保護を求める男 3
ヴィクトルが別室へ連れて行かれた後、団長室には三人が残った。
アルベルトは椅子に座り、深く息を吐いた。
「私は、あの男の言葉をどこまで信じるべきだ」
その声には、悔しさがあった。
嘘をつく者と渡り合うことに慣れていない自覚があるのだろう。
ユアンは静かに答えた。
「信じなくていいと思います」
アルベルトが顔を上げる。
「使うのです」
ユアンは続けた。
「彼の証言を、記録と照合します。リンドルの証言、グレイルの記録、王宮儀典局の控え、通行証、旅費、馬車記録。嘘なら、どこかでずれます」
ヘルムートも頷いた。
「すでにいくつか矛盾があります。特に“実物を見ていない”という点。押収品移送時の確認印が残っていれば崩せます」
「確認印は見つかるか」
「探します。改ざんされている可能性があるので、写しや控えも」
アルベルトは目を閉じた。
「私は、ガレスを信じていた」
誰も何も言わなかった。
「いや、信じたかったのかもしれない。面倒なものを任せて、見ないで済ませた」
彼は拳を握る。
「その結果が、これだ」
ユアンは静かに言った。
「今、見ておられます」
アルベルトが彼を見る。
「遅すぎるかもしれないがな」
「遅くても、見ないよりはいい」
その言葉に、アルベルトは少しだけ苦く笑った。
「お前は、昔から言葉が少ないが、時々痛いところを突く」
「申し訳ありません」
「謝るな。必要だ」
アルベルトは机の上の紙を見た。
――バーンスタン。試し石。白光。忘れるな。
「エリオットを守るためにも、嘘を急いで断とうとしてはいけないな」
ユアンは頷いた。
「はい。焦れば、向こうの思う壺です」
「ガレスはヴィクトルを切ったように見せ、こちらへ投げ込んだ。そう見るべきか」
「その可能性が高いです」
「だが、ヴィクトル本人もガレスを完全には信じていない」
「ええ。あの怯えは本物です。ただし、こちらへの誠意ではありません」
アルベルトは静かに言った。
「保身か」
「はい」
「なら、保身のために本物の札を持っている可能性もあるな」
ユアンの目がわずかに動いた。
「私もそう思います」
ヘルムートが記録紙へ書き加える。
「ヴィクトル卿の私物、住居、記録保管先の確認許可を取りますか」
「取る」
アルベルトは即答した。
「ただし、合法的にだ。乱暴に動けば逆に足をすくわれる」
「承知しました」
黒い印章は、その日のうちに王立魔術院へ運ばれた。
受け取ったのは、オルガ・フェンネルだった。
彼女は印章を白い皿の上に置き、反応針を近づける。
針先が薄く曇る。
「なるほど。上品な首輪だね」
横にいたライヘルが顔をしかめる。
「ネロの黒輪と同系統ですか」
「かなり薄い。拘束ではなく監視に近い。特定の名や情報に触れると熱を持ち、術者側へ痕跡を返す仕組みだろうね」
「術者はセヴラン?」
「技術はセヴラン系。実際に誰が設置したかはまだ分からない」
オルガは印章を慎重に観察した。
「これを持ってアルベルト団長の前に来たのなら、ヴィクトルは本当に縛られている。ただし、被害者という意味ではない」
「自分から持っていた可能性も?」
「もちろん。首輪をつけられた犬が、噛まないとは限らない」
ライヘルは低く息を吐いた。
「厄介ですね」
「だから面白い、と言いたいところだけど」
オルガの顔から笑みが消えた。
「これは、かなり危険だ。ヴィクトルの証言を聞く時、この印章の反応を記録すれば、どの話題でガレスやセヴランが反応するか分かるかもしれない」
「逆に、こちらの関心も相手に伝わる」
「そう。使い方を間違えると、こちらの手の内が漏れる」
ライヘルは考え込んだ。
王都側も、グレイル村側も、少しずつ核心へ近づいている。
けれど、近づくほど、黒いものも反応する。
ミラたちが現地で経験していることと同じだ。
「ミラには、まだ知らせない方がいいでしょうか」
「知らせるべきだね。ただし、余計な不安を増やさない形で」
「父さん経由で」
「それがいい」
オルガは印章を白い布で覆った。
「ヴィクトルの嘘を剥がすには時間がいる。けれど、これは大きな手がかりだよ」
その夜、ヴィクトルは騎士団本部内の客室にいた。
保護という名の監視。
窓の外には見張り。
扉の前にも騎士。
食事は運ばれてくるが、外部との接触は禁止。
黒い印章は取り上げられた。
ガレスとの繋がりの一つが、切れた。
それは安堵でもあり、恐怖でもあった。
ガレスは、印章が取り上げられたことを知るだろうか。
知ったらどう動く。
ヴィクトルは椅子に座り、爪を噛みそうになるのをこらえた。
まだ終わっていない。
自分はまだ札を持っている。
自宅の隠し棚。
別宅の金属箱。
文具商に預けた封筒。
ガレスを売る札。
セヴランを匂わせる札。
自分を軽く見せるための札。
どれをいつ切るか。
それだけが問題だった。
「私は沈まない」
ヴィクトルは小さく呟いた。
その声は、自分自身を説得するように震えていた。
同じ頃、ガレスは副団長室で報告を受けていた。
ヴィクトルが団長室へ入った。
保護を求めた。
黒い印章を取り上げられた。
印章は魔術院へ送られた。
ガレスはしばらく黙っていた。
怒りはあった。
だが、それ以上に冷たい計算が戻ってきていた。
「ヴィクトルは、どこまで話した」
「詳細は不明です」
「そうか」
ガレスは窓の外を見た。
王都の灯りが並んでいる。
そのどこかで、アルベルトが記録を集めている。
ユアンが矛盾を拾っている。
魔術院ではオルガとライヘルが印章を調べている。
そしてグレイル村には、エリオットとミラがいる。
光を恐れるなら、光源を消せばいい。
だが、今は騎士団名では動けない。
ガレスは静かに言った。
「外の者を使う」
側近が顔を上げた。
「騎士団外、ですか」
「ああ。山賊でも傭兵でもない。もっと静かに動ける者だ」
「標的は」
ガレスは答えなかった。
だが、その目は西を向いていた。
グレイル村の方角を。
数日後。遠く、グレイル村では、ミラが父から届いた王都の追加報告を読んでいた。
ヴィクトルが団長側へ保護を求めたこと。
ただし、信用できないこと。
黒い印章が押収されたこと。
ガレス側が混乱していること。
そして、ライヘルの短い一文。
――ミラ。そちらでも、誰かが助けを求めてきたとしても、すぐに信用しないこと。助けることと信用することは別だと、君ならもう分かっているはずです。
ミラは手紙を畳んだ。
ネロのことを思い出す。
そして、エリオットが以前言った言葉も。
信用はしていない。
でも、死なせる理由にはならない。
ミラは静かに息を吐いた。
「兄さん、心配性ですね」
隣でエリオットが言った。
「正しい心配だ」
「はい」
ミラは頷いた。
「助けることと、信用することは別。……本当に、そうですね」
窓辺の反応針は、薄曇り。
グレイル村の夜は、昨日より静かだった。
けれど王都では、嘘が動き始めている。
その嘘がいつか、またこの村へ届くことを、二人はまだ知らなかった。




