救援の荷馬車 1
夜明け前の王都は、まだ青かった。
東の空が白むより早く、オリヴァー・コックスは工房の裏口で荷の最終確認をしていた。
小型換気具が二台。
白石粉を縫い込んだ封印布が三枚。
追加の反応針が六本。
隔離布。封印札。薬草。
黒輪の反応を抑えるための手首覆い。
そして、ミラへ宛てた手紙。
どれも必要なものだった。
けれど、足りない。
オリヴァーはそう思っていた。
坑道奥に残された箱型触媒源。
村全体に広がる黒熱症状。
エリオットの右腕。
ネロという運び屋の黒輪。
そして、娘の消耗。
工房の荷馬車一台で運べる道具には限りがある。
それでも、持てるだけ積むしかなかった。
「師匠、固定終わりました」
ロアンが荷台の奥から顔を出した。
無口な青年だが、昨夜からほとんど休まず動いている。換気具の歯車と白石粉の濾過布を何度も確認し、道中の揺れで壊れないよう、緩衝布まで追加していた。
「ありがとう。反応針の箱は手元に置いて」
「はい。あと、黒輪抑制具は別袋にしました。すぐ出せます」
「助かる」
オリヴァーは頷いた。
その声はいつも通り穏やかだったが、ロアンは知っていた。
師匠は焦っている。
ただし、焦りを手順に変えられる人だった。
裏口の方から、馬の鼻息が聞こえた。
御者台にいたダリオが振り向く。片目に古い傷のある、退役騎士の男だ。今は馬具職人として暮らしているが、手綱を握る姿には、まだ戦場の人間の気配が残っていた。
「馬は持つ。道中、替え馬を使えばリンドルまでは急げる」
「無理はさせないでください」
オリヴァーが言うと、ダリオは片眉を上げた。
「娘さんのところへ急ぐんじゃなかったのか」
「急ぎます。けれど、馬が倒れたら着けません」
「なるほど。あんた、いい指揮官になるな」
「職人ですよ」
「職人の方がよほど堅実だ」
ダリオは短く笑い、手綱を握り直した。
出発の直前、ライヘルが裏口へ駆け込んできた。
手には封書を持っている。
「父さん、これをミラに」
「追加の手紙かい」
「はい。昨日の夜、ユアンから団長命令の件が入りました。グレイル方面への無許可接触が禁じられています。騎士団側の動きは少し鈍るはずです」
オリヴァーは封書を受け取った。
「それは、あの子たちにとって良い知らせだ」
「ただし、セヴラン側は別です」
「分かっている」
「それと、エリオットさんの右腕について。白刃状の光が出た場合、直後の熱と痛みを必ず記録するよう書きました。無理に再現させないでください」
「させないよ」
ライヘルは父を見た。
「父さんも、無茶をしないでください」
「昨夜も聞いたね」
「何度でも言います」
オリヴァーは少し笑った。
そして、息子の肩に手を置く。
「ライヘル。王都を頼む」
「はい」
「ミラは私が見てくる」
その一言で、ライヘルの表情が少しだけ崩れた。
兄として、本当は自分が行きたい。
けれど、王都に残る役目がある。
「お願いします」
「ああ」
荷馬車が動き出した。
工房の裏路地を抜け、まだ眠る王都の外門へ向かう。
朝焼けの光が、荷台の白石粉の袋を淡く照らした。
王都を離れて最初の宿場町で、ダリオは馬を替えながら情報を拾った。
彼は騎士の顔ではなく、馬具職人の顔をしていた。
宿場の厩で、馬の脚を見ながら、厩番に何気なく尋ねる。
「このところ、西の鉱山道は混んでいるのか」
「混むほどじゃないが、妙な連中は通ったよ」
「妙な?」
「騎士団っぽい男たちだ。グレイル方面へ行くとか言ってたが、急に引き返してきた」
荷台で道具を確認していたオリヴァーの手が止まった。
ダリオは顔色を変えずに続ける。
「何かあったのか」
「さあな。団長命令がどうとか言ってた。正式な派遣じゃなかったんじゃねえか?」
「ふうん」
ダリオは馬の腹帯を締めた。
「他には?」
「黒い幌の荷馬車が前に通ったな。重そうな箱を積んでた。あれも西だ」
「いつ頃だ」
「何日か前。夜だった。金払いはよかったが、誰も荷には触らせなかった」
ダリオは礼を言い、銅貨を置いた。
馬車へ戻ると、オリヴァーが低く尋ねた。
「騎士団風の男たちは引き返した、と」
「ああ。団長命令が効いているらしい」
「それは助かる」
「だが、黒い幌の荷馬車は確かに通っている。宿場の者が覚えているくらいだ。重い箱を積んでな」
ロアンが顔をしかめた。
「グレイルの坑道に置かれた箱、ですよね」
「おそらく」
オリヴァーは西の空を見た。
まだ遠い。
けれど、その方角だけ雲の色が少し鈍く見える。
「急ぎましょう」




