父の手 2
オリヴァーはまず、診療所代わりの空き家を確認した。
窓辺の反応針。
白石粉の位置。
浄化布の保管場所。
患者の寝台の並び。
風上と風下。
それらを一つずつ見て、頷く。
「よく考えて配置してある」
「リンドルから届いた道具のおかげです」
「使い方も間違っていない。むしろ、現地でよくここまで整えた」
ミラは少しだけ目を瞬いた。
褒められた。
父は普段から優しいが、道具の扱いや危険物の管理には厳しい。その父が、今の配置を認めた。
それだけで、胸の奥が少し軽くなる。
ロアンは換気具を窓辺に仮置きしながら、ミラを見て言った。
「ミラちゃん、また大変なところにいますね」
「ロアンさんも来てくださったんですね」
「師匠に呼ばれたら断れないよ。それに、こんな道具の使い方、現地で見ないと職人として気になる」
「ありがとうございます」
「お礼は、ちゃんと寝てからで」
ミラは返事に詰まった。
エリオットが横から低く言う。
「その通りです」
ミラは彼を見る。
「エリオットさんもです」
「分かっている」
「痛みは?」
「三。……時々四」
ミラが眉を寄せるより早く、オリヴァーが静かに言った。
「まず君の腕も見せてもらおう」
エリオットは少し戸惑った。
「俺の腕は、後で」
「後で悪化すると、ミラが無理をする」
穏やかだが、逃げ場のない言い方だった。
エリオットは一拍置いて、頷いた。
「お願いします」
オリヴァーは改良帯を確認した。
肩紐の位置。
手首の固定。
肘の角度。
揺れを逃がす革の遊び。
職人の目だった。
「応急としては悪くない。けれど、右腕に反応熱が出るなら、肩側の逃がしが足りない」
「反応熱?」
エリオットが尋ねる。
「ミラの報告にあった。瘴気を感知したり、白刃状の光が出たりした時、右腕の魔力路が熱を持つ。固定具が動きを止めるだけだと、熱と魔力の逃げ場がない」
オリヴァーは荷から小さな部品を取り出した。
「あとで調整しよう。今すぐ戦えるようにするものではない。むしろ、無理に動かさないための補助だ」
エリオットは少しだけ苦く笑った。
「それは助かります」
「無理をする自覚は?」
「……あります」
「なら大丈夫。自覚のない人より扱いやすい」
ミラはちらりと父を見た。
「父さん」
「何かな」
「それ、私にも言っていますか」
「少しだけ」
ロアンが小さく笑い、エリオットは視線を逸らした。
次に向かったのは、ネロが隔離されている倉庫だった。
入口には白石粉の輪があり、村人が二人、見張りに立っている。昨日の黒い糸の後、見張りはさらに慎重になっていた。
ネロは倉庫の隅に横たわっていた。
顔色は悪い。
だが、息はある。
右手首の黒い輪は、昨夜より少し薄くなっているものの、完全には静まっていなかった。
オリヴァーは倉庫の外から反応針を近づけた。
針先が黒く染まる。
「第二段階。まだかなり強い」
ネロは薄く目を開けた。
「……また、増えたのか」
オリヴァーは近づきすぎない距離で膝をついた。
「オリヴァー・コックスです。ミラの父で、魔道具職人です。君の手首の輪を完全に外すことはできない。だが、反応を鈍らせる道具は持ってきた」
ネロは乾いた笑いを漏らした。
「俺を助けて、何になる」
「それは後で考えよう。今は生きていた方がいい」
「親子だな」
ネロは目を閉じた。
「変なところが似てる」
オリヴァーは少しだけ笑った。
「よく言われる」
ミラは黒輪のそばに手をかざした。
「動きを抑えます。父さん、その間に」
「分かった」
エリオットが入口で目を細める。
「輪の内側から、細い糸が喉へ伸びている。今日は静かだが、触れ方を間違えると動く」
「位置を教えてください」
「ああ」
ミラが白花の光を細く流す。
黒輪はすぐに反応した。
しかし、昨日のように暴れはしない。
エリオットが低く告げる。
「今、手首の外側。そこは触るな。内側からならいける」
オリヴァーは頷き、黒輪抑制具を広げた。
柔らかい革布の内側に白石粉を縫い込み、外側には鉛銀糸が細かく走っている。締めつけるものではない。輪を押さえつけるのではなく、反応を外へ逃がさないための覆いだった。
ミラが光を保ち、エリオットが位置を告げ、オリヴァーが抑制具を巻く。
三人の呼吸が、自然と重なった。
「今です」
エリオットの声。
オリヴァーが留め具を閉じる。
黒輪が一度、強く脈打った。
ネロが苦しげに喉を鳴らす。
だが、次の瞬間、反応針の黒さがわずかに薄れた。
ミラは息を吐いた。
「落ち着きました」
「完全ではない」
オリヴァーは確認しながら言った。
「発作を遅らせるだけだ。話そうとすれば、また反応する可能性がある」
ネロは荒い息をしながら、手首を見た。
「……軽い」
「少しは楽になるはずだ」
「俺は、まだ喋れねえぞ」
「無理に喋らなくていい」
ミラが言うと、ネロは顔を背けた。
「ほんと、変な親子だな」
その声は、以前より少しだけ弱々しく、けれど毒が薄かった。




