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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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捨て駒の置き土産 3

診療所へ戻ったオリヴァーの顔を見て、ミラはすぐに立ち上がった。

「ネロさんは?」

「命はある」

「何があったの?」

 オリヴァーは少しだけ迷った。

 だが、隠すことではない。

「三番倉庫だ」

 ミラの目が見開かれる。

「リンドルの?」

「ああ。ネロが、そこに物証を隠したらしい。床下に、封印札の欠片と黒い蜜蝋の痕跡」

「物証……」

 ミラは手を握った。

「ネロさんが?」

「保身のために隠したものだと言っていた」

 エリオットが静かに続けた。

「だが、今は俺たちに託した」

 ミラは言葉を失った。

 ネロは罪を犯した。

 黒い荷を運んだ。

 グレイル村を危険に巻き込んだ側の人間だ。

 けれど、彼もまた黒輪で縛られ、捨てられようとしている。

 そして今、捨てられる前に抗おうとしている。

「ネロさんは、自分が処分されると思っているんですね」

 ミラが言うと、オリヴァーは静かに頷いた。

「そうだね」

「私たちが村を離れたら」

「危険は増す」

 はっきりした答えだった。

 ミラは唇を噛んだ。

 残れば、ネロはしばらく生きるかもしれない。

 けれど、ミラが残り続けることはできない。

 村も、エリオットの右腕も、王都の黒幕も、他の被害地も待ってはくれない。

 また、抱えようとしている。

 その自覚があった。

 エリオットが静かに言った。

「ミラ」

「はい」

「残ることだけが、守ることではない」

 その言葉は、まるで彼女の心の中を読んだようだった。

「ネロが残そうとしているものを、無駄にしない。それも守ることだ」

 ミラは目を伏せた。

「……はい」

 オリヴァーが続ける。

「三番倉庫は私たちが調べる。君は患者の治療と、村に手順を残すことに集中しなさい」

「でも、父さんたちも危険です」

「だからダリオさんがいる。リンドルの店主も協力してくれる。危険はあるが、君が全部行く理由にはならない」

 ミラは深く息を吸った。

「分かりました」

 その返事は、少し震えていた。

 けれど、引き受ける声だった。

     

 その日の午後、グレイル村ではまた新しい手順が増えた。

 ネロの黒輪発作時の対応。

 近づくのは、オリヴァーかロアン。

 ミラは呼ばれるまで入らない。

 反応針が震えたら、白石布を外側から当てる。

 水を飲ませない。

 無理に話を聞かない。

 発作後は記録する。

 村人たちは、黙って聞いていた。

 ネロを快く思っていない者もいる。

 当然だ。

 黒い荷に関わった男。

 村を苦しめた者たちの一人。

 それでも、彼が倉庫で死ぬことを望む空気はなかった。

 ミラはそれを感じて、胸が痛くなった。

 グレイル村は傷つけられた。

 それでも、誰かが目の前で苦しむのを当然とは思わない。

 だからこそ、この村を実験場にした者たちが許せなかった。

     

 夕方、ミラは三人目の治療を終えた。

 約束通り、それ以上は診ない。

 まだ診たい患者はいた。

 けれど、軽症者は薬草茶と水管理で様子を見る。村人たちも、そう理解し始めている。

 ミラが診療所の外へ出ると、広場では水配りの記録板に、村の娘が丁寧に文字を書いていた。

 南の泉。

 反応なし。

 配水済み。

 異常者なし。

 その文字を見て、ミラは少しだけ笑った。

 続けられる形ができつつある。

 完全ではない。

 けれど、一歩ずつ。

 隣にエリオットが来た。

「少し、進んでいるな」

「はい」

「三番倉庫の件も、進めば王都側と繋がる」

「ネロさんの証言だけでは足りないから」

「ああ。物が必要だ」

 ミラは空を見た。

 灰色の雲の切れ間から、薄い夕陽が差している。

「ネロさんは、助からないと思ってる」

「そうだな」

「でも、助けたいと思ってしまう」

「それは君の悪いところではない」

 エリオットは静かに言った。

「ただ、助けたいと思うことと、全部を背負うことは違う」

 ミラは彼を見た。

「最近、エリオットさんは私の兄さんみたいなことを言います」

「それは困る」

「困るんですか?」

「少し」

 エリオットは真面目に答えた。

 ミラは思わず笑ってしまった。

 重い一日だった。

 それでも、少しだけ笑えた。

     

 夜、オリヴァーは臨時封印庫で記録をつけていた。

 今日の項目は多い。

 水脈型の確認。

 村の水管理手順。

 ネロの証言。

 三番倉庫の床下。

 黒い蜜蝋。

 封印札の欠片。

 そして、黒輪の発作。

 彼は最後に、父親としてではなく、職人として一文を書いた。

 ――ネロ本人の証言のみでは、セヴラン側への追及は困難。

 ――物証の回収必須。

 ――三番倉庫調査を優先。

 ――ただし、ネロの生命維持は極めて不安定。術者が本格介入すれば抑制具では足りない可能性大。

 書き終えた後、しばらく筆を置けなかった。

 助けられる命と、助けきれない命がある。

 それを娘にどう伝えるべきか。

 オリヴァーは静かに息を吐いた。

「まだ、諦めるわけじゃない」

 小さく呟く。

 それはネロのためか、ミラのためか、自分でも分からなかった。

     

 同じ頃、遠く王都の黒い研究室で、セヴラン・ノックスは水晶盤を見下ろしていた。

 盤面の端で、細い反応が揺れている。

 黒輪。

 ネロの命に繋がる、黒い輪。

「余計なことを話しましたね」

 セヴランは穏やかに言った。

 そばの研究員が尋ねる。

「処分しますか」

 セヴランは少し考えるように、指を盤面へ添えた。

「まだです」

「なぜ」

「治療師は、まだ村にいる。守護騎士候補も」

 黒い盤の中で、白い小さな光が二つ揺れている。

「彼らがどこまで気づくか、見ておきましょう」

 研究員は黙った。

 セヴランは微笑む。

「ただし、あの運び屋が残したものを拾われるのは、少し面白くありませんね」

「三番倉庫ですか」

「ええ」

 セヴランの目が細くなる。

「ガレス側も、リンドルの倉庫までは消し忘れているでしょう。なら、少しだけ急がせましょうか」

 黒い盤の上で、リンドルの方角に細い黒い線が伸びた。

 その時、グレイル村の倉庫で眠るネロの黒輪が、ほんのわずかに熱を持った。

 彼は眠ったまま、苦しげに眉を寄せる。

 まだ処分ではない。

 けれど、猶予が短くなったことを、黒い輪だけが知っていた。



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