第85話 静寂の余韻と10キロタイムトライアル
8月5日(日) ―― 朝6時00分。
まぶしい夏の朝差しが、カーテンの隙間から柔らかく差し込んでいた。
天馬はゆっくりと目を覚ます。
隣を見れば、昨夜の甘い熱狂をそのまま映したかのような幸せそうな寝顔で、椿姫が眠っていた。
互いに全裸のままである。椿姫の細くしなやかな白い肢体が、まるで愛おしい宝物に抱きつくように、僕の身体へしっかりと絡みついている。
僕はそっと彼女の栗色の髪に唇を寄せ、頭にやさしくキスを落とすと、彼女を起こさないよう静かに身体を抜け出し、ベッドの上に起き上がる。
(改めて見ると……本当に何も無い部屋だな)
寝室内には、大きなセミダブルベッドが一つあるだけ。その足元には、昨夜の激しさを物語るように、二人の服や下着が無造作に脱ぎ捨てられて散乱していた。
引っ越して間もないこともあり、リビングへ出てみても、置いてあるのはシンプルな四人がけのテーブルと椅子がポツンとあるのみ。奥にある3つの部屋もドアが閉ざされているが、間取りとしてはゆったりとした4LDKなのだろう。
僕は自分の服と下着を丁寧にたたみ、椿姫の服と下着を洗濯するために全裸のまま洗面室へと向かった。
備え付けの洗濯機に衣服を投げ入れ、ふと目の前の大きな鏡を見上げた天馬は、思わず息を呑む。
「……うわっ!すごいなこれ」
鏡に映る僕の首筋や胸元、肩回りには、椿姫が夢中で残していった濃い紅色のマーキング(キスマーク)が鮮やかに散らばっていた。首筋にも、隠しようのない位置にしっかりと一箇所、大きな痕が刻まれている。
この男女の役割や立場が逆転した世界線において、性に積極的な女性が男性へマーキングを施すのはごく当たり前の求愛行動だ。
僕にとっても、愛する妻からの激しい愛の証であるマーキングは、素直に男冥利に尽きる嬉しさがあった。
(昨夜は……本当にすごかったな)
この世界へ転移してから、期間は短かったが、椿姫とは互いに惹かれ合う恋愛を経て婚姻へと至った。だからこそ、昨夜の愛し合いは互いの魂をぶつけ合うように燃え上がったのだ。
「……天馬?」
背後から、柔らかいぬくもりが抱きついてきた。
振り向くと、全裸のまま目をこすりながら追ってきた椿姫が、天馬の背中にスッと顔を埋めていた。
「おはよう、天馬」
「おはよう椿姫、起こしちゃったかな?」
僕がくるりと向き直ると、椿姫は熱を帯びた瞳で見上げてくる。鏡の前、朝の光の中で、二人はどちらからともなく吸い寄せられるように唇を重ねた。舌を絡ませ合う、深く濃厚なディープキス。
「ん……ふぁ……。昨夜は、本当にありがとう……っ。すごく、すごくよかった!まだ身体の奥に、あなたを感じる余韻が残っているの」
うっとりと瞳を潤ませて囁く椿姫。
その時、彼女の目線が、洗面所の鏡に映る自分自身の姿へと向いた。
「あっ……!?」
椿姫が驚いたように小さな声を上げる。
引き締まった豊かな胸元に刻まれた紅い痕に気づき、さらに視線を上げると――彼女の細く美しい首筋に、はっきりと目立つ鮮烈なキスマークが二箇所も並んで刻まれていたのだ。
「えっ……! これ……あなたが……!?」
椿姫は信じられないといった様子で目を丸くし、そっと自身の首筋に指先を這わせた。
この女性過多の世界線において、性に消極的で受け身な男性から、女性に対してマーキングを行うことなど『天変地異レベルのあり得ない奇跡』である。男性からキスマークをつけられるということは、その男性がどれほど色っぽく、どれほど自分を激しく愛してくれているのかという「至高の愛の証明」であり、すべての女性にとって最大の憧れなのだ。
「信じられない……天馬が、私に痕をつけてくれたなんて……っ!」
