第91話 閑話5 この世界線における信州長野と「信州ヴァルキリーズ」の歩み
「信州ヴァルキリーズ」というチームを語るには、まず、この世界の信州そのものについて触れておく必要がある。
元の世界の日本では、東京を中心とした首都圏に人や企業、資本、情報が集中する「一極集中型」の経済構造が大きな特徴となっていた。
しかし、この世界の日本は違う。
全国各地に巨大な都市圏が形成され、それぞれが独立した経済圏として発展しながら、交通網や情報網によって互いに強く結び付いている。
いわば、「多極分散型」の「巨大メガロポリス国家」として形成され、東京だけが日本の中心なのではない。
北関東州、関東州、関西州、北海州、奥州、北陸州、信州、甲越州、遠江近江州、近畿州、山陽山陰州、伊予二名州(四国)、九国州、沖縄南方諸島州――と各州地域に巨大都市圏が存在し、それぞれが独自の産業、文化、教育、医療、娯楽、そしてプロスポーツを育てている。
その中でも、独特の発展を遂げた地域の一つが「信州長野」だった。山々に囲まれた地形は、一見すれば巨大都市圏を形成するには不利にも思える地形である。
だが、この世界の信州長野は、その地理的な制約を逆手に取った。長野市と松本市という二つの巨大都市を中心に、県内各地の都市が高速交通網によって結ばれ、都市機能を分散させながら一つの巨大な経済圏を形成している。
長野市の人口は約120万人。
松本市も約100万人。
さらに、その周辺都市や地域を合わせれば、長野県全体で500万人を超える人口を抱える巨大メガロポリスとなっていた。
長野市と松本市を結ぶ高速鉄道。
県内各都市を縦横に結ぶ幹線道路と高速道路。
都市部を走る地下鉄。
広域輸送を担う新幹線。
そして国際空港。
山岳地帯の中に都市が点在しているという地理的条件を克服するように、高度な交通インフラが整備されていた。
そのため、信州長野では県内のどこに住んでいても、大都市圏の恩恵を受けることができるシステムとなっている。
企業も多い。
大学も多い。
医療も充実している。
各種研究機関もある。
商業施設も娯楽施設も充実している。
そして――プロスポーツも盛んだった。特に信州長野の人々に長く愛されているスポーツチームがある。
プロラグビーリーグR1に所属する――「信州ヴァルキリーズ」だ。
信州を代表するプロラグビーチームである。
ホームスタジアムは一か所だけではない。信州長野県内の複数都市に専用、あるいは準専用のスタジアムや大型競技場が整備されており、シーズン中は県内各地でホームゲームが開催される。
長野市で試合があれば長野市民がスタジアムへ向かい、松本市で開催されれば松本市から大勢のファンが押し寄せる。
さらに県内各地から新幹線や高速道路を使って駆け付けるファンも少なくない。
まさに「信州長野全体がホーム」となる。それが、信州ヴァルキリーズというチームだった。
「ヴァルキリーズが勝った!」
「今年もリーグ優勝だ!」
「うちのヴァルキリーズは強いぞ!」
街を歩けば、そんな声が聞こえてくる。商店街にはチームの幟旗が掲げられ、駅には選手たちの巨大な広告が並び、子どもたちはヴァルキリーズのユニフォームを着て学校へ向かう。
女性選手たちは、この世界のラグビー界を代表する大スターであり、その姿を応援する男性ファンも非常に多い。
信州ヴァルキリーズは、単なるプロスポーツチームではない。長い年月をかけて、信州という地域そのものに根を張った存在だった。
だが――そんな現在の姿からは想像もできないほど、チームの歴史には苦しい時代があった。
【今から遡ること28年も前】
信州ヴァルキリーズは、R3リーグに所属する万年最下位の最弱チームだった。
勝てない、観客も少ない、スポンサーも集まらない。
選手たちがどれだけ努力しても結果が出ず、経営状態は年々悪化していった。
そしてついには………。
