捨て駒の置き土産 2
倉庫の中は、白石粉と乾いた木の匂いがした。
ネロは壁にもたれ、右手首を抱えるようにして座っている。黒輪抑制具のおかげで顔色は少し戻っているが、目の奥の疲れは深かった。
オリヴァーが一定の距離を取って膝をつく。
「私を呼んだそうだね」
ネロは薄く笑った。
「治療師ちゃんを呼ぶと、あんたら全員うるせえだろ」
「賢明な判断だ」
エリオットは入口に立ち、黒輪の反応を見ている。
ネロはその視線に気づき、少しだけ顔を歪めた。
「見えるのか」
「少し」
「便利だな」
「便利ではない」
「そうかよ」
ネロは息を吐き、それからオリヴァーを見た。
「あんた、三番倉庫って聞いたことあるか」
オリヴァーの目が細くなる。
「リンドルの?」
「ああ」
黒輪が、ほんのわずかに脈打った。
エリオットが低く言う。
「ゆっくり話せ。無理に名前を出すな」
「分かってる」
ネロは手首を押さえた。
「俺は、あの黒い幌の馬車で、グレイル以外にも荷を下ろした。リンドルの三番倉庫だ」
「何を下ろした?」
「箱じゃねえ。いや、箱もあったかもしれねえが……俺が触ったのは、封のついた木札と、黒い蜜蝋の包みだ」
黒輪がまた脈打つ。
オリヴァーは反応針を近づけた。
第二段階。
だが、震えはまだない。
「続けられるか」
「短くならな」
ネロは歯を食いしばった。
「俺の口で言っても無駄だ。あいつは、俺なんか知らねえって言う。運び屋の一人が勝手にやったって言う。だから、物を見ろ」
あいつ。
先生。
セヴラン。
名前を出せないまま、ネロの目だけがその存在を示していた。
「三番倉庫に何か残したのか」
オリヴァーが問う。
ネロは頷いた。
「床下。入口から右、三枚目の板。釘が一本だけ新しい。そこに、札の欠けを隠した」
「なぜ」
「保険だよ」
ネロは笑った。
ひどく自嘲する笑みだった。
「俺みたいな下っ端は、いつでも捨てられる。だから、捨てられた時のために、少しだけ隠した。……まさか、こんな形で使うとは思わなかったけどな」
黒輪が強く脈打った。
ネロの顔が歪む。
「そこまでだ」
エリオットが言った。
「もう話すな」
「まだある」
「死ぬぞ」
「どうせ、そのうち死ぬ」
ネロの声は、淡々としていた。
オリヴァーの表情が険しくなる。
「ネロ」
「分かってるんだよ、職人さん」
ネロは右手首を見下ろした。
「治療師ちゃんと元騎士がここにいる間は、俺はまだ生かされてる。あいつは見てる。黒輪にあんたらがどう触るか、楽しんでる。だが、あんたらが村を離れたら、俺はただの喋る荷物だ」
倉庫の中が冷えた。
その言葉は、誰も否定できなかった。
「だから、先に渡す」
ネロは息を荒げながら続けた。
「俺の口じゃなく、物を追え。三番倉庫の床下だ。黒い蜜蝋の欠けもある。あれは、普通の封じゃねえ。箱と同じ匂いがする」
反応針が震えた。
エリオットが一歩前に出る。
「やめろ」
ネロの喉が締まり始めていた。
オリヴァーはすぐに抑制具の留め具を緩め、外側から白石粉を含ませた布を当てる。
「息を吐け。話すな」
「……見つけろ」
ネロは掠れた声で言った。
「俺を、知らねえって言わせるな」
それ以上は言葉にならなかった。
黒輪が脈打ち、抑制具が小さく軋む。
エリオットは護符を握りしめたが、右腕は動かさなかった。今ここで力を使えば、黒輪本体を刺激する。ネロの命を縮める可能性がある。
オリヴァーは処置を続ける。
しばらくして、反応針の震えが収まった。
ネロは壁にもたれたまま、荒い息をしている。
「……生きていますか」
エリオットが低く尋ねる。
「生きている」
オリヴァーは答えた。
「だが、かなり危ない」
ネロは目を閉じたまま、かすかに笑った。
「見つけろよ」
それだけ言って、意識を手放した。




