第81話 溢れる朝の温もりと、戻って来た日常
7月31日(火) ―― 午前5時
朝の静けさが満ちる我が家のキッチンで、僕は一人、みんなの朝食と手作りお弁当の準備に取りかかっていた。
「あ、天馬さん……! おはよう。もう起きてたのね。私も手伝うわ」
パタパタと軽い足音を立てて起きてきたのは、第5夫人の愛理だ。
眠そうに細められた瞳と、少し乱れた髪。そして何より、僕の視線を釘付けにしたのは――その姿だった。
「愛理……おはよう。お腹の子のためにももっと寝ていてよかったのに」
「ふふ、愛する奥様を一人でキッチンに立たせるわけにはいかないわ。赤ちゃんもね、『お父さんをお手伝いしてあげて』って言ってるわ」
愛理は愛おしそうにお腹を撫でながら微笑む。
——それにしても、相変わらず愛理のエプロン姿は破壊力が凄まじい。
彼女は「やおびくに種」の影響もあって、43歳という実年齢が嘘のように20歳にしか見えない超絶童顔なのだ。そんな可憐な少女のような面顔を残す彼女が、妊娠して少しふっくらと愛らしく膨らんだお腹の上にエプロンを締めている。
(うっ!……なんだろうこの、ものすごい『若い女の子を孕ませてしまった』感は……! 犯罪的というか、背徳感がヤバすぎる……!)
「天馬さん……? どうしたの?そんなにじっと見つめて?」
「あ、いや……愛理が可愛すぎるのが悪いのかな」
衝動に耐え切れなくなった僕は、後ろから愛理の華奢な身体をそっと抱きしめ、お腹を優しく包み込んだ。愛理は驚きつつも、嫌がる素振りどころか、ふんわりと身を委ねて僕の胸に頭を預けてくる。
「ふふ、朝から甘えん坊さんね。でも……嬉しいわ」
「愛理、絶対に無理はしないでね。ご飯は僕がメインで作るから、愛理はサポートだけでいいから」
「はいはい、分かりました。じゃあ私はみんなの朝食(お味噌汁とおかず)を担当するから、天馬さんはお弁当をお願いね」
こうして二人で並んでキッチンに立つ。
思い返せば昨日、約一ヶ月半ぶりに新座駐屯地から自宅へと帰宅した。
夕方からは、妻たちと婚約者の蘭、僕の担当官である北川さん、当日勤務の松田さんを筆頭とする護衛たち12名、千代乃の担当官の里美さん、愛理の担当官の真由美さんを含めた総勢25名が我が家に大集合し、大賑やかな「保護生活解除の宴会」を開催したのだ。
妊婦組(奈月、朱里、美月、千代乃、クリス)と、まだ学生(大学二年生)の蘭を除き、大人のメンバーで夜遅くまで語り明かし、そのままリビングや客間で雑魚寝状態で泊まっていった。
ちなみに、昨日の非番だった護衛たちとも、今日以降でささやかな宴席を設ける約束をしてある。
(やっぱり、自分の家が一番落ち着くなあ……)
出汁の温かい香りが漂う中、僕は一人ひとりのお弁当箱にご飯と特製のおかずを詰めていった。
07時00分 ―― 。
やがて、パタパタと廊下から足音が聞こえ、第8夫人の椿姫が最初に起きてきた。
「あ……天馬、愛理さん。おはようございます」
「椿姫、おはよう」
僕はエプロンを外して椿姫の元へ歩み寄ると、彼女の細い腰を引き寄せて深々と熱いキスを交わした。
「んんっ……!? あ、朝から……っ」
真っ赤になってうっとりと息を吐く椿姫。そんな彼女の視線が、調理台に並べられた朝食と、彩り鮮やかな手作りお弁当へと注がれた。
「えっ……? これって……お弁当……ですか?」
「うん。みんな仕事や学校だろ? 椿姫と葵の分も僕が作ったんだよ」
そう言って笑顔を見せると、椿姫の切れ長の瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「つっ、椿姫!? どうしたの!?」
「いいえ……すみませんっ! ただ……私、軍人として生きてきて……誰かに手作りのお弁当を作ってもらうなんて……そして、こんな温かい朝を迎えられるなんて思ってなくて……っ、感動してしまって……っ」
涙を拭いながら感極まる椿姫を、僕は愛おしく抱きしめた。
「天馬のお弁当……大切に、噛み締めていただきますね……っ!」
そこへ元気な声を上げて葵がやってきた。
「あ~、よく寝たぁ! あっ、天馬さん、おはようっ!」
葵は一直線に僕に飛びついて抱きつき、背伸びをしてチュッと可愛らしくキスをしてきた。そして姉と同じく、ズラリと並んだお弁当箱を目にして絶句する。
「ええっ!? これ、天馬さんが作ってくれたの!? うそ、私のお弁当もあるの!?」
「もちろん葵の分もあるよ」
