。
まだ震えはない。
「もういい。話さないで」
「……見つけろよ、職人さん」
「見つける」
オリヴァーは立ち上がった。
倉庫を出る直前、ネロがぽつりと言った。
「もし空だったら、罠だ」
オリヴァーは足を止める。
「なぜそう思う」
「先生は、空っぽの箱を置くのも好きだからな」
黒輪が熱を持ちかけた。
ネロは歯を食いしばり、それ以上は何も言わなかった。
リンドルへ向かう道で、オリヴァーはその言葉を何度も思い返していた。
空だったら、罠。
ネロの言葉は曖昧だった。
だが、無視できない。
ロアンは荷台で道具箱を押さえながら、小声で言った。
「師匠、三番倉庫に何か仕掛けられていると思いますか」
「思う」
即答だった。
ロアンの顔が引きつる。
「もう少し希望のある返事がよかったです」
「希望は、準備をしてから持つものだよ」
「師匠、そういうところミラちゃんに似てますね」
「逆だと思う」
御者台のダリオが前を見たまま言った。
「似た者親子だろう」
オリヴァーは否定しなかった。
リンドルの町が見え始める頃、空は薄く曇っていた。グレイル村ほど重くはない。だが、町の上にもどこか落ち着かない気配がある。
中継地点。
荷が集まり、人が交わり、噂が流れる場所。
だからこそ、黒いものも紛れやすい。
リンドルの魔道具屋に着くと、店主は三人を奥へ通した。
「来ると思っていました」
「三番倉庫の件です」
オリヴァーが言うと、店主はすぐ頷いた。
「昨日の夜、妙なことがあった」
ロアンが顔を上げる。
「妙なこと?」
「三番倉庫の番人が、夜半に強い眠気を覚えたそうだ。酒は飲んでいない。持病もない。朝になって倉庫の鍵を確認すると、開けられた痕はないが、錠前に黒い粉が少し付いていた」
ダリオの目が細くなる。
「誰かが入ったな」
「おそらく」
店主は小さな布包みを出した。
「錠前から拭い取った粉です。触ってない」
オリヴァーが反応針を近づける。
針先が薄く曇った。
「同系統だ」
ロアンが息を呑む。
「もう先に来られてる……」
「あるいは、待っている」
ダリオは短く言った。
店主は棚から三番倉庫の鍵を取り出した。
「倉庫番には、今朝から別の用を与えて離している。周囲に怪しい者がいないか、私の方でも見てはいるが……」
「見えない者を置かれている可能性がある」
オリヴァーは静かに言った。
「だから、焦らずに入ります」




