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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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嘘を照らす記録 3

 夕刻、ヴィクトル・グレインは副団長室へ呼ばれた。

 ガレスは窓際に立っていた。

 夕陽の赤が、彼の横顔を暗く照らしている。

「ヴィクトル」

「はい」

「団長側へ行け」

 ヴィクトルは一瞬、意味を理解できなかった。

「……はい?」

「切られそうな駒を演じろ。怯えろ。私を疑っているように見せろ。だが、渡す情報は選べ」

 ガレスの声は平坦だった。

「団長は正義感でお前を保護する。ユアンは疑うだろうが、証人として扱わざるを得ない」

「私に、偽証人になれと」

「お前はもともと嘘が得意だろう」

 ヴィクトルの背中に冷たいものが走った。

「何を話せば」

「セヴラン側の動きを強調しろ。黒い幌の荷馬車、黒い盤、禁術派研究院。そこへ疑いを向ける」

「ガレス閣下の関与は」

「当然伏せる」

「二年前の件は」

「知らされていなかった。記録処理を命じられただけ。必要ならそう言え」

「それでは、私の責任は」

「軽くなる」

 ガレスは振り返った。

「お前が上手くやればな」

 ヴィクトルは唇を引き結んだ。

 分かっている。

 これは救いではない。

 新しい首輪だ。

 団長側へ逃げ込ませるふりをして、嘘を運ばせる。

 もし失敗すれば、ヴィクトルが勝手に偽証したことになる。

 成功しても、ガレスは自分を守る。

「承知しました」

 ヴィクトルは頭を下げた。

 ガレスは近づき、小さな黒い印章を机へ置いた。

「持っていけ」

「これは」

「証人としての怯えを演じるなら、少し本物の恐怖があった方がいい」

 ヴィクトルの顔が強張った。

 黒い印章。

 セヴランの術式ではない。

 だが、その技術を応用した監視具だと分かった。

 一定の言葉に触れれば、熱を持つ。

 誰に何を話したか、完全ではなくとも痕跡が残る。

 これを受け取った時点でヴィクトルには見えない魔術痕がついているだろうことは容易に想像できた。

「私を信用していないのですか」

 ヴィクトルが問うと、ガレスは薄く笑った。

「信用してほしいのか?」

 それで終わりだった。

     

 その夜、ヴィクトルは自宅の書斎に一人でいた。

 机の上には、ガレスから渡された黒い印章がある。

 それとは別に、彼は壁の隠し棚を開けた。

 中には、小さな金属箱。

 鍵を開けると、古い書類が数枚入っている。

 二年前の黒塗り木箱の移送記録の控え。

 押収品七点のうち、記録から消えた二点の受領控え。

 ガレスの私印が薄く残る命令書の写し。

 セヴラン側との受け渡し場所を示す符号紙。

 すべてではない。

 決定的と言い切るには足りない。

 だが、保険にはなる。

 ヴィクトルはそれを見つめ、口元を歪めた。

「誰が、ただ切られてやるものか」

 ガレスの命令通り、アルベルト側へ行く。

 怯えた証人を演じる。

 セヴラン側へ疑いを向ける。

 ガレスの名は伏せる。

 だが、それだけでは終わらない。

 もしガレスが自分を切るなら、この控えを使う。

 もしアルベルト側が勝ちそうなら、少しずつ本物を出す。

 もしセヴランが近づくなら、さらに別の嘘を用意する。

 生き残る。

 そのためなら、誰の側に立つこともできる。

 ヴィクトルは金属箱を閉じ、別の場所へ一部の写しを隠した。

 そして、黒い印章を懐に入れる。

 熱を持つような気がした。

 まるで、首筋に冷たい指を当てられているようだった。

     

 翌朝、ヴィクトルは団長室の前に立った。

 顔色は悪く見せた。

 実際、悪くもあった。

 扉番へ告げる。

「団長閣下へ、緊急の申し出があります」

 少しして、扉が開いた。

 中にはアルベルト。

 その後ろにヘルムート。

 そして壁際に、ユアン・クロフォード。

 ヴィクトルは内心で舌打ちした。

 ユアンがいる。

 厄介だ。

 だが、もう引けない。

 ヴィクトルは深く頭を下げた。

「団長閣下。私は……保護を求めます」

 アルベルトの目が鋭くなる。

「何からだ」

 ヴィクトルは、少しだけ震える声を作った。

「ガレス副団長と、禁術派の者たちからです」

 部屋の空気が動いた。

 ユアンは黙っている。

 ただ、ヴィクトルの顔ではなく、手元を見ていた。

 懐の内側。

 黒い印章がある位置を。

 ヴィクトルは微笑みそうになるのを必死で抑えた。

 さあ、ここからだ。

 嘘と真実を混ぜる。

 自分だけが沈まないように。

 だが、彼はまだ知らない。

 彼の言葉を待つこの部屋には、すでに通行証の写しがある。

 リンドル魔道具屋の証言がある。

 王宮儀典記録の写しがある。

 ミラの現地報告がある。

 そして、嘘を一人で受け止めるつもりの者は、もう誰もいなかった。

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