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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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眠るための薬草茶 2

 薬草茶は、甘い香りがした。

 ミラは小さな鍋に湯を沸かし、乾燥させた眠り草、温め草、少しの蜂蜜を入れた。苦みが出ないよう短く蒸らし、二つの杯に分ける。

 部屋の中に、やわらかな湯気が広がった。

 灰色の風。

 黒い坑道。

 見えない追っ手。

 そのすべてから一瞬だけ距離を置かせるような、穏やかな香りだった。

 ミラは片方をエリオットへ渡す。

「熱いので少しずつ飲んでください」

「分かった」

「飲んだら、半刻以内には横になってください」

「君もな」

「はい」

 エリオットは杯を見下ろし、少し躊躇ってから口をつけた。

「甘い」

「苦い方がよかったですか?」

「いや。……悪くない」

「それはよかったです」

 ミラも自分の杯に口をつけた。

 温かい。

 喉を通ると、胸の奥の強張りが少しだけ緩む気がした。

 今まで自分がどれほど身体に力を入れていたのか、飲んで初めて分かる。

 エリオットも同じだったのか、杯を持つ左手から少し力が抜けた。

「眠くなるか」

「なります。でも、物音で起きられないほどではありません」

「ならいい」

「本当は、起きなくていいくらい眠ってほしいですけど」

「それは難しい」

「分かっています」

 ミラは小さく息を吐いた。

「村長さんに交代の見張りをお願いしましょう。反応針も二本置いてあります。黒い気配なら針が反応します。人の気配なら見張りの鐘があります。全部を私たちだけで見張る必要はありません」

「そうだな」

 エリオットは素直に頷いた。

 その素直さが、眠気のせいなのか、少しずつ身についてきたものなのか、ミラには分からなかった。

 けれど、どちらでもよかった。

    

 薬草茶を飲み終えたあと、ミラは最後の確認をした。

 封印箱は白石粉の輪の中。

 補強輪、隔離布、携行袋。

 反応針は封印箱のそばに一本、窓辺に一本。

 どちらも今は澄んでいる。

 ネロのいる倉庫には村長が見張りを増やした。

 坑道への道にも鐘を持った村人が立つ。

 診療所代わりの空き家の扉には、内側から簡単な掛け木をかけた。

 エリオットは入口側の寝台に座っていた。

 まだ横になってはいない。

「エリオットさん」

「分かっている」

 そう言いながらも、彼は外を見ていた。

 ミラは近づき、彼の右腕へ触れた。

「痛みは?」

「三」

「熱は?」

「少し引いた」

「薬草茶が効く前に横になってください」

「ああ」

「右腕に力が入ったら起こしてください」

「君も、悪夢を見たら起こせ」

 ミラは少し驚いた。

「悪夢?」

「父親の手紙にあった。悪夢、寒気、頭痛、護符やペンダントの過剰反応があれば箱を離せと」

「覚えていたんですね」

「必要なことだからな」

 ミラは少し笑った。

「では、そうします」

「食事は?」

「夕食は食べました」

「半分だった」

「……明日の朝、食べます」

「記録対象だ」

「本当に治療師みたいです」

「君がそうした」

 エリオットはそう言って、ようやく寝台に横になった。

 大柄な身体を折りたたむようにして横になる姿は、少し窮屈そうだった。

 ミラは掛け布を整える。

「眠れそうですか」

「分からない」

「目を閉じているだけでも違います」

「それも君に何度か言われた」

「良い患者さんになってきましたね」

「褒めるな」

 声には、いつもの力が少し足りなかった。

 薬草茶が効き始めているのだろう。

 ミラは燭台の火を小さくした。

「おやすみなさい、エリオットさん」

 エリオットは目を閉じたまま、少し遅れて答えた。

「……おやすみ、ミラ」

 ミラは一瞬、動きを止めた。

 けれど、エリオットはもう半分眠りに落ちかけているようだった。意識して呼んだのかどうかも分からない。

 ミラは小さく息を吸い、静かに自分の部屋へ戻った。

     

 ミラも横になると、身体が寝台へ沈み込むようだった。

 目を閉じるのが少し怖かった。

 閉じた途端、黒い靄や、坑道の奥の気配や、ネロの手首の黒い輪が浮かんでくるような気がした。

 それでも、薬草茶の温かさが、胸の奥をゆっくり緩めていく。

 父の道具がある。

 兄への手紙は出した。

 村人たちも見張ってくれている。

 エリオットは入口側にいる。

 反応針もある。

 全部を自分の手で抱えなくていい。

 そう思うたびに、少しずつ意識が遠くなった。

 眠りに落ちる直前、ミラはぼんやりと思った。

 明日も、まだ大変だ。

 でも、明日のために、今は眠らなければ。

    

 夜半、外で一度だけ風が鳴った。

 坑道の方から、低く長い音が村へ流れてくる。

 窓辺の反応針が、ほんのわずかに曇った。

 けれど、黒変はしない。

 震えもしない。

 封印箱のそばの針は澄んだままだった。

 入口側の寝台で、エリオットがわずかに眉を寄せる。

 右手の指が少し動きかけた。

 だが、彼は目を覚まさなかった。

 白花と剣の護符が、淡く温かく光り、すぐに静まる。

 奥の部屋で、ミラのペンダントも一瞬だけ温もった。

 それでも、彼女は眠っていた。

 久しぶりの、深い眠りだった。

 外では、村人が見張りの灯りを掲げている。

 坑道への道には鐘がある。

 倉庫の前にも、二人の男が交代で立っている。

 ミラとエリオットが眠っている間も、村は眠らなかった。

 彼らだけが戦っているわけではない。

 そう示すように、グレイル村の小さな灯りは、灰色の夜の中で静かに揺れていた。

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