「……このままでは、チームを維持できません」
経営陣(全員女性)から、そんな言葉まで出るようになった。
解散の危機だった。
信州からプロラグビーチームが消える……誰もがそう思った。
ところが、その時だった。一人の若い男が動いた。
「高木良明」(本名:大舘真人)だ。
当時、まだ20歳の彼は後に「至高俳優」と呼ばれることになる男だった。
すでに芸能界で確たる地位を築き始めていた高木は、ヴァルキリーズの危機を知るや否や球団経営者を訪ねた。
「本当に……チームを畳むんですか?」
そう尋ねた高木に経営陣(全員女性)は苦い顔をした。
「残念ですが、このままでは難しいでしょう。スポンサーが集まりません。選手を維持する資金もありません」
「いくら足りないんです?」
「……え?」
「チームを残すために、いくら必要なんですか?」
若干20歳の若者とは思えないほど、高木の目は真剣だった。
そして彼は――自分の個人資産から、多額の資金を拠出し提供した。
「これで、しばらくは持つでしょう」
「高木さん……これは……」
「僕はラグビーが好きなんです」
高木は笑った。
「だから、なくしたくないんですよ」
それだけではなかった。
高木はスポンサーとして多額の資金を提供するだけでなく、自らチームの応援団長まで引き受けた。
しかも、無償だった。
「えっ、応援団長までやるんですか?」
球団関係者が驚くと。
「もちろんです」
高木は即答した。
「お金だけ出して終わりじゃ、面白くないでしょう?」
「ですが、高木さんは俳優として……」
「だからこそですよ」
高木は経営者にウインクをして笑った。
「僕がヴァルキリーズを応援すれば、少しでも多くの人が興味を持ってくれるかもしれない」
それからの高木は、本当にチームのために動いた。
試合会場に足を運ぶ。
応援団の先頭に立つ。
チームの魅力をテレビや雑誌で語る。
選手たちの名前を覚え、試合では誰よりも大きな声で応援する。
当時の写真には、若き日の高木がヴァルキリーズのユニフォームを着て、スタンドで拳を交差して突き上げている姿が残っている。
ちなみに、現在でも当時の高木が考案した、拳を交差して突き上げる姿は、ヴァルキリーズを応援するサインとなっている。
後に「ヴァルキリーズ勝利と感謝の応援サイン」と言われるサインだ。
その姿が、全国的なニュースとして大きな話題になった。
「アカデミー賞」を受賞し、天才大俳優として頭角を現し始めた若手俳優のプライベートだ。
なんと彼は、ある弱小プロラグビーチームを本気で応援していた。その意外なギャップが口コミで広がり、ついに世間へ知れ渡ったのだ。
「なんだ、このチームは?」
「高木良明が応援しているの?」
「一度、試合を見てみようかしら」
そんな人々が少しずつ増えていった。
観客が少しずつではあるが増えていく。観客が増えれば、スポンサーも少しずつ増える。スポンサーが増えれば、選手の強化にも資金を回せる。
そしてチームは、ほんの少しずつではあるものの、確実に変わっていった。
最下位だったチームが、一つ順位を上げる。さらに一つ上げる。
そしてついには――R3からR2へ――R2からR1へ。
大スター・高木良明の熱意によって息を吹き返したチームは、その後快進撃を続け、今や日本ラグビー界の頂点である「R1」に君臨するまでに成長を遂げたのだった。
かつて解散寸前だった弱小チームは、今やR1を代表する強豪チームの一つとなった。
――そして現在――
信州ヴァルキリーズのホームゲームには、何万人もの観客が集まる。女性選手たちが激しくぶつかり合い、泥にまみれてボールを奪い合い、眩しいトライを決めるたびに――。
「ヴァルキリーズーッ!!」
「いけぇぇぇ! 倒せぇぇぇッ!!」
地鳴りのようにスタジアム全体が揺れる。
