役割を分ける朝 3
診療所へ戻ると、オリヴァーはその報告を聞いてすぐ地図を広げた。
グレイル村の古い鉱山図。
村長が倉庫から探し出してきたものだ。
線は古く、ところどころかすれている。
「大坑道がここ。村へ風が抜けているのが、この崩落部。脇坑は……」
ロアンが指を差す。
「こっちですね。古い排水路と繋がっている」
「排水路?」
ミラが聞き返す。
「坑道内の水を逃がすための細い道です。今は使っていないはずですが、雨で崩れたなら、そこから風や粉が回り込んでいる可能性があります」
オリヴァーの表情が厳しくなった。
「つまり、入口を封じても、脇坑側から漏れるかもしれない」
村長が青ざめる。
「では、どうすれば」
「慌てないでください」
オリヴァーは落ち着いて言った。
「まず、脇坑の外側に出入口が残っているか確認します。中には入りません。外から風の反応を見るだけです」
ダリオが頷く。
「明朝、俺が先に見る」
「私も行きます」
ミラが言うより早く、オリヴァーとエリオットが同時に言った。
「駄目だ」
「駄目です」
二人の声が重なった。
ミラは口を閉じる。
ロアンが小さく吹き出しそうになり、慌てて咳払いした。
オリヴァーは穏やかに続ける。
「ミラ、君は患者を診る。外の調査は父さんたちがする」
「でも、白花の反応が必要かもしれない」
「必要になったら呼ぶ。最初から危険な場所へ近づく必要はない」
エリオットも静かに言う。
「君が行けば、黒いものは君に反応するかもしれない」
「エリオットさんだって」
「だから俺も行かない」
ミラは彼を見た。
エリオットはまっすぐ言った。
「俺が行けば右腕が反応する。今は邪魔になる」
その判断を、彼はもう自分で言えるようになっていた。
ミラは少しだけ息を吐いた。
「……分かりました」
「良い判断です」
エリオットが言う。
「私の言葉を返すの、やめませんか」
「便利だからな」
そのやり取りに、空気が少しだけ和らいだ。
夜、ミラは今日の記録をまとめた。
――坑道入口に封印布、吸着板、白石粉による応急対策。流出量やや低下。
――診療所換気具の効果あり。直接治療二名、夕方一名予定。軽症者は薬草管理で安定。
――ネロ証言。箱は一つではない可能性。設置場所は大坑道ではなく古い脇坑。排水路との接続要確認。
――明朝、オリヴァー、ロアン、ダリオが脇坑外側を調査予定。ミラとエリオットは待機。
書き終えた後、ミラは筆を置いた。
やるべきことは増えている。
それでも、昨日までのような押し潰される感覚はなかった。
役割が分かれているからだ。
父が危険物を見る。
ロアンが道具を支える。
ダリオが外を守る。
村人たちが手順を守る。
エリオットが必要な時だけ黒いものの位置を伝える。
ミラは、患者を診る。
それぞれが、自分の手を伸ばす。
それだけで、村は持ちこたえられる。
少なくとも、今日一日は。
「ミラ」
エリオットが声をかけた。
「はい」
「夕方の三人目を診たら、終わりだ」
「分かっています」
「本当に?」
「本当に」
「記録する」
「それ、私の役目です」
「今日は俺が書く」
ミラは少し驚いた。
「左手で?」
「ああ」
「大変ですよ」
「君が無理をしない記録なら、書く価値がある」
真面目な顔で言われて、ミラは少しだけ困った。
そして、小さく笑った。
「では、お願いします」
エリオットは頷いた。
その左手の文字は、きっと少しぎこちない。
それでも、記録には残る。
今日、ミラが三人で治療を止めたこと。
エリオットが無理に感知しなかったこと。
村が、役割を分けて前に進んだこと。
その夜、臨時封印庫の前で、オリヴァーは二重遮断箱の反応を確認していた。
針先は薄曇り。
震えはない。
だが、箱の奥で、核がわずかに脈打つ気配があった。
坑道の奥。
古い脇坑。
二つ以上の箱。
黒い根は、まだ深い。
オリヴァーは記録帳に静かに書き込んだ。
――現地対策により流出は軽減。
――ただし、核と坑道奥の箱に微弱共鳴あり。
――脇坑調査必須。
――ミラには接近させない。
最後の一文を書いて、彼は少しだけ苦笑した。
娘は反論するだろう。
それでも、父としても職人としても、譲れないことがある。
グレイル村の夜は、昨日より少し静かだった。
しかし、静けさの奥で、黒いものはまだ眠っていない。
そして王都の闇もまた、静かに次の手を選んでいた。