椿姫の表情が、歓喜と甘やかな恍惚でドロドロに蕩けていく。鏡に映る自分の首筋を愛おしそうに撫でながら、彼女はくるりと僕へ向き直し、今度は自分から力強く抱きついてきた。
「天馬……愛してるわ。愛してる……!」
「僕もだよ、愛してる」
朝の洗面所で、二人は何度も抱き合い、言葉を重ね合った。
その後、お腹が空いた天馬はキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けてみた。しかし、中に入っているのはミネラルウォーターと缶ビールが数本のみ。調理器具も一切存在しない。
「椿姫、朝ご飯を食べに行こうか?」
「ええ、天馬と外で朝食だなんて、嬉しい!」
僕は昨夜脱ぎ捨てた下着と服を着直そうとすると、椿姫が慌てて制した。
「ちょっと待って」
そう椿姫は言うと、隣りの部屋に入り、クローゼットから下着と服を取り出し、僕に差し出す。
椿姫が差し出してくれたのは、新品の男性用下着と、ピンク色のTシャツ、そして黒のジャージだった。
他の妻たちと同じように、椿姫も僕が泊まりに来る日を心待ちにして、事前にサイズぴったりの服を用意してくれていたのだ。
「わざわざ用意してくれていたんだね。ありがとう、助かるよ」
「ふふ、当然の嗜みよ」
天馬が着替えると、椿姫も下着を身につけ、天馬とおそろいのジャージにTシャツ姿だった。まさかのペアルックである。
「椿姫、シャワーは浴びなくていいの?」
「うん、今日はこのままでいたいの……だって、あなたの匂いと温もりが身体に残ってるから。もう少しだけ、この余韻に浸らせて?」
上目遣いでそんな可憐なことを言われ、僕は思わず胸がキュンと鳴った。
だが、ひとつ問題があった。
椿姫は首が細く長いモデルのようなスタイルをしているため、彼女の首筋に刻まれた二箇所のキスマークが、Tシャツの襟元から隠しようもないほど強烈に目立っているのだ。もちろん僕の首筋のマーキングも隠れてはいない。
僕が護衛へ連絡を入れ、二人は手を繋ぎ――指を絡ませ合う「恋人繋ぎ」で官舎の衛門(警衛所)へと向かった。
「おはようございま――……っ!?」
衛門にて立哨する警備の女性兵士が、敬礼の途中で完全に硬直した。
同時に、後ろについていた護衛たちまでもが、椿姫の首筋に目線を釘付けにしたまま「絶句」した。
(((えっ……!? 首筋に……キ、キスマーク……!?)))
(((嘘でしょう……!? 男から……男神から痕をつけられたというの……!?)))
警備兵も護衛も、目を見開いたまま天馬と椿姫を交互に見つめ、数秒間完全にフリーズしている。
さらに、椿姫がシャワーを浴びていないため、彼女の身体からは濃厚な「男の匂い」――それも、最高峰の男性である天馬の濃密な雄のフェロモンがプンプンと漂っていた。
周りの女性兵士たちの瞳が、椿姫に羨望の眼差しを向け、椿姫から発せられる男の匂いに理性が揺らぎ、蕩けそうになっていた。
二人で手を繋いだまま、官舎から歩いて数分の場所にあるファミリーレストランへ入る。
「いらっしゃい……ま……せ……っ!?」
出迎えた女性店員が、メニューを手に持ったまま言葉を詰まらせた。
店員の視線もまた、椿姫の首筋に刻まれた鮮烈な二箇所のキスマークに吸い寄せられている。
さらに、椿姫の全身から発せられる芳醇な「天馬の男臭」を鼻腔で受け止めた瞬間、女性店員はウットリと頬を赤らめ、目元をトロトロに溶かしていた。
「あっ、こちらの⋯⋯お席へどうぞ……っ」
案内されたテーブル席についた二人は、和朝食セットを注文。
料理が運ばれてくると、美味しく朝食を味わい、食後は温かいコーヒーを飲みながらテーブルの上でそっと手を重ね合った。
言葉は多くない。しかし、互いに目を見合わせ、ふっとニヤけ顔を浮かべながらコーヒーを味わう時間は、何物にも代えがたい幸福感に満ちていた。
