第82話 陸軍公式動画チャンネルの更新とその反響——夏合宿へむけて
8月1日(水) ――
真夏の太陽がギラギラと照りつけるこの日。
陸軍広報部が運用する公式動画チャンネルが更新され、インターネット上に天変地異級の巨大な衝撃が走った。
動画のタイトルは――『男神トレーナー、日本代表を鍛える!』である。
新座駐屯地での保護生活期間中、僕が請け負っていた「国防軍体育隊・長距離選手」たちへの指導風景や、自らの限界に挑む15キロのLT走(閾値走)の様子、そしてラグビー日本代表(女子)のフィジカルコーチとしてのドキュメンタリー映像だ。
ナレーションを担当するのは、陸軍広報部の広報官であり、天馬の第9夫人となった牧野葵少尉(甲斐田姓に改姓)である。
動画は、新座駐屯地の講堂の壇上に立つ天馬の姿から始まった。
マイクを握り、手元のビジュアルデータを示しながら、従来の根性論を一蹴する様子である。
『――みなさんのトップスピードは世界レベルです。しかし、今のトレーニングではポテンシャルの80(%)しか出せてません。試合で必要なのは……動きの中で0(%)から一気に100(%)の力を発揮し、疲労から一瞬で立ち直る『心肺の回復力』と『軸のブレない体幹』です!』
熱弁後にはグラウンドへと移動し、この世界には存在しない「YO-YO間欠性持久力テスト」の過酷な映像が映し出された。
そして、天馬の指導をすでに叩き込まれている東相大学の義妹・大舘リリカを筆頭とする5名の選手たちが、並み居る日本代表のプロ選手たちを圧倒的なスタミナと体幹で置き去りにしていく衝撃的なシーンだった。
葵少尉の張りのある、どこか誇らしげなナレーションが響く。
『――ご覧ください。東相大学の選手たちの軸のブレないターンと、圧倒的なリロード速度。これこそが、甲斐田トレーナーがもたらしたスポーツ科学の真髄です!』
映像は進み、陸上競技場で体育隊長距離選手らの指導前の様子へ。
コーチングをサポートする牧野椿姫大尉に対し、天馬が爽やかな笑顔で「今日もよろしく!」とばかりに挨拶代わりのハグを交わす場面もしっかりと高画質で捉えられていた。
視聴者のコメントは悶絶状態である。
『きゃぁぁぁ~~!!』
『これって――ドラマ? アニメ?』
『わたしも天馬くんにハグされたい!』
さらに、動画の中盤――視聴者を最も悶絶させたのは、葵少尉による天馬への単独インタビューコーナーだった。
マイクを向けられ、どこか挙動不審で分かりやすく動揺している天馬の姿。
『え、ええと……葵少尉、カメラ近すぎないかな……?』
『いいえ! 広報官として、男神トレーナーの素顔に迫るのが私の使命ですから!』
些細なやりとりまで、動画でしっかりと映し出されていた。
『———それでは最後にプライベートな質問を一つ。最近、甲斐田さんを公私共に親身になってサポートされている、牧野大尉について、甲斐田さんはどう思われてますか?』
『えっ? 椿姫さんですか?——できれば……これからも長く、特別な関係としてお付き合いしていきたいと思っています』
『――っ!! い、今「長くお付き合いしたい」と仰いましたね!? こっ、これは――求婚?! 録音しました! 証拠採用です!!』
『えっ!? いや、あの、そういう意味じゃなくて――!』
顔を真っ赤にして狼狽する天馬のアップ。
この世界の価値観において、男性から女性に対して「特別な関係として」や「長く付き合いたい」などと口にするのは、明確な「求婚」に他ならない。
男神・甲斐田天馬による、まさかの『公式動画での公開プロポーズやらかし事故』の瞬間であった。
そして動画のラスト。画面にはビシッと制服を着直した牧野椿姫大尉と牧野葵少尉の二人が並んで映し出された。
『――ここで視聴者の皆様に、ご報告がございます。私、牧野椿姫は、先般甲斐田天馬と正式に婚姻いたしました。そして……』
『ふふふふ……! 私、牧野葵も連婚者として天馬さんと婚姻いたしました〜! 二人とも牧野改め【甲斐田】姓となります! 天馬さん、絶対に幸せにしてね!』
『葵、公私の区別をつけなさい! ……「コホンッ!」……というわけで、甲斐田椿姫、甲斐田葵として、今後とも陸軍ならびに甲斐田天馬をよろしくお願いいたします!』
動画は二人の姉妹の敬礼で締めくくられた。
――その瞬間、コメント欄は完全に崩壊した。
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動画が公開された直後、コメント欄は一瞬だけ時が止まったかのように静まり返ったが、直後に文字通りの「お祭り騒ぎ」と化した。
■ ネットの反応・コメント欄(抜粋)
【トレーニングに対する絶賛・考察】
・おいおいおい、なんだこの神理論……! 根性論で走り込ませてた今までの指導が過去のものになったぞ。
・東相大ラグビー部が春季リーグで全試合無失点&完封勝利しまくってた理由が完全に理解できた。このフィジカルは反則だろwww
・YO-YOテスト凄すぎ。っていうかリリカちゃんたちの軸が全然ブレてなくて笑う。プロ代表選手が学生に圧倒されてるやんけ!
