右手の兆し 3
夜、ミラはライヘルへの報告を書いた。
――エリオットさんの右手親指、人差し指に随意反応あり。
――黒輪の遠隔命令糸と思われるものに反応。白刃状光が発現。
――黒輪本体は解除できず。ネロさんは生存。
――痛み四、熱は手首から肘。肩への上昇は軽度。
――回復の兆し。ただし再現禁止。
――王都の資料、試し石記録、禁術解析が必要と思われます。
最後に、少し迷ってから一文を足した。
――私は、グレイル村に残りたい気持ちがあります。
――でも、ここで分かったことを次へ繋げなければ、同じことが別の場所で起きるとも分かっています。
書いた瞬間、胸が少し痛んだ。
それが今の本音だった。
診療所の外では、村人たちが今日も水の記録をつけている。
北側の古井戸には封印布。
排水路には白石粉の輪。
坑道入口には吸着板。
まだ不完全だ。
でも、村は持ちこたえている。
エリオットが、彼女の隣に来た。
「書けたか」
「はい」
「俺のことも?」
「もちろん」
「悪いことばかり書いていないだろうな」
「良いことも書きました。右手が動いたこと」
エリオットは、自分の右手を見た。
補助具に包まれた手。
ほんの少し戻った手。
「まだ、これだけだ」
「これだけ、ではありません」
ミラは静かに言った。
「ずっと動かなかったんです。今、少しでも戻ったなら、それは大きなことです」
エリオットは黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「ああ」
その声は、少しだけ掠れていた。
遠く王都。
黒い水晶盤の前で、セヴラン・ノックスは目を細めていた。
盤面には、白い刃が黒い遠隔糸の先を切った瞬間の残響が残っている。
そして、もう一つ。
エリオットの右手に生まれた、わずかな白い反応。
「動きましたか」
セヴランは楽しげに呟いた。
研究員が青ざめた顔で言う。
「封じが緩んでいます。危険では」
「危険ですよ」
セヴランは微笑んだ。
「ですが、二年前に封じたものが、どのようにほどけるのか。これほど貴重な観察はありません」
「ガレス閣下は、怒るでしょう」
「怒らせておけばいい」
セヴランは盤面に指を添えた。
「守護騎士候補。白花の治療師。黒輪の末端駒。職人の抑制具。実に良い組み合わせです」
黒い盤の中で、ネロの黒輪が弱く脈打つ。
セヴランはそれを見て、つまらなそうに一瞥した。
「ただ、あの運び屋はそろそろ邪魔ですね」
研究員が口を閉ざす。
セヴランは、まるで机の上の不要な紙片を見下ろすように言った。
「三番倉庫の方も、少し掃除が必要でしょう」
黒い線が、リンドルの方角へ伸びていく。
グレイル村で生まれた希望の兆しと同じ夜、別の場所では、証拠を消すための影が動き始めていた。