(こういう、何もしない静かなひと時って……最高に幸せだな)
ふと僕は気づく。
昨日まで椿姫は、僕に対してどこか丁寧な敬語で話していた。それが今では、ごく自然なタメ口へと変わっている。壁が一つ取り払われ、夫婦としてより深く心を通わせ合えたことが、僕には心底嬉しかった。
~~~~~
ファミレスを後にし、一旦椿姫の部屋へ戻った。
「天馬、シャワーをどうぞ」
「ありがとう。椿姫は……本当に一緒に入らなくていいの?」
「ええ。今日だけは絶対に浴びない。だって、あなたの匂いが消えちゃったら勿体ないもの」
くすりと微笑む椿姫の言葉に、天馬は「本当に可愛いな」と微笑みつつ、一人でシャワーを浴びて汗を流した。
シャワーを終え、スマホを取り出す。
北川さんと妻たちのグループチャットを開き、『10時には自宅へ帰るよ』とメッセージを送信した。
今日は夕方17時から、東相大学のトラックで陸長距離・駅伝部の「10キロタイムトライアル」が控えている。僕自身も部員たちと一緒に走り、走力を測定するつもりだ。
椿姫が用意してくれたジャージに着替え、時刻が9時を指したところで立ち上がった。
「そろそろ帰るね。服や下着は置いていくよ。また泊まりに来るから」
「ええ、分かったわ」
椿姫は愛おしそうに満面の笑みを浮かべる。僕も笑顔で「またね」と応え、玄関に向かいかけたところで、ふと思いついて振り返った。
「あ、そうだ! 夕方17時から東相大の競技場で部員の10キロタイムトライアルがあるんだけど……僕も一緒に走るんだ。もし都合がよかったら、見に来ないか?」
それを聞いた瞬間、椿姫の瞳がパッと輝いた。
「行くわ! もちろん応援に行く! 天馬の走る姿、絶対に特等席で見届けさせて!」
彼女は弾けるような笑顔で大きく頷いてくれた。
そして、玄関先で名残惜しむように深めのキスを交わす。
そのまま椿姫は官舎の衛門まで見送りに着いてきてくれた。
「それじゃあ、後ほど大学でね」
「ええ、のちほどね」
別れ際、椿姫は衛門の警備兵たちが注視している前であるにもかかわらず、全く気にすることなく大胆に僕の唇へ軽く“ちゅっ”とキスをした。
警備兵たちが再び息をのんで赤面するのを背に受けながら、僕は幸せな余韻を胸に、幹部官舎をあとにしたのだった。
午前10時ちょうど――。
新座駐屯地隣りの幹部官舎をあとにした天馬は、無事に自宅マンションへと帰着した。
玄関を開けると、出迎えてくれたのは奈月、朱里、愛里の3人だった。
「「「おかえりなさい! お疲れ様でした!」」」
3人とも満面の笑みを浮かべ、心からの温かい言葉で僕を出迎えてくれる。
(妻とは言え……別の女の家に泊まって朝帰りしてきたのに、こんなに笑顔で出迎えられるなんて……)
元の世界線であれば、一言で言えば完全に“アウト!”なシチュエーションだ。修羅場どころの騒ぎではないだろう。しかし、男女比が著しく偏ったこの世界線においては、夫が複数の妻の元を順に訪れて愛を育むのはごく当然の常識である。頭では理解していても、元の世界の価値観が残る僕にとっては、どこかむず痒く複雑な気持ちを禁じえなかった。
と――ふと見れば――3人とも僕の顔……というより、首筋のあたりを注視しながら、必死に口元を押さえてクスクスと笑いを堪えているではないか。
「ん? 3人とも、どうしたの?」
「ふふ、ごめん。椿姫さんに、かなり激しく愛されたみたいね?」
奈月がいたずらっぽく微笑む。愛里も朱里も、目を輝かせて頷いた。
「……首筋のそれ、ものすごくくっきりと目立ってますよ! 椿姫さんったら、よっぽど嬉しかったんですね」
と、愛理も笑いを堪えながら指摘する。
「うぐっ……やっぱり目立つか……」
僕は思わず首筋を押さえた。
