旅治療師の期限 3
その日の昼過ぎ、ミラは次の村へ送る手紙と薬草の包みを村長へ預けた。
村長は丁寧に受け取り、隣町へ向かう若者に託すと言った。
「滞在の延長、本当に助かるよ」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「エリオットにも、少し変化があるんだろう?」
「はい。少しずつですが」
「そうか」
村長は遠くを見るような目をした。
「あの子が戻ってきてから、村の皆、どう接すればいいのか分からなかった。励ませば傷つける。放っておけば孤独にする。手を貸せば、自尊心を削る」
ミラは黙って聞いていた。
「君が来てから、あの子は少し変わったよ」
「私が、ですか」
「ああ。右腕だけじゃない。目が少し戻った」
ミラは返事に困った。
自分がそんな大きなことをしたとは思えない。
けれど、エリオットが布をつまんだ時の顔を思い出す。
悔しさの中に、確かに小さな火が戻っていた。
「私は、治療をしているだけです」
ミラがそう言うと、村長は優しく笑った。
「それが一番ありがたいんだよ」
その言葉を胸に、ミラは診療所へ戻った。
机の上には、エリオットの治療記録と、守護騎士の伝承を書き写した紙片が並んでいる。
ミラは椅子に座り、今日の記録を書いた。
――滞在延長決定。次の逗留先へ連絡。
――エリオット、右手で木片を押す動作成功。
――杯に右手を添え、温度感覚あり。
――騎士叙任時、試し石に白い筋を見た記憶あり。
――討伐記録に瘴気残滓が少ないとの指摘があった可能性。
――王都側の記録調査が必要。
そこまで書いて、筆が止まる。
兄に、いつ手紙を書くべきだろう。
ライヘルなら、王都の記録を調べられるかもしれない。
けれどそれは、エリオットの過去を再び王都へ差し出すことにもなる。
ミラは悩んだ末、別の紙を一枚取り出した。
まだ送るつもりはない。
ただ、整理するために。
――兄さんへ。
そこまで書いて、手が止まる。
何を書けばいいのか分からなかった。
エリオット・バーンスタンという元騎士を診ています。
彼の右腕には黒い瘴気が残っています。
村の治癒の女神の伝承と関わりがあるかもしれません。
私のペンダントが反応しました。
彼は守護騎士の末裔かもしれません。
どれも、あまりに突飛だ。
兄は信じるだろうか。
いや、信じるかどうかより、研究者として興味を持つだろう。
その時、ミラはぞくりとした。
ライヘルは優しい兄だ。
ミラを馬鹿にしたことはない。
けれど、王立魔術院の研究員でもある。
エリオットの腕を、症例として見てしまう可能性がある。
それは嫌だった。
ミラは書きかけの手紙を伏せた。
「まだ……もう少しだけ」
もう少し、村で調べる。
エリオットの状態を安定させる。
その上で、本人に確認してから兄へ相談する。
それが今のミラにできる、精いっぱいの誠実さだった。
窓の外を見ると、夕暮れの中、エリオットの家の方角に小さな灯りがともっていた。
ミラは胸元の白い花のペンダントに触れる。
彼の右手は、今日、杯の温かさを感じた。
たったそれだけ。
けれど、それは剣へ続く道の途中にある、確かな一歩だった。
ミラは帳面を閉じた。
契約の期限は延びた。
けれど、永遠ではない。
この村に残れる時間には限りがある。
だからこそ、その時間でできることをしなければならない。
治療も。
調査も。
そして、エリオットがもう一度自分の手を信じられるようになるまでの、小さな積み重ねも。
ミラは灯りをともし、明日の治療計画を書き始めた。