その客席には多くの女性ファンがいる。目を輝かせる小さな男の子がいる。憧れの眼差しを向ける高校生くらいの少年も、拳を握りしめて声を枯らす若い男性ファンもいる。そして、膝にブランケットを掛け、何十年もこのチームを見守ってきた老男性ファンの姿もある。
女性だけでなく、多くの男性ファンがいる。
世代を超え、老若男女から熱狂的に愛される。
それこそが、信州の誇り「信州ヴァルキリーズ」というチームであった。
~~~~~~
【大舘真人の視点で】
――8月15日——
東相大学ラグビー部との練習試合で、R1所属の王者「信州ヴァルキリーズ」が大学生に大敗を喫したというニュースは、信州長野中どころか日本全国を揺るがす大衝撃となった。
それは単なる「大学生がプロに一矢報いた」というレベルの生ぬるい話ではない。東相大学は、80分間の試合時間のうちそのほぼ全てでヴァルキリーズを圧倒し尽くしたのだ。
スピード。
フィジカル。
体と体がぶつかり合うコンタクトの強さ。
そして何より、後半30分を過ぎてからさらに加速する異常な運動量。
その全てが、従来のラグビーの常識を遥かに超越していた。
東相大学には、日本代表合宿から一時離脱して合流した愛娘・リリカをはじめとする代表候補5名がいた。対するヴァルキリーズ側も、代表合宿に参加していた主力スター選手2名をこの試合のために呼び戻している。
つまり、ヴァルキリーズも言い訳無用の「R1ベストメンバー」であった。
にもかかわらず――結果は6トライを叩き込まれての大惨敗。
「……嘘だろ、あのヴァルキリーズが……?」
「夢だ……夢を見てるんじゃないの……!?」
試合終了を告げるノーサイドのホイッスルが響いた瞬間、市営であるにも関わらず超満員のスタジアムは水を打ったように静まり返り、あちこちで絶望と困惑の呟きが漏れた。
それもそのはずだ。ファンにとって「信州ヴァルキリーズ」は、単なるプロスポーツチームではない。
R3の底辺で喘ぎ、いつ消滅してもおかしくなかった極小の弱小時代を知るファン。
若干20歳にして芸能界で確固たる地位を築き始めていた大俳優「高木良明」(本名:大舘真人)が、個人資産を投げ打ち、手製のメガホンを握ってスタンドで「応援団長」として汗を流していた熱狂の時代を知るファン。
彼女たちの涙ぐましい努力と、信州の街が一体となって少しずつ坂道を登ってきた歴史そのものなのだ。
だからこそ、この「歴史的惨敗」の波紋は止まらない。
テレビのスポーツニュースは特番を組み、ネットニュースのトップには「東相大、R1王者を粉砕」「異次元の持久力」の見出しが速報として躍りでる。
今、日本ラグビー界の勢力図を根底から塗り替えようとしている怪物チームの誕生だ。
その中心で、異次元の肉体と精神を創り上げた男こそ――フィジカルトレーナー・甲斐田天馬であった。
観客席の特等席にて。
現在撮影中の映画の役柄である「清野隆」の衣装――完璧に仕立てられた黒の高級スーツを身に纏い、鼈甲柄のサングラスをかけた男性が一人、静かに佇んでいた。
「至高俳優」と謳われる高木良明――本名、大舘真人。
クリスとリリカの実父であり、天馬の義父である。
周囲を威圧するような黒スーツにサングラスを掛けた女性護衛4名を引き連れた彼は、サポーターたちから「ヴァルキリーズの裏オーナーか?」と噂されていたが、そのレンズの奥の瞳は、傷つき倒れ込んだプロの選手たちと、歓喜に沸く東相大の選手たちをじっと見つめていた。
スッ……と、高木はゆっくりとサングラスを外した。
その端正な顔立ちを、一筋の温かい涙が伝い落ちる。
(……ああ、そうか……)
高木は胸の奥で、激しく渦巻く複雑な感情に身を焦がしていた。
20歳の頃、自分の青春と財産、そして血の滲むような熱意を注ぎ込んで解散の危機から救い出し、R1の頂点まで育て上げた「我が子」のような信州ヴァルキリーズ。その愛するチームが目の前で叩きのめされた悔しさと寂しさ。
――だが、その絶対王者を圧倒的な力でなぎ倒したのは誰か?