帰りの電車内は休日ということもあり、男性専用車両が未設置で女性客ばかりに囲まれていたのだが、周囲の女性たちが僕の首筋を見て「まあっ……!」と目を見張り、驚愕と色っぽい熱視線を送ってきた理由を改めて思い知った。
「天馬さん、お風呂沸いてますよ。汗を流して、少し休んでくださいね」
「ありがとう、愛理」
妻たちの寛大な温もりに感謝しながら、僕は夕方のタイムトライアルに向けて身体を休めることにした。
16時10分 ――。
東相大学の陸上競技場には、寮生活を送る長距離・駅伝部の部員たちが続々と集まって来ていた。
17時からの「10キロタイムトライアル」に向け、各自で入念な準備運動とアップ走が進められている。今回は実際のレース本番を想定し、ウォーミングアップのタイミングや計画も部員個々の裁量に任せていた。
「あっ、天馬、お帰りなさい」
監督であるクリスが近寄ってくる。その隣には、先月の競技会に出場して今回のタイムトライアルを免除されている三上ルイをはじめとする5名の部員たち、そして男子マネージャー2名も控えいていた。
「クリス、ただいま。部員たちの様子はどうだい?」
「ええ、みんな気合十分よ。……って、天馬……? その首筋……!」
クリスが目を丸くして固まった。それにつられるように、ルイや部員たちも僕の首筋へ視線を注ぎ、一瞬で全員の顔が真っ赤に染まった。
「て、天馬コーチ……! その、ものすごい濃厚な夜を過ごされたのですね……っ!」
ルイが驚愕しながらも感嘆の声を漏らす。男子マネージャーの2人も「ひえっ……」と一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに表情を引き締め、今日の給水ボトルの配置やタイム計測の打ち合わせへとスムーズに移行してくれた。
打ち合わせを終えた僕は、軽くアップ走をするためにジャージ姿でトラックをジョグし始めた。
ふとトラック脇付近に目をやると、見覚えのある女性が立っていた。椿姫だ。
「椿姫!」
僕が大きく手を振ると、椿姫もパッと表情を華やかせ、振り返してくれた。彼女は朝と同じピンクのTシャツに黒のジャージ姿だ。
そして、その椿姫のすぐ隣には、北川さんが控えていたのだが――。
(……ん? 北川さん……?)
北川さんは、椿姫の首筋に刻まれた二箇所の赤紫色にくっきりとしたマーキングを凝視したまま、数十秒間完全にフリーズしていた。
さらに、鼻をピクピクと小さく蠢かせたかと思うと、一気に顔を耳まで真っ赤に染め、目元をトロトロに蕩けさせていたのだった。
(あぁ……そうか。椿姫はシャワーを浴びずに来てるからな……僕の残り香がプンプン匂ってるんだ)
男性のフェロモンや体臭に異常なほど敏感なこの世界の女性にとって、最高峰の男性である天馬の濃密な匂いは、それだけで理性を狂わせかねない特効薬なのだろう。天馬は苦笑いを浮かべつつ、アップを切り上げた。
17時直前。出走する部員24名がスタート地点へと集まり始めた。
天馬もジャージの上着を脱ぎ、勝負服であるユニフォーム姿となる。
今日の装いは、胸元までのピンクのノースリーブ(肌にピタッと密着する競技用)に、下はローライズの黒色ショートタイツ。露出度が高く、天馬の鍛え上げられた筋肉美とシックスパックが露わになるスタイルだ。
「「「っ……!!」」」
集まった部員たちが、一斉に息をのんで天馬をガン見した。露出したお腹まわりや肩のあたりにも、昨夜椿姫が夢中で刻みつけたマーキングがくっきりと残っていたからだ。
僕は脱いだジャージをトラック脇の椿姫に手渡す。
「椿姫、ジャージ預かってて。頑張ってくるね」
「ええ、頑張ってね!」
流石に学生たちが大勢いる前とあって、椿姫もキスやハグまではしてこなかったが、その瞳には深い愛と信頼が宿っていた。
スタート地点に並ぶと、隣に立った鳴野が、どこか蕩けたようなニヤニヤ顔で僕を覗き込んできた。
