二人で断つもの 2
だが、終わりではなかった。
外から別の声が上がる。
「治療師さん! 診療所の患者が!」
ミラは立ち上がろうとした。
膝が揺れた。
エリオットが左手で支える。
「ミラ」
「行かないと」
「俺も行く」
「駄目です。今ので右腕が」
「君だけなら倒れる」
その言葉に、ミラは息を呑んだ。
確かに、自分の足も震えている。
だが、患者がいる。
黒い糸が伸びているなら、止めなければ。
その時、村長が駆け込んできた。
「治療師さん、診療所の患者は入口側へ移しました! 教わった通り、浄化布と薬草湯を使っています。反応針は黒くなっていますが、震えは止まりました!」
ミラは目を見開いた。
「村長さんたちが?」
「はい。あなたに教わった通りに。今、村の者が窓を開け、白石粉を撒いています」
ミラの胸が熱くなった。
自分が行かなくても、村が動いている。
全部を抱えなくていい。
その意味が、今ようやく形になった気がした。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらです。ですが、あなたたちはもう座ってください」
村長の声は強かった。
「このままだと、治療師さんたちが倒れます」
エリオットが小さく息を吐いた。
「正論だな」
「はい」
ミラは悔しさと安堵が混じった声で答えた。
「正論です」
空き家へ戻ると、ミラはすぐにエリオットの腕を診た。
右腕は熱い。
手首から肘、さらに肩の近くまで熱が上がっている。
「痛みは?」
ミラが尋ねると、エリオットは少し黙った。
「……五に近い」
ミラの顔が強張る。
「なぜすぐ言わなかったんですか」
「言ったら止められると思った」
「止めますよ!」
「だから、言わなかった」
「エリオットさん!」
思わず声が強くなる。
エリオットは目を伏せた。
「悪かった」
謝罪が早かった。
それが余計に、ミラの胸を締めつける。
怒りたい。
けれど、彼が無理をした理由も分かっている。
ネロを助けるため。
ミラを守るため。
患者たちへ伸びた黒い糸を断つため。
でも、それで彼の腕が壊れてしまえば意味がない。
ミラは深く息を吸った。
「次は、ちゃんと言ってください」
「ああ」
「本当に」
「本当に」
「今の力は、まだ使っていいものではありません」
「分かっている」
「でも……」
ミラは彼の右手を慎重に包み込んだ。
「あなたの力は、失われていませんでした」
エリオットの目が揺れた。
右手の指は、今はほとんど動かない。
熱と痺れで、むしろ昼より悪く見える。
それでも、白い刃は確かに出た。
黒い糸を断った。
ミラが浮かせたものを、エリオットが断った。
一人ではできなかったことだ。
「君が見つけた」
エリオットが低く言った。
「私は浮かせただけです」
「俺は、君の光を辿っただけだ」
二人はしばらく黙った。
信頼できる治療師と、患者。
それは今も変わらない。
けれど、そこにもう一つ、確かなものが重なり始めていた。
互いの力を知り、足りないところを補う関係。
守る者と守られる者ではなく、支え合う者。
ミラは静かに言った。
「記録します」
「何を」
「二人でなければ、断てなかったことを」
エリオットは目を閉じた。
「……好きにしろ」
声は疲れていた。
けれど、拒んではいなかった。
その夜、グレイル村はかろうじて持ちこたえた。
患者たちの呼吸は安定し、ネロも命をつないだ。
坑道から伸びた黒い糸は一度退いた。
けれど、村を包む空気はまだ重い。
窓辺の反応針は、薄曇りに戻っただけだった。
完全には晴れていない。
ミラは帳面に記録を書いた。
――坑道側より黒糸状の侵入。ネロ黒輪および患者の黒棘に反応。
――ミラの白花治癒により黒糸を浮かせ、エリオットさんの護符より発現した白刃状光で切断。
――右腕を大きく動かさず発現。ただし負荷大。痛み五近く、熱肩まで。使用禁止。
――二人の力が重なった時のみ、黒糸の切断が可能と思われる。要検証。ただし現状では危険。
――村人が応急対応を実施。診療所患者の悪化を防ぐ。村全体で持ちこたえた。
最後の一文を書いて、ミラは筆を止めた。
村全体で持ちこたえた。
それは、確かな事実だった。
遠く王都。
黒い水晶盤の前で、セヴラン・ノックスは静かに笑っていた。
盤面には、先ほどまでの反応がまだ残っている。
白い治癒の線。
それに沿って走った、白刃のような光。
黒い糸が断たれた瞬間の反発。
「素晴らしい」
セヴランは呟いた。
若い研究員が青ざめた顔で盤を見ている。
「触媒糸が切断されました。守護騎士の力ですか」
「単独ではない」
セヴランの目は愉悦に細められていた。
「治療師が浮かせ、守護騎士が断った。二人が揃って、初めて届いた」
「危険では?」
「危険ですよ」
セヴランは微笑んだ。
「だからこそ、価値がある」
彼は盤面に指を添えた。
「ミラ・コックス。エリオット・バーンスタン」
その声は、甘く、冷たかった。
「あなた方は、私が思っていたよりずっと面白い」
黒い盤の奥で、グレイル村の反応が静かに揺れていた。