自身と最愛の妻・ミアの血を引き、ピッチ上で誰よりも激しく泥にまみれ、鬼神の如き躍動でトライを奪った自慢の愛娘・リリカである。
そして――そのリリカたちに無尽蔵のスタミナと圧倒的なフィジカルを与え、極限まで鍛え上げたのは誰か?
長女・クリスの最愛の夫であり、自分にとってもかけがえのない大切な義理の息子――甲斐田天馬なのだ。
(悔しい……。ヴァルキリーズが負けたのは、身を切られるように悔しい……。だが……なんだ、この誇らしさは……ッ!)
自分が愛した「過去の栄光」を、自分が愛する「次の世代(娘と息子)」が圧倒的な科学と情熱をもって超えていったのだ。
悲哀と、悔しさと、そしてそれを遥かに凌駕する愛おしさと誇らしさ。感情の堤防が決壊し涙となって頬を濡らしていた。
「……ふっ」
高木は自らの涙を拭うと、ニッと口元をほころばせた。
役としての冷徹な顔を捨て、一人の「永遠の応援団長」としての顔を取り戻す。
彼は深く息を吸い込むと、スタンドの最前線へ歩み寄り、膝を突いて肩を落とすヴァルキリーズの女性選手たちに向かって、お腹の底から大声を張り上げた。
「よくやったぁぁぁーーーっ!! ヴァルキリーズ! いつも感動をありがとうーーーっっ!!」
ドスの効いた、だが温かい高木の叫びがスタジアムに響き渡る。
そして彼は、胸の前で両腕の拳を交差させ、天高く突き上げた。――かつて彼自身が考案し、信州の地に根付かせた「ヴァルキリーズ勝利と感謝の応援サイン」である。
その瞬間、真人の周囲にいたファンたちが「ハッ!」と顔を上げた。
「あっ……!?」
「応援団長!?」
「高木良明よ……!」
「そうよ……! 負けたって、ヴァルキリーズは胸を張っていいんだ!」
「よく頑張ったぞーーっ!!」
一人の男が掲げた拳は、瞬く間にスタジアム全体へと伝染していった。
観客席を埋め尽くしたサポーター全員が、涙をぬぐい、笑顔を作り、胸の前で拳を交差させて天へ突き掲げる。
「ヴァルキリーズ! ヴァルキリーズ!」
「東相大もすごかったぞー! ありがとうー!」
大敗を喫したはずのスタジアムは、まるで世界タイトルを獲得したかのような温かく激しい大声援と、地鳴りのような拍手に包み込まれた。
最高のライバルと、最高の家族(天馬)によってもたらされた歴史的敗戦。
信州の熱い風とサポーターたちの歓声に抱かれながら、真人は遠くのベンチ近くで部員たちを労う天馬の背中を見つめ、深く、深く深く頷くのだった。
【あとがき】
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
今話で触れた世界観について少し補足をさせていただきます。本作における日本は世界最大の経済大国となっているため、一都市への集中ではなく、全国が発展する「多極分散型」の「巨大メガロポリス国家」構造をとっています。
首都圏が政治の中枢を担う一方で、経済はそれぞれの州で自立して回っているというシステムです。こうした独自の社会構造が物語にどう影響していくのかも、あわせてご覧いただけますと幸いです。
次回の投稿は月曜日を予定しています。
引き続き、本作品をどうぞよろしくお願いいたします。




