第72話 関東州大学陸上長距離競技会!
◆7月15日(日) ―― 新座駐屯地・宿舎からリモートにて。
7月14日(土)から二日間にわたり、「新横浜公園スタジアム」にて関東州学連主催の「関東州大学陸上長距離競技会」が開催されていた。
種目は10000m走のみ。各組30名ずつ、合計10組に分かれてタイムを競い合う超過酷な一発勝負のレースだ。
14日㈯に1〜5組、15日㈰には6〜10組が熱戦を繰り広げる。
参加資格を得られるのは、厳しい参加標準記録をクリアした上位300名のみで、我が東相大学の陸上長距離・駅伝部からは、1年生のエース・三上ルイと、2年生の部員5名の計6名が出場権を掴み取っていた。
実はこの中で、今シーズンの参加標準である「35分未満」を満たしていたのは三上だけだった。2年生5人の持ちタイムは35分01秒から05秒と、記録には一歩届かなかったが、関東州学連所属大学の上位300位以内に滑り込むことで、辛うじて出場権を手繰り寄せたのだ。キャプテンの鳴野蘭は34分台のタイムを持ち、当然のように資格を有していたが、僕たちと一緒に新座駐屯地で保護されている身ではどうしようもない。鳴野の不参加は、あまりにも無念な辞退だった。
真夏の暑さを考慮し、レースは夕方から夜にかけてのナイター環境(16時〜21時)で行われる。監督のクリスとコーチの僕は、当然現地へ行くことはできない。
代わりに選手たちの引率とサポートを買って出てくれたのが、ラグビー部戦術担当コーチの「勝田真紀」さんだった。
「甲斐田コーチ、部員たちのことは私にすべて任せなさい! きっちりサポートしてくるわ!」
そう言って胸を叩いてくれた彼女は、本当に頼もしかった。
さらに現地からは、頼もしい助っ人たちの姿がビデオ通話越しに映し出される。
男子マネージャーの鷹司君と一条君の二人が、それぞれの護衛を伴って現役部員たちのサポートに奔走してくれていた。そして何より、画面の端からひょっこりと顔を出した人物に、僕は目を疑った。
「天馬兄さん、お疲れ様!」
そこにいたのは、僕の最愛の天使……もとい、義弟でありラグビー部マネージャーの「福原 優」君(ヨッシーの息子さん)だった。なんと彼まで6名もの厳重な護衛を引き連れて、スタジアムに応援に駆けつけてくれていたのだ。
優君、鷹司君、一条君の3人は、中学時代からの親友同士でもある。
「天馬兄さんにはラグビー部をめちゃくちゃ強くしてもらいましたから。これくらいの恩返しは当然ですよ」
そう言ってカメラに向かって“パチン”とウィンクをして見せる優君。美少女かと見紛うほどの圧倒的な可愛さと美しさを兼ね備えた彼のその仕草に、僕は一瞬で顔を真っ赤にしてしまい、「あ、ありがとう……う、嬉しいよ……」と言葉をシドロモドロにさせてしまった。隣でクリスが呆れたような顔で見ている。
昨日実施された1〜5組の最高タイムは33分55秒で、ボリュームゾーンは35分台と、全体的に記録は低調だった。
夜間開催とはいえ、気温は20度まで下がってはいるものの、とにかく湿度が高くて不快指数が異常に高い。日本のべたつく夏特有の空気のせいで、トップクラスの選手でさえ34分を切るのがやっとというコンディションだった。
ちなみに、昨日の最高タイムをマークしたのは「西北大学」の4年生である。同大学は箱根駅伝の優勝常連校でもある駅伝の名門だ。
しかし「西北大学」といえば、伝統的にラグビー部も強く、大学リーグで常にトップを争う超強豪校……だったのだが、今期の春季リーグにおいては、我が東相大学ラグビー部に完膚なきまでに叩きのめされていた。
一つもトライを奪うことすら許されず、すべての試合で30点以上の差をつけられての「完全完封(ゼロ点)」負け。これ以上ない屈辱を味わわされた西北大学の面々は、陸上部といえども東相大学に対して激しい敵対心を燃やしているらしい。スタジアムのあちこちから、東相大学の部員たちに向かって殺気立った視線が突き刺さっていた。
さらに、ラグビー部を大躍進させた立役者の一人でもある「勝田真紀」戦術担当コーチが付き添っているとあって、スポーツ紙の記者たちがこぞって彼女にインタビューを敢行していた。
「勝田コーチ! 今日はなぜ陸上部のサポートを?」
「今回は監督とコーチが諸事情で保護中の身ですので、代わりに私がサポートに来ました。ですが、私へのインタビューは結構です。今日は彼女たち(陸上長距離・駅伝部)が主役なのですから、彼女たちをもっと取材してあげてください」
