第66話 白日の衝撃と、それぞれの最前線
6月25日(月)
土曜日から今朝にかけてメディアが報じたニュースは、日本全土に文字通り「天変地異」ほどの衝撃を与えていた。
現職の国会議員2名、男性保護庁の官僚や職員、さらには少年を守るべき保護施設のスタッフまでもが、少年たちに対する強制売春と精液の密輸に関わっていたのだ。
密輸の手口は凄惨極まるものだった。東欧やアジア第三国から入国した女性たちに施設の少年らと性交をし、その種を身ごもらせた状態で帰国させる――というものだ。
さらに、その裏で行われていた、少年たちを薬物漬けにして支配していたという恐るべき実態も明らかになった。
一連の事件の黒幕が「蓮田みずき」であったこと、さらには国内外のマフィアまでが深く関与していた実態が、センセーショナルに暴かれていた。
国民がテレビやネットの報道に釘付けになる中、僕は自室の応接間にいた。報道に先駆けて、北川さんと同行してきた「牧野椿姫」大尉の口から、事の仔細を直接聞かされていたのだ。
「天馬さん……驚かないで聞いてください」
僕の自室の応接間で、牧野大尉は沈痛な面持ちで語った。
一連の陰謀には、やはり「東欧」と「アジア第三国」が深く絡んでいた。彼女たちは僕との「種付け」を激しく熱望し、一時は僕を拉致する具体的な計画まで進めていたという。
さらに蓮田は、アジア第三国と東欧に対し、僕と大舘真人(ヨッシー、芸名:高木良明)が、この世界に存在しないはずの「稀人」であることまでリークしていた。
幸いにも、向こうの政府は突飛すぎるその事実を全く信じなかったらしい。
「大舘真人さんは、すでに芸能界で有名になりすぎていたため、海外勢も生け捕りでの接触を諦めたようです。だから蓮田たちは、天馬さんが有名になる前に……まだ護衛が手薄なうちに潰そうとするか、あるいは拉致しようと画策してました。天馬さんの護衛陣に一切の隙がなかったからこそ、防げた危機だったのです」
逮捕者は国内外のマフィアも含めるとすでに200名を超え、今なお増え続けているという。
しかし、何よりも僕の胸を締め付けたのは、保護施設の裏手にある山林から「30体もの男性の遺体」が掘り起こされたという報告だった。
それは、逮捕された「天啓のゆりかご園」のスタッフたちの供述によって明らかになった。男性保護庁のさらなる底なしの闇だった。
「遺体の多くは、少年ではなく大人の男性……『不還者』だったそうです」
『ノンリターナー』――
この世界において、法律で定められた年齢に達しても婚姻数の規定に達せず、さらに国がランダムで選んだ女性との強制婚姻をも拒否した男性たちの蔑称。
手厚い保護を受けながらも、社会への恩返し(還元)を拒み、男性の義務を果たしていない「義務違反者」として、彼らは「男性の婚姻義務法」に基づき、国内数箇所にある「隔離施設」へ“強制収容”される手筈になっている。
その中の一つ、『第二生殖リハビリテーション』という施設が、今回の惨劇の舞台だった。
そこでは蓮田や立河の息がかかった研究医たちが関与し、麻薬に指定されている禁止薬物『トーパーG』の非道な投与実験が、隔離された「ノンリターナー」たちに対して不正に行われていたのだ。
『トーパーG』――それは、男性機能の増大と快楽物質を強化するために作られた試作薬だった。
脳の報酬系を過剰に刺激し、理性による抑制を解除して、飽くなき肉体的な欲求を増幅させる。要するに、強制的に性欲を暴走させる薬だ。
だが、その代償はあまりにも残酷だった。
神経が破壊され、通常の状態では一切の喜びや刺激を感じられなくなる「精神的な空白」に陥り、極烈な依存性が自己を喪失させる。さらに恐ろしいのは、薬効によって血流が異常に跳ね上がることだ。大量の血液が絶え間なく心臓に流れ込むことで心筋が疲弊・肥大化し、最終的には全身へ血液を送り出せなくなる「心不全」を引き起こす。
分量の調節が極めて難しく、少なすぎれば効果は半減し、ほんの僅かでも過剰になれば致死量を優に超える。
研究医たちは、拉致同然で連れてこられた「ノンリターナー」たる成人男性たちを「モルモット」として扱い、実験に失敗して心不全で亡くなった遺体を、「天啓のゆりかご園」の裏山へ夜陰に紛れて遺棄していたのだ。
さらに、その『トーパーG』の実験データをもとに薄められた薬物が、「天啓のゆりかご園」の少年たちを支配するためにも投与され続けていた。その結果、わずか1年足らずの間に、20名中13名もの少年が命を落としたという。
あまりにも痛ましく、凄惨な裏ルート。ここにもアジア第三国の資金と影があった。男性保護庁が喧伝していた「男性保護」の理念など、最初からどこにも存在していなかったのだ。国民からの信用が完全に失墜していくのは、火を見るより明らかだった。
「本当に、申し訳ありません。そのような事情もあり、潜伏している残党の危険性を考慮して、もうしばらくは、この新座駐屯地での生活を続けていただくことになります」
牧野大尉が申し訳なさそうに頭を下げる。
「気になさらないでください。僕だけでなく、妻たちの身の安全を確保するためですから。仕方のないことです」
僕がそう答えると、今度は北川さんが深刻な顔で会話に加わってきた。