・これ、マジで東相大ラグビー部とR1(最高峰プロリーグ)の優勝チーム戦わせたら東相大が勝つんじゃないか……? 男神コーチの指導ヤバすぎる。
【天馬のリアクションと葵少尉への突っ込み】
・天馬コーチの動揺ぶりが可愛すぎて草wwww
・葵少尉、あきらかに職権濫用で天馬コーチを攻め立てててワロタwwww
・「男神コーチって……葵少尉ぜったい好みでしょ!」「距離感近すぎて葵少尉のことぜったい好きじゃん」とか思ってたらwww
・ていうか天馬コーチ、公開プロポーズしてて私が泣いた。
【衝撃のプロポーズと電撃結婚への大騒ぎ】
・【朗報】男神、公式動画でうっかり公開プロポーズをかます。
・「これからも長くお付き合いしたい……」→男神からの求婚キターーーー(゜∀゜)ーーーー!!
・えっ、待って待って!? 男性の口からプロポーズの言葉が出たの!? 嘘でしょアニメやドラマの世界だけだと思ってた!!
・男神からの求婚とか、椿姫大尉前世でどれだけ徳を積んだんだよ……羨ましすぎて震える。
・ラストの報告で変な声出たwwwww 椿姫大尉だけじゃなくて葵少尉も連婚してて草!!
・姉妹揃って甲斐田姓へ!! おめでとうございます!! 天馬コーチ罪な男すぎるだろ!!
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ネット上だけにとどまらず、地上波テレビのワイドショーでもこの動画が大きく取り上げられ、街中がお祭り騒ぎのフィーバー状態となった。
しかし、この加熱しすぎた大騒動を、たった一言で一気に沈静化させた人物がいた。
天馬の義父(第3夫人・クリスの父親)であり、日本国民から「日本の至宝」「至高俳優」、世界中からは「世界の恋人」と称えられる大俳優――ヨッシー(芸名:高木良明)その人である。
ヨッシーは自らのSNS公式アカウントにて、一文を投稿した。
『天馬、そして新たに家族となった椿姫さん、葵さん、結婚おめでとうございます。愛する娘たちが幸せそうな顔をしているのが、父親として何よりの喜びです。メディアやファンの皆様におかれましては、どうか三人の温かい日常を、静かに優しく見守っていただけますと幸いです』
日本中、いや世界中の老若男女を虜にする大俳優ヨッシーからの、温かくも威厳に満ちたメッセージ。
この投稿が発信された瞬間、過熱していたワイドショーや過激なネットメディアの取材は一気に沈静化し、「静かに祝福しよう」という温かいムードが日本全体を包み込んだのだった。
大俳優の影響力の凄まじさを物語るエピソードであったが、この一連の騒動も手伝い、陸軍広報部の公式動画は更新からわずか1日(24時間)で驚異の300万回再生を突破した。
記録的な視聴回数を更新し続け、男神・甲斐田天馬の名と、その革新的な指導理論は、伝説として世界中に語り継がれていくのだった。
◆◆◆◆◆
陸軍広報部の公式動画チャンネルで『男神トレーナー、日本代表を鍛える!』が配信され、再生数が300万回を超えて世界中が大騒ぎとなっていた、まさにその日。
当事者である僕は、浮足立つことなく静かに気持ちを切り替えていた。
「よし、今日からまた気合を入れて頑張るぞ」
新妻となった椿姫と葵は、現在は新座駐屯地に隣接する単身者用の幹部宿舎に身を置いているが、数日後にはセキュリティが厳重に敷かれた夫帯者(家族用)官舎へと引っ越しを行う予定だ。
これには北川さんも「夫帯者官舎であれば警備体制も完璧ですし、安心です」と太鼓判を押してくれていた。
午前中、僕は一ヶ月半ぶりの報告を兼ねて東相大学を訪れた。
理事長室のドアを叩くと、理事長をはじめとする役員の方々が総出で僕を出迎えてくれた。
「天馬さん! 無事保護生活が解除されたのですね! 本当に、本当にご無事でよかった……!」
「理事長、ご心配をおかけしました」
感激した理事長から力強いハグを受け、役員の方々からも温かい歓迎の言葉をいただく。
(※妻のクリスは昨日、大学の研究員としてすでに無事の報告を済ませている)
その後、グラウンド(トラック)へ向かうと長距離・駅伝部の部員たちが一斉に駆け寄ってきた。
「天馬コーチ! おかえりなさいっ!」
「ニュース見ましたよ! 陸軍の動画、凄すぎますっ!」