「テンさん……昨夜は別の意味で激しいトレーニングをお疲れ様でした……♪ お腹まであんなに痕をつけられちゃって……」
「鳴野、無駄口叩いてないで集中しろ!」
「はぁ〜い♪ でもテンさん、全然説得力ないですよっ!」
天馬は(確かに説得力ゼロだな……)と心の中で苦笑しつつ、意識をレースへと切り替えた。
『位置について――スタートッ!!』
号砲とともに、25名のランナーが一斉に飛び出した。
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トラックを25周する10000m(10キロ)のタイムトライアル。
僕は序盤から圧倒的なスピードで後続を引き離し、早々と独走態勢に入った。昨夜遅くまで椿姫と激しく愛し合った疲労が残っているはずなのだが、足取りは驚くほど軽い。
そして――フィニッシュ。
タイムは、【28分30秒】。
自身の持つ自己ベストには未だ1分以上届かないタイムではあるものの、昨夜の激しい営みの直後としては、間違いなく破格の好タイムであった。
「……えっ!? に、28分30秒……!?」
タイムを計測していた男子マネージャーの2人が、ストップウォッチを見つめたまま絶句した。
「嘘だろ……非公認の練習とはいえ……目の前で世界記録が更新された……!?」
一緒に走っていた1年生部員たちも「せ、世界記録……!?」と目を丸くして大騒ぎになったが、監督のクリスや2年生の部員たちは「天馬コーチなら当然です」と静かに笑っていた。
だが、本当に驚くべき結果は、部員たちのタイムの方だった。
鳴野のタイムは、なんと【32分58秒】!
従来の自己ベストを大幅に更新する驚異的なタイムを叩き出したのだ。
さらに他の部員たちも、全員が【33分40秒台〜34分58秒】に収まり、なんと出走した部員全員が自己ベストを大幅更新するという快挙を成し遂げたのである。
「全員……全員がベスト更新!? そんなバカな……っ!」
サポートに回っていた三上ルイも、クリスも、手元のタイムシートを見て思わず声を上げた。
「すごいです、天馬コーチ……! わたしたちの走力が、信じられないスピードで底上げされている……!」
「やった……! やったよ私、32分台に入ったぁぁぁっ!!」
鳴野をはじめ、部員たちが自分の成長を肌で実感し、トラックの上で抱き合って大歓声を上げている。天馬が持ち込んだ科学的なトレーニング理論が、確実に実を結び始めている証拠だった。
そこへ、ペットボトルを持った椿姫が駆け寄ってきた。
「天馬! お疲れ様でした! 本当に……本当に素晴らしかった!」
椿姫は感動で瞳を潤ませながら、冷えた水のペットボトルを僕の手へ渡してくれた。
「ありがとう。君の応援があったから、最後までしっかり押して走れたよ」
「ふふ、私の水分補給も……後でたっぷりしてくださるかしら?」
耳元でくすりと可愛い悪戯を囁く椿姫に、天馬は笑って「もちろんだよ」と答えた。
カクテル光線のようなナイター照明が煌々《きらきら》と照らし出す、美しく整備されたトラック。
歓喜に沸く部員たちの姿と、隣で微笑む妻の姿をぼんやりと眺めながら、僕は胸の奥で熱く確かな手応えを感じていた。
(よし……この成果なら、明後日からの白樺湖合宿は最高のスタートが切れる。箱根へ向けて、みんなもっと強くなれる!)
夜風が心地よく吹き抜けるグランドで、天馬たちの挑戦は新たなステージへと進み出そうとしていた。
【あとがき】
次回の投稿は来週の月曜日を予定しています。
もしよろしければ、★評価とブクマ登録をしていただけますと、執筆の励みになります。感想もお待ちしております。
今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




