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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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グレイル村を発つ日 3

 村の外れまで、村人たちが見送りに来た。

 北側の井戸へ続く道ではなく、南の泉へ向かう道を通る。今のグレイル村にとって、一番安全な道だった。

 村長が最後に深く頭を下げた。

「どうか、お気をつけて」

「村長さんたちも」

「はい」

「無理に井戸を戻そうとしないでください。反応が落ちるまでは、必ず南の泉で」

「分かっています」

「患者さんの黒根は、焦らずに」

「ええ」

「坑道の布が黒くなったら」

「棒で外し、白石粉の桶へ」

「子どもたちは」

「柵の内側へ近づけません」

 ミラは思わず笑った。

「もう、私が言う前に答えられますね」

 村長も少しだけ笑った。

「何度も教わりましたから」

 その笑みを見て、ミラはようやく安心した。

 完全ではない。

 でも、ここには続ける力がある。

 ミラは深く頭を下げた。

「お世話になりました」

 村人たちがざわめく。

「こちらこそ!」

「治療師さん、ありがとう!」

「エリオットさんも!」

「無理しないでくださいよ!」

 最後の声に、エリオットが少しだけ目を瞬いた。

 村の子どもが手を振っている。

 エリオットは左手で小さく応えた。

 右手ではない。

 けれど、その表情は以前より少し柔らかかった。

     

 村を離れてしばらく歩くと、グレイル村の屋根が少しずつ小さくなっていった。

 ミラは何度も振り返りそうになり、そのたびに前を向いた。

 エリオットは何も言わなかった。

 ただ、歩調を合わせてくれている。

 それだけで十分だった。

「リンドルまでは、途中で一泊ですね」

 ミラが言う。

「ああ。無理に進まない」

「エリオットさんの右腕もあるし」

「君の体力もある」

「私は大丈夫です」

「その言葉は信用しない」

「ひどい」

「実績がある」

 ミラは言い返せなかった。

 エリオットは左手で小さな帳面を取り出した。

「今日の移動記録は俺がつける」

「本当に助手みたいですね」

「真似事だ」

「助かっています」

 ミラがそう言うと、エリオットは少しだけ黙った。

 それから、低く答える。

「俺も、助けられている」

 風が吹いた。

 グレイル村の灰色の空気とは違う、街道の風だった。

 ミラは前を向いた。

「リンドルへ戻ったら、魔道具屋さんで物資を補充して、次の治療先を確認しましょう」

「ああ」

「父さんたちは三番倉庫を調べるんですよね」

「危険だが、必要だ」

「ネロさんの残したものを、無駄にしないためにも」

「ああ」

 少し沈黙が落ちた。

 ネロのことを考えると、胸が重くなる。

 けれど、その重さも連れていくしかない。

 助けきれないかもしれない命。

 それでも残された証拠。

 使い捨ての駒として終わらせないための、小さな抵抗。

 ミラは白花のペンダントを握った。

「エリオットさん」

「何だ」

「私たち、次の村でもちゃんとやれますか」

 エリオットは少し考えた。

 そして答える。

「グレイル村に来た時よりは、やれる」

 その言葉に、ミラは顔を上げた。

「全部分かっているわけじゃない。俺の腕も不完全だ。君の力も、まだ危うい。王都には敵がいる」

「はい」

「でも、俺たちは前より手順を知っている。記録も取れる。無理を止めることも、少しは覚えた」

「少しは、ですか」

「君はまだ怪しい」

「エリオットさんもです」

 二人は顔を見合わせた。

 そして、どちらともなく小さく笑った。

 恋と呼ぶには、まだ静かすぎる。

 けれど、信頼は確かにあった。

 患者と治療師。

 守られる者と守る者。

 それだけではない。

 互いの足りないところを補い、危ない時には止め、できることを記録し、次へ繋げる。

 相棒。

 その言葉が、今の二人には一番近かった。

     

 一方、グレイル村では、オリヴァーたちが出発の準備を始めていた。

 ミラとエリオットを見送った後も、休む時間はなかった。

 三番倉庫。

 リンドルの中継地点。

 ネロが隠したという封印札の欠片。

 黒い蜜蝋。

 箱の符号。

 それを調べなければならない。

 オリヴァーはネロの黒輪抑制具をもう一度確認した。反応針は薄曇り。昨夜よりは落ち着いているが、安心できる状態ではない。

「明日の朝、リンドルへ向かう」

 オリヴァーが言うと、ネロは薄く目を開けた。

「遅い」

「今日動けば、村の管理確認が中途半端になる」

「真面目だな」

「職人だからね」

 ネロは小さく笑った。

「三番倉庫の床、入口から右、三枚目。釘が新しい」

「覚えている」

「黒い蜜蝋は、割るな。触るな。白い粉の上に置け」

「それも覚えている」

「俺の言うことなんか信じるなよ」

「信じてはいない」

 ネロの口元が歪む。

「いいね」

 オリヴァーは静かに続けた。

「だが、君が残した物は確認する」

 ネロは目を閉じた。

「ならいい」

     

 その夜、リンドルの三番倉庫に、一人の男が近づいていた。

 顔は深い帽子で隠れている。

 手には小さな黒い封蝋。

 足音は静かで、倉庫番に気づかれない。

 男は扉の前で立ち止まり、懐から薄い黒紙を取り出した。

 そこには、棘のような細い紋が描かれている。

 セヴランの研究室から伸びた、黒い線の先。

 男は扉に手をかざした。

 内側から、微かに黒い反応が返る。

 三番倉庫の床下には、まだ何かが残っている。

 男は静かに笑った。

 消すべきか。

 置いておくべきか。

 命令は一つだった。

 迎えを置いておけ。

 倉庫の中に、黒い影が滑り込む。

 グレイル村を発ったミラとエリオットがリンドルへ向かう頃、別の場所では、ネロの置き土産を巡る次の罠が、静かに口を開けようとしていた。

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