弾けるような笑顔で迎えてくれる部員たち。夏休み期間中とはいえ、キャンパス内には何人もの女子学生たちが残っており、僕の姿を見つけるなり歓声が上がった。
「キャーッ! 男神コーチよ! 本物だわっ!」
「天馬コーチ〜! 椿姫大尉と葵少尉とのご結婚、おめでとうございますっ!」
黄色い声援とちょっとした人だかりができ、護衛たちがあわあわとする場面もあったが、みんなが温かく迎えてくれたことが心から嬉しかった。
13時30分 ――
昼過ぎ。僕は大学の部室で、監督のクリスと向き合っていた。
「天馬、……早速だけれど、夏合宿のプランを練り直さなければいけないわ!」
デスクに書類を広げながら、クリスが真剣な面持ちで切り出す。
本来ならば6月中には合宿先の選定と宿泊施設の手配を完了させていなければならなかった。しかし、例の「白薔薇の喪失事件」により僕たちが新座駐屯地で急遽保護生活に入ったため、手配が完全にストップしてしまっていたのだ。
改めて理事長から「2週間程度の合宿期間」の承認を得たものの、場所の確保が最大のネックとなっていた。
(合宿期間は2週間か……。本来なら3週間はじっくり走り込みたいけれど、部員たちの課題提出のスケジュールを考えたら、これが限界だな)
僕が合宿へ帯同することについては、事前に北川さんに相談し、「警備計画を再構築すれば問題ありません」と快諾を得ている。
ちなみに、僕のもう一つの重要な任務である「種付け」に関してだが……。
保護生活期間中は国からの配慮で免除されていたため「8月から一気に再開するのかな?」と思っていたのだが、相手の女性たちのスケジュール(排卵予定日)や体調調整の都合上、実際に再開するのは9月からになる見込みだと北川さんから知らされていた。
「クリス、いつもはどこで夏合宿を行っていたんだい?」
「いつもは信州地方は長野県よ。事前に早くから予約を取って、高地トレーニングを実施していたの」
クリスはノートPCの画面を見せながら説明を続ける。
「昨年まで利用していたのは、東御市(標高1750m地点)や、小諸市の高峰高原(標高2000m地点)よ。この世界でも、メキシコシティーオリンピック以降、高地トレーニングの有効性は証明されてるわ。酸素濃度が低い場所で走ることで心肺に強い負荷がかかり、心肺機能が劇的に向上して持久力がアップするからね。他の大学や実業団、プロ選手も7月から8月末はこの標高(1700m〜2000m付近)でトレーニングするのが定番になってるの」
「なるほど……標高1700から2000(m)か」
僕はあごに手を当て、うーむと深く思案した。
たしかにその標高であれば心肺機能に強烈な刺激が入る。しかし――僕は静かに首を横に振った。
「クリス。僕の意見を言わせてもらうと……標高1700(m)以上の高地トレーニングは、マラソン(陸上長距離)においてはデメリットが大きすぎるんだ」
「えっ……? デメリット……ですか?」
クリスが蒼い瞳を丸くして驚く。
僕はホワイトボードに向かい、マーカーで図を描きながら説明を始めた。
「あらゆる競技に共通することだけど、標高1700〜2000というのは『負荷が強すぎる』んだよ。酸素濃度が低いため、強烈な息苦しさと極度の疲労から、本来行うべき高強度の運動(追い込み練習)ができなくなってしまう。無理にインターバル走やレペ(レペティション)を行っても、平地より著しくタイムが落とし込まれてしまうんだ」
「タイムが落ちる……それがどうしてダメなのですか?」
「スピードが出ない状態で走り続けると、脳と筋肉が『その遅いスピード』を覚えてしまい、身体にブレーキがかかる癖がついてしまうんだよ。それに、気圧や空気抵抗も変わるから、平地に戻った時に走りや接地の感覚にズレが生じてしまう。何より、オーバーワークになって疲労が抜けず、故障や免疫力低下のリスクも跳ね上がる。これでは本末転倒だ」
僕の熱い“天馬節”に、クリスは圧倒されながらも息をのんで聞き入っていた。
「じゃあ、天馬……合宿はどこでどんなトレーニングをすればいいの……!?」
「高地トレで最も高い効果が期待できるのは、標高1700以上じゃない。標高1200〜1500の『準高地』だ! この高さこそが、スピードを落とさずに心肺に最高の適度な負荷をかけられる、最強のトレーニングエリアなんだよ!」