勝田コーチは毅然とした態度で記者たちをあしらう。さらに、マイクを向ける記者たちに対し、胸を張って自信に満ちた表情でこう言い放った。
「あらゆるスポーツにおいて、従来の『根性論』や『精神論』だけで押し通すのには限界があります。それでは選手を壊すだけで、何一つ能力は向上しない。甲斐田コーチが考案したトレーニングのすべては、膨大なデータと科学的根拠に裏付けされたものです。スポーツは、科学なのです!」
その堂々たる宣言に、記者たちは息を呑んだ。 だが、間近でその言葉を浴びた西北大学の監督や選手たちには、その先進的な理論など到底理解できなかった。「寝言を言うな」と言わんばかりの拒絶反応は、激しい殺気となって東相大学の面々へと向けられた。
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「みんな、僕の声は聞こえるかい? 落ち着いて聞いてほしい」
レース直前、僕は新座の宿舎からリモートで部員たちに最終指示を出した。
「今日のこの湿度は尋常じゃない。夏場の脱水からくる疲労を極力抑えるため、ウォーミングアップは1キロのジョグまで。最後に短いウインドスプリントを2本だけ入れて。それで十分身体は動くから、無駄な体力を使わないように」
これまでの古い常識なら「試合前はしっかり走り込んで汗を流せ」となるところだが、三上ルイたちは僕の言葉を信じ、指示通りの最小限のアップで身体を休めた。
そして、ついに6組から9組までのレースが始まった。この組で2年生部員5名がそれぞれ1~2名ずつ出走する。
「作戦は前回の反省を活かして、序盤の位置取りを前目の5番手以内でキープすること。あとは自分の骨盤の連動とフォームの維持だけを意識して。ペースは1キロあたり3分29秒を絶対に死守しよう」
僕は2年生部員5名にそうアドバイスした。
号砲と共に飛び出した2年生たちは、実に見事な走りを見せた。
事前の指示通り、スタート直後から果敢に前方の好位置をキープ。無駄な加減速のない安定したキロ3分29秒のイーブンペースを刻み続ける。
前方の位置取りが良かったお陰で、他校の選手たちのように集団の加減速に巻き込まれることもない。このサウナのような高湿度の中、周囲の選手たちが次々と脱水と疲労で失速していくのを尻目に、東相大学の5人は涼しい顔でラップを刻み続けた。
結果は――34分58秒〜59秒。
なんと、この最悪のコンディションの中で、出走した2年生5名全員が目標の35分を切り、「全員自己ベスト更新」という信じられない快挙を成し遂げたのだ。
「みんな、よくやった……!」
画面越しに、僕は思わず拳を握りしめた。
6組~9組がゴール直後、全力を出し切ってトラックに倒れ込む部員たち。すかさず、天使のような男子マネージャーである鷹司君、一条君、そして優君たちが駆け寄り、冷たいタオルやドリンクを差し伸べて甲斐甲斐しく介抱を始める。
その光景を見た他大学の女性選手たちからは、凄まじい嫉妬の眼差しと、「な、なにあれ……!」「男マネ(男子マネージャー)にあんなに優しく介抱してもらえるなんて……っ!」という悲鳴にも似た奇声が上がっていた。
データと科学に基づいた的確なアプローチ、そして何より最高のマネージャー陣のサポートを得て、2年生5名は全300名中、見事に上位50位以内に全員が食い込むという大躍進を遂げた。
「さあ、次は三上の番だ。行ってこい!」
僕の力強い声に、画面の向こうでエース・三上ルイが、静かに冷徹な闘志を瞳に宿して頷いた。
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『関東州大学陸上長距離競技会』も、いよいよ大詰めを迎えていた。スタジアムの照明が緑の芝生を鮮やかに照らし出す中、エースの「三上ルイ」が出場する最終第10組の準備が始まる。
最終組に名を連ねるのは、各大学が誇る一線級のエースばかりだ。新座駐屯地からのリモート画面越しに、キャプテンの鳴野蘭が割れんばかりの声援をスマホに向かって送っている。
「ルイ、私の分まで頑張ってね!」
三上は蘭の声援を受け、ゆっくりと頷く。
「三上、作戦通りだ。ここまで湿度が高いと後半確実に削られる。設定はこれまでより1秒速い、キロ3分15秒のイーブンペースだ。ただし、身体に異変を感じたら絶対に無理はするな。いいな!」
僕の激励に、三上は画面の向こうで小さく、だが力強く頷いた。