「やったぁぁっ! 天馬さんのお弁当、絶対に一口残さず大事に食べますっ!!」
葵は満面の笑みを弾けさせ、跳ね上がるように喜んだ。
続いて、目を擦りながら起きてきた婚約者の蘭も、お弁当を見るなり感極まった表情で叫んだ。
「コーチ……じゃなくて、テンさん! 私のお弁当まであるんですか!? 嬉しい……っ!」
「おいおい、ただの弁当だぞ?」
照れて髪を掻きむしる僕を見て、蘭は「ただの弁当なわけないじゃないですか〜!」と涙ぐみながら笑顔を咲かせた。
その後も、続々と妻たち、北川さん、里美さん、真由美さん、そして松田さん率いる護衛たちが起きてきた。僕はお弁当を手渡しながら、いつも通り一人ひとりと「おはよう」の挨拶と軽いハグを交わしていく。
一ヶ月半ぶりに戻ってきた自宅の朝。全員の顔に、心の底から安心したような柔らかい笑みが浮かんでいた。
08時00分 ―― 。
朝食を賑やかに済ませ、全員が出勤・通学の準備に入った。
玄館前で、まず「東相大学病院」へ向かう奈月と朱里を見送る。
「奈月、お腹の子もいるんだから、今日は絶対に無理しちゃダメだからね! 患者さんの診察もセーブしてよ」
僕が何度も念を押すと、奈月はクスッと優しく笑った。
「ふふ、分かってるわ、医師なのだから無理はしないわ。……そんなに心配性なところも愛してるわ」
隣の朱里も満足そうに頷く。
「ダーリンこそ、今日からまた無茶しないでね? 無茶したらお仕置きなんだから!」
「無茶はしないよ! 二人とも気を付けてね!」
続いて、「東相大学」の研究室へ向かうクリス。彼女は“助教授候補”として、スポーツ科学の研究と大学の業務を兼任している。
「クリス、妊娠初期なんだから、実験室で重いものを持ったり走ったりしたらダメだよ!」
僕がそう注意すると、クリスは少し照れたように蒼い瞳を揺らした。
「分かってるわ、あなたの赤ちゃんを授かった大切な身体だもの。……あなたに余計な心配をかけたくないから、絶対に無理はしないね」
そして同じく東相大学(2年)へ通う蘭。
「うぅ……今日大学に行ったら、部員(陸上長距離・駅伝部)のみんなから『天馬コーチとの夜のトレーニング(褥)はどうだった!?』って質問攻めにされるんだろうなぁ……」
「ははは、蘭、変なこと喋るなよ!?」
「喋りませんよぉ! 今日は普通の女子大生として静かに過ごしたいのに……」
苦笑いしながらぼやく蘭を「頑張ってね」と送り出す。
09時00分 ―― 。
僕は美月、愛理、そして真由美さんと共に「沖ホールディングス本社」へと向かった。
僕の役職は広報部所属の「特別社員」である。東相大学の陸上長距離・駅伝部への出向がメインのため出社は限定的だが、今日は“保護生活解除”の報告も兼ねて顔を出すのだ。護衛の車列に守られながら、本社ビルへ到着した。
社長室のフロアへ上がると、会長の沖月子さんと、社長の沖葉月さんが出迎えてくれた。
二人とも、僕たちの姿を認識した瞬間に、パッと表情を綻ばせた。
「お帰りなさい、天馬さん」
「無事に戻ってきてくれて、本当に良かったわ……!」
長期間の駐屯地生活をどれほど深く心配していたかが、その声の震えから痛いほど伝わってくる。僕は深々と頭を下げた。
「会長、社長。ご心配をおかけしました。こうして全員無事に戻ってまいりました」
会長の月子さんは歩み寄ると、僕を優しく抱きしめてくれた。
「あなたが無事なら、それだけで十分よ。本当に……よく頑張ってくれましたね」
葉月さんも愛理と美月を抱きしめ、無事の帰還を涙ぐみながら祝福した。
するとそこで、美月が少し頬を赤らめながら、もじもじと二人に向かって口を開いた。
「あの……おばあ様、お母様。ご報告があります。……私、天馬さんの子どもを授かりました」
「「……えっ!?」」
一瞬、固まる月子さんと葉月さん。
直後、月子さんの目から溢れんばかりの嬉し涙がこぼれ落ちた。
「まあ……! 本当なの……!?」
「はい……! 定期健診で確認されました」
「おめでとう……! おめでとう美月っ! 本当に良かったわ……っ!」
葉月さんも美月をもう一度強く抱きしめ、何度も言葉を詰まらせた。
普段は勝気で堂々としている美月が、母と祖母の前で照れくさそうに「えへへ……」と少女のような顔を見せている。
その温かい光景を少し離れた場所から見つめながら、僕は胸の奥が熱くなるのを感じていた。こうしてまた、家族の絆が深く強くなっていくのだ。
「これでまた、沖家も一層賑やかになりますわね。天馬さん、美月をしっかり守ってあげてくださいね」