「準高地……! そんな考え方があったなんて……!」
僕が力説すると、クリスは目を輝かせて感嘆の声を上げた。
しかし、現実的な問題が立ちはだかる。
今から東御市や小諸市周辺の宿泊施設を調べても、どこもかしこも満室で、大人数を収容できる宿は一軒も空いていなかったのだ。
「うーん、参ったな……どこか他に利用できる施設はないかな?」
僕が尋ねると、クリスが「あっ!」と何かを思い出したように声を上げた。
「天馬! 長野県の白樺湖近くに、大学のセミナーハウス『東相大学 白樺湖研修館』があるわ!」
「セミナーハウス!?」
「ええ! 全80室あって、合計300名ほどが宿泊可能な大きな施設よ。男性専用部屋も8室(32名収容)用意されているの。普段はゼミやサークルの合宿に使われるのだけど……今から空き状況を確認してみるわ!」
クリスが素早くPCを操作すると、パッと表情を明るくした。
「あったわ! 今夏はまだ20室(男性専用4室)空いてるわ! これなら部員全員とスタッフが十分に宿泊できるわね!」
「素晴らしい! 白樺湖は標高1400メートルだし、 まさに僕が言ってた理想の『準高地』じゃないか! ここに決定だ!」
僕は元の世界で実業団に入ってからは、白樺湖畔(標高1400m)で夏合宿を行っていた。
ここは準高地で正にスピードトレーニングをするにはうってけだ。
クリスは目を見開いて驚きの表情をするも、僕の決定に応える。
「ここで決定ね!早速合宿の手配をするわ!」
場所が決まれば、次は僕の警備体制の確認だ。僕はその場で携帯を取り出し、担当官の北川さんへ電話をかけた。
彼女は僅か数コールで電話に出た。
『お電話ありがとうございます、天馬さん。どうされましたか?』
「北川さん、夏合宿の件なんですが……長野県の白樺湖にある大学のセミナーハウスを利用することになりました。標高1400mの場所です。僕がそこに2週間滞在しても警護上問題ないか、確認していただけますか?」
『白樺湖のセミナーハウスですね、承知いたしました。すぐに現地の手配と護衛体制の調整に入ります。少しお待ちいただけますか』
そう言って切られた電話から、わずか15分後。北川さんはすぐに連絡をくれた。
『天馬さん、お待たせいたしました! 現地の状況も周辺の警護配置も問題ありません。合宿へのご帯同、大丈夫ですよ!』
「ありがとうございます、北川さん! 急だったのに助かりました!」
こうして、東相大学長距離・駅伝部の夏合宿地は「白樺湖」に正式決定した。
電話を終えた僕の横で、クリスが安堵の息をついている。
しかし、僕は彼女のお腹へ優しい視線を向けた。
「クリス……君の参加についてだけど、無理は禁物だよ。君はまだ妊娠初期の段階だ。白樺湖は標高1400の準高地とはいえ、平地よりは酸素が若干薄い。胎児への影響も考慮しないといけない」
「天馬……心配してくれるのは嬉しいけど、私はこの部の監督よ?」
クリスは愛おしそうに自分のお腹を擦り力強く微笑んだ。
「標高1400くらいなら、日常生活を送る分には身体へ強い負担はかからないわ。実際そこに住んでる人もいるし……それに、私はあなたと一緒に、部員たちの成長を一番近くで見届けたいの。明日、病院の先生にしっかり相談して、許可が出たら絶対に参加させてね?」
「分かったよ。無理をしないって約束できるならね」
「ええ、約束するわ。あなたの赤ちゃんのためにも、絶対に無茶はしないから」
日中の光が差し込む部室で、僕たちは微笑み合い、そっと手と手を重ね合わせた。
新たなトレーニング理論を引っ提げて挑む、白樺湖での夏合宿。僕たちの熱い夏が、いよいよ始まろうとしていた。
【あとがき】
いよいよ夏の合宿がスタートします!
高地トレーニングの効果には諸説ありますが、私は標高1,200~1,500メートルの「準高地」こそが、最も高い効果をもたらす最強のトレーニングであると自負しています。作中の天馬と部員たちにとっても、この夏は大きな勝負の舞台となります。
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次回の投稿は、来週の月曜日を予定しています。今後とも末永くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