しかし、各選手のスタート位置を画面で確認していた僕は、ある異変に気がつく。
「……西北大学の選手が、4名も固まっている?」
競技会のルール上、持ちタイムの順に後ろの組へ配属されるのは当然で、何の問題もないはずだった。だが、三上を囲むように同一大学の選手が4人も配されるのは、いささか不自然に過ぎる。
「天馬、これは少し奇妙ね……」
隣にいた監督のクリスも気づき、顔を顰めた。
嫌な予感が脳裏をよぎる。単独で勝ち上がってきた東相大学のエース・三上ルイを、彼女らは組織的に潰しにかかってくるのではないか――その可能性は、極めて高かった。
「優君、ちょっと三上を画面の前に呼んでくれ。スタート前で悪いが、緊急だ」
僕は現地で三上ルイのサポートをしてくれている福原優君のスマホへ連絡を入れた。三上は何事だろうと、キョトンとした表情を浮かべながらも、優君の掲げる画面の前に走ってきた。
僕は三上に西北大学の選手4名がレース中にやるであろう可能性を伝える。
「三上、落ち着いて聞いてくれ。君の近くにいる西北大学の4人は、おそらくチームプレーで『罠』を仕掛けてくる筈だ」
「罠……ですか?」
三上はキョトンとした表情で応える。
「ああ。まず1人がブラフ――捨て駒になって先頭に立ち、5,000メートル地点あたりまで狂ったようなハイペースで引っ張るはずだ。これには絶対についていっちゃダメだ。そして残りの2人が、三上の走りを『ブロック』しにくる――—」
僕の見立てはこうだ。1人が三上の目の前に入ってわざとペースを落とし、もう1人が2レーンにピタリと並走する。前を塞がれ、右からも抜け出せない『ポケット』に閉じ込め、自滅を待つ。自分のタイミングで動けず、前の選手の急激な加減速に振り回されれば、無駄な体力とメンタルを削られるだけだ。
そう告げると、三上の瞳に明らかな緊張が走った。だが、僕はあえて不敵に笑ってみせた。
「でも、安心しろ。そんな古典的な嫌がらせは想定内だ。三上、お前に『特効薬』となる作戦を授ける。――20周、つまり8000メートル地点に達するまで、あえて1レーンも2レーンも使うな。ずっと『3レーン』を走るんだ」
「えっ……3レーン、ですか!?」
三上だけでなく、画面の向こうにいる優君たちも驚きに目を見張る。
「そうだ。スタート直後、西北のブラフが飛び出してきても無視しろ。悠々と3レーンへ移動し、そこをキロ3分15秒のペースで刻むんだ。お前が3レーンを走れば、ブロックを目論む西北の二人は、さらに外側の4レーンを走らざるを得なくなる。トラック競技において、外側を走り続ける負荷がどれほど大きいか、名門の彼女たちなら嫌というほど知っているはずだ。自滅するのは向こうさ」
さらに、3レーンという目立つ場所で不自然な並走をされれば、審判団の目をごまかすことは絶対にできない。これ以上の露骨な妨害は不可能になる。
「三上のスタミナと走力なら、3レーンを走り続けるロスを踏み越えていける。自分を信じて、設定ペースを刻み続けろ!」
「……はい! 了解しました、天馬コーチ!」
僕の意図を完全に理解した三上ルイの目に、エースの鋭い光が戻った。
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そして、運命の号砲が鳴り響き、最終10組が一斉にスタートした――。
案の定、西北大学の選手たちはスタート直後からルイの周囲を不自然に囲い込もうとする。そして僕の予想通り、西北の1人が猛然とダッシュし、超ハイペースで単独先頭へと躍り出た。集団がざわめきそれに追走していくものもいる。
三上は一切動じなかった。
彼女はスタート直後に天馬が指示した作戦通り、斜めに滑るようにして3レーンへと大胆に進路を変えた。
これには西北大学の陣営も目に見えて動揺した。慌てて西北の2名がルイを追いかけ、1人がルイの前に立ち、もう1人がその右横――なんと4レーンに並ぶという、陸上競技としては有り得ないほど不自然な隊列を組み始めたのだ。
1レーンは先頭のブラフによって完全に縦長の展開になっている。その遥か外側、3レーンと4レーンを使って、東相大学1名と西北大学2名が並走している。誰の目から見ても、西北大学の行為は「見え見えの進路妨害」だった。
そして、三上のすぐ後ろには、もう1人の西北大学の選手がピタリと張り付いている。
(やっぱりな……あの後ろにいる選手が西北の『本命』だ)