「はい、月子さん。命にかえても守ります」
~~~~~~
その頃、第6夫人の千代乃は、担当官の里美さんと共に永田町の首相官邸へと向かっていた。
今後の天馬に関する国家機密情報の漏洩懸念について、政府高官らと直接面談をするためだ。
車中で、千代乃から僕のスマートフォンに電話が入った。
『天馬さん? 今から永田町で、ちょっとした“確認”をしてきますね』
「千代乃……“確認”って……また激しい圧力をかけるつもりだろ? 余り過激な真似はしないでくれよ」
電話の向こうで、千代乃が“ふっ!”と妖艶に微笑む気配がした。
『ふふっ……誰に向かって仰ってるのかしら? 私の愛する天馬さんの安全と尊厳を脅かす愚か者には、しかるべき“お勉強”をしていただくだけよ。では、行ってまいりますね』
クスクスと笑って電話が切れた。……相手の政府高官たちの胃に穴が開かないことを祈るばかりだ。深く追求しないでおこう。
一方、陸軍将校である椿姫と葵は、迎えに来た陸軍の公用車で「福生基地」の「国防軍統合司令部」へ出頭していた。
新座駐屯地での保護生活解除の手続きを終え、毅然とした態度で書類にサインをする椿姫大尉。軍人としての威厳に満ちた立ち振る舞いだったが、ふと昨夜から今朝にかけての天馬の自宅での甘い時間や、カバンの中に入っている天馬手製のお弁当を思い出し、口元が微かに緩んでしまう。
隣にいた妹の葵少尉が、見逃さずにニヤニヤと突っ込んできた。
「お姉ちゃん〜……さっきからずーっと顔がニヤけてるよ? 天馬さんのお弁当のこと考えてたでしょ?」
「っ……! 葵、余計なことを言わないの! 今は軍の公務中よ!」
「はいはい、分かってますって〜。でもお姉ちゃん、すごく幸せそうだもんね」
「〜〜っ! あなただって、さっきからお弁当の入ったバッグを大事そうに抱え直してばかりじゃないの!」
「だって天馬さんの手作りだもん! 食べるのが勿体無いくらいなんだから!」
姉妹で真っ赤になりながら口論する二人。仕事中であっても、その心には常に「甲斐田天馬」という絶対的な光が灯っていた。
10時30分 ―― 。
沖ホールディングスビルの広報部フロア。
僕がドアを開けて顔を出すと、フロア内で作業していた十数名の女性社員たちが一斉に作業を止め、息をのんだ。
いきなりの僕の登場に驚いている様子だ。
「皆さん、おはようございます! 長らく席を空けてしまい申し訳ありませんでした。今日からまたよろしくお願いいたします」
僕が爽やかに頭を下げると、広報部の課長が苦笑いしながら歩み寄ってきた。
「甲斐田さん……お帰りなさい! もう、連日ニュースであなたのお名前を見ない日はありませんでしたよ!」
すると、フロアの女性社員たち(全員女性)が一斉に立ち上がり、声を揃えて叫んだ。
「「「「甲斐田さん、おかえりなさぁぁぁいっっ!!!!」」」」
「あはは、ありがとうございます! ちょっと長く留守にしちゃいましたけど、またよろしくお願いいたします!」
冗談めかして笑うと、フロア全体にドッと明るい笑い声と拍手が巻き起こった。
挨拶を終え、僕は広報部の窓際に立ち、眼下に広がる街並みを見上げた。
青く澄み渡る夏の空。
新座駐屯地での1ヶ月半に及ぶ保護生活。
五足の草鞋を履き、多忙を極めたあの日々は、決して楽なものではなかった。けれど、北川さんや椿姫さんたちに支えられ、多くの選手や仲間たちと絆を深め、そして新しい命や愛する妻たちと巡り会えた。
(本当に……かけがえのない、素晴らしい経験だったな)
自身の人間としての成長、そして夫としての覚悟を確かなものにしてくれた保護生活。
街を行き交う人々の営みを見つめながら、僕は深く息を吸い込んだ。
試練を乗り越え、僕たちの日常はまた、新しく温かい次のステージへと進んでいく。
愛する家族たちの笑顔を守るため、僕はこれからも胸を張って、この世界を全力で駆け抜けていくのだった。
【あとがき】
保護生活から戻った日常を描くうちに、つい長くなってしまいました。
何気ない普通の日常こそが、一番大切なものだと筆者は思っております。
作品を楽しんでいただけましたら、ぜひ★評価やブクマ登録をしていただけると励みになります。感想もお待ちしております。
次回の更新は金曜日を予定しております。
今後とも末永くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




