嘘を照らす記録 1
王都の朝は、薄い霧をまとっていた。
騎士団本部の中庭では、若い騎士たちが朝の訓練を始めている。木剣のぶつかる乾いた音が響き、号令が飛び、いつも通りの騎士団の朝が動き出していた。
だが、本部上層階の空気は、いつも通りではなかった。
騎士団長アルベルト・レーヴェンが出した命令によって、記録室、通行証発行所、厩、馬車管理、旅費精算係が一斉に動かされている。
グレイル村周辺への無許可接触の洗い出し。
表向きは、黒熱症状と瘴気汚染への対策。
だが、その裏にあるものを、関係者の一部はもう察し始めていた。
騎士団名を使い、正式命令なしに動いた者がいる。
そして、その背後に誰がいるのか。
アルベルトは団長室の机に座り、ヘルムートが持ってきた書類を一つずつ確認していた。
「通行証発行所からの写しです」
ヘルムートが机の上へ束を置く。
「直近十日間で、リンドル方面へ出た記録が三件。そのうち二件は正式な巡回任務。残る一件は、別件名で処理されています」
「別件名?」
「王都南部の療養者記録確認、となっています。しかし、実際の通行経路は西。リンドル方面です」
アルベルトは目を細めた。
「承認印は」
「ヴィクトル・グレイン卿です」
予想通りだった。
だが、予想通りであることと、それを証明できることは違う。
アルベルトは書類を手に取り、しばらく見つめた。
「原本は動かすな」
「はい。すでに写しを二部取りました。一部はこちらに。一部は封をして、私の管理棚へ」
「よし」
ヘルムートは淡々と頷いた。
こういう時、この男は頼りになる。派閥に属さず、感情を挟まず、命じられた記録を正確に押さえる。
ガレスのように華やかではない。
ヴィクトルのように器用でもない。
だが、記録を曲げない。
今のアルベルトには、それが何より必要だった。
「ユアンは?」
「リンドルから戻った商人に接触しています。魔道具屋の証言を得るつもりのようです」
「一人で動かせるな」
「はい。ただし、護衛名目で若い騎士を一人つけています。もちろん団長命令の調査補佐として」
アルベルトは頷いた。
ユアン一人の独断にしてはいけない。
ガレスが本気で潰しに来るなら、まず狙うのは実働役だ。
だから、すべてに団長命令の印を乗せる。
ユアンの動きも、ヘルムートの書類保全も、正式な命令の一部にする。
個人の疑いではない。
騎士団長としての調査だ。
「もう一つ、頼みがある」
アルベルトは立ち上がった。
「王宮へ行く。儀典局だ」
ヘルムートの眉がわずかに動く。
「騎士団の公式儀礼の記録ですか」
「ああ、騎士叙任式の時の記録を確認する」
「騎士団側ではなく、王宮側の」
「騎士団の記録は、すでに手を加えられている可能性がある」
アルベルトは机の隅に置いた紙を見た。
――バーンスタン。試し石。白光。忘れるな。
書くたびに頭痛がした。
だが、今はその痛みごと持っていくしかない。
「王宮儀典局の記録は、騎士団だけでは動かせない。そこに写しが残っていれば、ガレスでも簡単には消せない」
「同行しますか」
「いや。お前はここで書類を押さえろ。私が直接行く」
「副団長に知られます」
「知らせていい」
アルベルトの声は静かだった。
「私は王宮儀典記録を確認する。それ自体は団長権限でできることだ。隠す必要はない」
ただし、何を見るつもりかまでは話さない。
ヘルムートは深く頭を下げた。
「承知しました」
王宮儀典局は、騎士団本部とはまったく違う静けさに包まれていた。
磨かれた白い床。
古い儀式具を収めた硝子棚。
壁には王家の紋章と、歴代の即位式、叙任式、誓剣式の記録画が並んでいる。
王宮儀典官イレーネ・ヴァイスは、アルベルトの訪問を驚きながらも丁寧に迎えた。
年齢は四十代半ば。
銀灰色の髪をきっちりまとめ、隙のない礼服を着ている。
王宮の儀式と記録を守る者らしく、言葉遣いも所作も端正だった。
「二年前の新任騎士叙任式の記録、でございますね」
「ああ。騎士団側の整理と照合したい」
「承知しました。王宮控えをお持ちします」
イレーネは余計なことを聞かなかった。
それが逆にありがたかった。
しばらくして、彼女は革表紙の記録簿を運んできた。王宮側の儀典記録は、騎士団の実務記録よりも儀式の流れに重きを置いている。
参列者。
立会人。
誓剣順。
試し石の管理状態。
魔力灯の異常有無。
儀式後の保管確認。
アルベルトはページをめくった。
エリオット・バーンスタン。
名があった。
その横に、王宮儀典官の細い筆跡で小さな注記がある。
――第七番。試し石内部に微光。魔力灯反射の可能性。要確認。
アルベルトのこめかみに、鋭い痛みが走った。
だが、今度は目を逸らさなかった。
微光。
魔力灯反射の可能性。
要確認。
つまり、王宮側にも記録が残っていた。
「この注記を書いたのは」
アルベルトの声は少し掠れていた。
イレーネは記録簿を覗き込み、すぐに答えた。
「当時の副儀典官です。現在は北宮の保管室に異動しています」
「この件で、確認はされたのか」
「記録上は、騎士団側へ照会を出しています。回答は……」
イレーネは別の控えを開いた。
「魔力灯の反射、儀式上の異常なし。以後の対応不要、とあります」
「回答者は」
「騎士団記録室。承認印は、ヴィクトル・グレイン卿です」
アルベルトは静かに息を吐いた。
また、ヴィクトル。
そして、その背後にはおそらくガレス。
「この記録の写しを取りたい」
「もちろんです。ただし、王宮儀典局の写しであることを明記します」
「それでいい」
イレーネは少しだけアルベルトを見た。
「団長閣下。これは、騎士団側の記録と食い違っているのですか」
アルベルトはすぐには答えなかった。
だが、隠しすぎる場面でもなかった。
「食い違いがある可能性がある」
「承知しました」
イレーネはそれ以上聞かなかった。
ただ、記録簿へ白い布を掛け、慎重に写しの準備を始める。
王家の儀式記録は、騎士団の都合だけでは消せない。
アルベルトは、その事実にほんの少し救われた気がした。