前と横の捨て駒2人に三上ルイをブロックさせ、体力を削り取ったところで、最後に後ろのエースを勝たせる作戦だろう。あまりにも姑息なやり方に、リモート画面を見つめるクリスと蘭や妻たちが怒りの声を上げる。
しかし、僕は冷静にルイのラップタイムを計測していた。
縦長の展開ゆえ、ルイは2レーンに切れ込んでブロックを抜き去ることもできたが、彼女は僕の指示を守り、あえて3レーンのままでじっと耐え、レースの半分である5000mを通過した。
12周半を過ぎたその瞬間、動きがあった。
先頭を大爆走していた西北のブラフの選手が、完全にスタミナ切れを起こして一気に失速。それと同時に、ルイの前を走っていたブロック役の選手が、今度はルイの進路を阻むように2レーン、さらには3レーンへと露骨に進路をスライドさせてきたのだ。
「――そこまでだ」
あまりにも悪質な走行妨害。スタジアムの審判団が即座にホイッスルを吹き鳴らし、前を走る西北の選手に対して公式に「警告」を発した。進路を空けるよう誘導された西北の選手が1レーンへと退く。
「ルイ、いけっ!」
蘭が画面越しに三上に声援を送る。
遮るもののなくなった3レーンから、三上ルイが爆発的なスパートを見せた。
一気に加速し、他校の選手たちをゴボウ抜きにしてトップへと躍り出る。それまで4レーンを走らされて余計な距離を走らされていた西北のブロック役2名は、すでに足が完全に終わっており、三上の加速についていくことすらできず、ズルズルと後方へ失速していった。
残ったのは、三上の後ろを追走していた西北の「本命」のエースだけだ。しかし、彼女の表情もすでに苦悶に満ちていた。
本来、1レーンより3レーンは1周あたり約15mも走る距離が長くなる。天馬の科学的トレーニングによって圧倒的な心肺スタミナを培ってきた三上にとって、その程度のロスは、相手を合法的に自滅させるための必要経費に過ぎなかった。
8000m地点——。
「バイバイ」と言うかのように、ルイがもう一段ギヤを上げた。追走していた西北のエースは、その暴力的なスピードの変化に呆然と足を止め、一瞬で引き離されて失速していった。
あとは、完全な独走状態だった。
ラスト1周の鐘が鳴り響く中、ルイはスタジアムの大歓声を一身に浴びながら、力強いストライドでホームストレートを駆け抜けていく。
そして――。
三上ルイは満面の笑みを浮かべ、両手を大きく広げてフィニッシュラインを駆け抜けた。
電光掲示板に表示されたタイムは、32分30秒。
この最悪の高湿度ナイターにおいて、競技会最速タイムだった。
「やったぁぁぁぁぁ!!」
リモート画面の向こうで、ラグビー部の勝田コーチ、男子マネージャーたちが抱き合って歓喜の声を上げる。
ゴールした瞬間、流石にすべての体力を使い果たしたルイは、1レーンの外側へと倒れ込んだ。そこへ、すかさずスポーツドリンクを持った優君が駆けつける。
ルイは優君の姿を見るなり、最高の笑顔を浮かべ、嬉しさからその細い身体にギュッと抱きついた。
優君も優しく彼女の頭を撫でている。その微笑ましい光景に、他大学の女性選手たちからは再び大ブーイングと羨望の奇声が上がっていた。
一方――スタジアムの片隅で、西北大学陸上部の女性監督(30歳前後)が、信じられないものを見たというように茫然自失の表情で立ち尽くしていた。
完全なる東相大学の作戦勝ちだ。
あえて3レーンを走らせることで、西北大学の陰湿な妨害行為を白日の下に晒し、審判の警告を引き出したプロット。公式のカメラにもその様子はバッチリ映っているため、後日、西北大学には連盟から重いペナルティや処分が下されるのは確実だった。
「天馬コーチ……あなたって人は、本当に底が知れないわね」
画面の向こうで、勝田コーチが畏敬の念を込めてため息をつく。クリスや他の部員たちも、「まさかあんな方法で嫌がらせを無効化するなんて」と、僕の深慮遠謀な作戦にただただ驚愕していた。
けれど、僕自身は作戦が上手くいったことよりも、何より画面の向こうで誇らしげに胸を張る三上の姿、そして自己ベストを叩き出して抱き合っている2年生たちの成長が、涙が出るほど嬉しかった。
スポーツは科学であり、そして最後は選手の努力が奇跡を起こす。
熱い夜風が吹き抜けるスタジアムの映像を見つめながら、僕は恋しい我が家のアスリートたちの輝かしい未来に、静かに拍手を送るのだった。
次回の投稿は、金曜日を予定してます。
今後とも本作品をよろしくお願いいたします。




