遅れて届く裏付け 1
王立魔術院の古文書庫は、朝から紙の匂いで満ちていた。
分厚い石壁に囲まれた部屋には、陽の光がほとんど入らない。高い窓から差し込む細い光が、棚に積まれた古い禁術資料の背をかすかに照らしている。
ライヘルは、目の前の写しを睨むように読んでいた。
隣では、オルガが古びた革表紙の冊子を開いている。
「……風媒型と水脈型」
オルガは低く呟いた。
その声に、ライヘルの手が止まる。
「ありましたか」
「ええ。嫌になるくらい、はっきりね」
彼女はページを慎重に押さえた。
紙は古く、端が脆い。だが、そこに書かれている内容は、今グレイル村で起きていることと恐ろしいほど噛み合っていた。
「黒棘術式。瘴気核を砕き、媒介に乗せて人の魔力路へ刺す。風媒型は肺腑に刺さり、黒棘となる。水脈型は喉より沈み、内側に黒根を伸ばす」
ライヘルの顔色が変わった。
「黒根……」
「ミラさんからの報告には、まだその言葉はなかったね」
「ええ。でも、グレイル村に排水路があるなら、水脈型が使われている可能性は高い」
ライヘルは拳を握った。
風だけではない。
水まで。
村人たちは、息をするだけでなく、水を飲むことで黒に触れさせられていた。
「煮沸は?」
「不十分」
オルガは即答した。
「普通の毒や病原なら熱で弱まることもある。でもこれは術式の欠片だよ。水に溶けているというより、水脈に“絡んでいる”。熱では切れない」
「では、白石粉の濾過と封印布」
「それから水源の遮断。井戸、排水路、地下水脈。水場を一つずつ反応針で確認する必要がある」
ライヘルはすぐに紙を引き寄せた。
筆を取る。
手がわずかに震えている。
妹が、そんな場所にいる。
患者を診ている。
エリオットの右腕を見ている。
ネロの黒輪にも触れている。
そのうえ、水まで汚染されているかもしれない。
考えれば考えるほど、胸の奥が冷たくなる。
けれど、震えている暇はなかった。
ライヘルは書き始めた。
――ミラへ。父さんへ。
――黒棘術式には、風媒型と水脈型が存在します。
――風媒型は肺や喉に黒棘状の反応を残し、水脈型は喉から腹部、魔力路の深いところへ黒根状の反応を伸ばします。
――もしグレイル村で、坑道に近づいていない者に喉痛や腹部違和感がある場合、井戸水または排水路由来の汚染を疑ってください。
――煮沸だけでは不十分です。井戸、排水路、地下水脈の使用を止め、反応針と白石粉で確認を。
――白石粉濾過、封印布、確認済みの水源への切り替えが必要です。
――水脈型は拡散が遅い一方で、生活圏に入り込むと排除に時間がかかります。村全体の復旧には長期対応が必要です。
そこまで書いて、筆先が止まった。
ライヘルはしばらく紙を見つめ、それからもう一文を足した。
――ミラ。怒りで治療数を増やさないこと。
――君が倒れても、セヴランは痛くも痒くもありません。困るのは患者と、君のそばにいる人たちです。
オルガが横から覗き込み、わずかに笑った。
「兄らしいね」
「怒られるかもしれません」
「怒れるなら、まだ元気ってことだ」
ライヘルは苦く笑った。
「元気でいてもらわないと困ります」
彼は封をし、さらにもう一枚、オリヴァー宛てに技術的な要点をまとめた。
風媒型。
水脈型。
黒棘。
黒根。
煮沸無効。
白石粉濾過。
水場封鎖。
排水路と脇坑の関係。
最後に、オルガが短い追記を書いた。
――水脈型は、術式核から離れても細く残ることがある。患者の症状が軽くても、再曝露を避けること。
――黒根は無理に引き抜かない。喉側から浮かせ、浅いところから順に処置すること。深部へ触れると反発の危険あり。
ライヘルはその追記を読んで、顔を強張らせた。
「危ないですね」
「危ないよ」
オルガは静かに言った。
「でも、ミラさんなら気づく。問題は、気づいたあとに無理をしないかだね」
「そこが一番心配です」
「父君がいるから、少しは止まるでしょう」
「父さんも無理をします」
「それは否定できないね」
二人は同時にため息をついた。