「天馬さん、大変心苦しいのですが……この状況に鑑み、7月に予定されていたレースは、安全のために出場を辞退していただくことになりました」
「……分かりました。致し方ありませんね」
アスリートとして悔しさはあったが、僕の命や家族の安全には代えられない。素直に受け止める僕を見て、北川さんは少しホッとしたようだった。
婚約者の蘭も、後に北川さんから7月の記録会への参加辞退を告げられたそうだが、最初は残念がりつつも、すぐに「テンさんと一緒にいられるならいっか!」と気持ちを切り替えてくれたらしい。彼女の底抜けの明るさに救われる。
一方、ヨッシーこと「大舘真人」らの家族も、僕ほどの直接的な危険性はないものの、国が万が一を考慮して、国防軍の「福生基地」にて2週間ほど避難生活を送ることになったそうだ。
「大舘さんには旦那様が25人もいて、その子供たちも大勢いますからね。さすがに新座駐屯地ではキャパオーバーだったようです」
と北川さんが苦笑する。
ラグビー部所属の優君やリリカたちも同基地内にいるため、リリカは残りの春季リーグ(大学ラグビー)の試合には出られなくなってしまった。とても残念なことだが、大学理事長の「大舘さおり」さんから「残り1試合は負けてもリーグ優勝は確定しているから大丈夫よ。今回は2軍の選手たちを起用して、いい経験を積ませるわ」と、連絡があり、胸を撫で下ろした。
後でヨッシーやリリカ、優君には個別に連絡を入れてみようと思う。
ちなみに、僕が所属する東相大学の陸上長距離・駅伝部はというと、突然の僕の不在に部員たちが僕の身をひどく心配してくれていた。だが、リモート通話で僕が元気な姿を見せると、一気に安堵の空気が広がった。
三上ルイは蘭のことも心配していたが、蘭が画面にひょっこり顔を出すと「よかったぁ……!」と涙ぐんでいた。
部員たちは、監督であるクリスと僕が現場にいなくとも、指示していたきつい「ヒルトレーニング」のメニューを自主的に、高い意識でこなしてくれていた。画面越しに見る彼女たちの確かな成長が、僕はたまらなく誇らしかった。
まだ安全が完全に確保されない以上、自由が制限されるのは仕方のないことだ。
マスコミは今や、僕のこと以上にこの一連の不正事件を連日センセーショナルに書き立て、ネット上でも激しい論争が紛糾していた。
何より、この事件のせいで「天馬」という稀代の男性アスリートが大会に出られなくなったことに対し、世論は怒りの矛先を「犯罪組織の残党」へと向けていた。
『男神の走りを奪った悪党どもを絶対に許すな!』
そんな強い怒りが社会全体を支配しつつある今、もし残党がどこかに潜んでいたとしても、これ以上の行動を起こすことは不可能だろう。
〜〜〜〜〜
外に出られない不自由な避難生活とはいえ、「新座駐屯地」での毎日は驚くほど快適だった。
何より、僕はただ部屋に閉じこもっているわけではなかった。
「よし、次は体幹を意識して、ブレない軸を作っていきましょう!」
僕の声が、駐屯地のスタジアムに響く。
現在、僕は同駐屯地内に拠点を置く「国防軍体育隊」の陸上長距離選手たちの臨時指導を行っていた。蘭もその練習にちゃっかり混ざって汗を流している。
新座に来てすぐ、リモートで東相大学の指導をクリスと共にこなしていたのだが、手持ち無沙汰にしていた僕たちに、体育隊側から「ぜひ我が隊の選手たちも見てほしい」と打診があったのだ。
一応、表向きは「体育隊長距離選手の臨時コーチ」という名目があるので、断る理由はなかった。
実際に体育隊の練習メニューを見せてもらったのだが、ここでもやはり、僕の元いた世界でいう「陸上黎明期」のような、根性論に頼った古いトレーニング方法が主流だった。
選手らは総勢40名ほど。年齢は20歳から30歳までと幅広く、皆さすがに「国防軍体体育隊」の選手だけあって基礎体力は凄まじい。
妻の奈月とクリス、そして僕とで彼女たちのメディカルチェックを事前に行ったところ、幸いにも深刻な故障を抱えている者はいなかった。しかし、過酷な練習の疲労からか、筋肉の張りが異常に目立つ者が多数見受けられた。
「みんな、信じられないかもしれないけれど、これから2週間は『軽めのジョギング』だけにします」
僕とクリスがそう告げると、体育隊の選手(全員女性)たちは一様に驚愕の表情を浮かべた。
「走らなければ強くなれない」と思い込んでいた彼女たちに、僕は並行して、正しい体幹トレーニングと効率的なストレッチの方法を理論立てて指導していった。最初は戸惑っていた彼女たちも、僕が実演する完璧なフォームと、的確なアドバイスを受けるうちに、その目が真剣なものへと変わっていった。
そんな「国防軍体育隊」長距離選手らの指導を行っている姿と、僕自身のトレーニングする姿を、牧野葵少尉が陸軍広報部のスタッフたちと密着取材をしている。
それぞれトレーニングの邪魔にはならないように絶妙なタイミングで、インタビューをしてくる姿は流石である。
その際に見せる葵少尉の笑顔は、とても可愛らしい。
そんなトレーニング指導をしている僕は、いったいどれくらいの期間、ここから出られない生活が続くのかは、誰にも分からない。
けれど僕は、与えられたこの限られた環境の中で、出来うる範囲のトレーニングを続け、大学の部員たちをリモートで支え、そして目の前の国防軍体育隊の選手たちも強くしていく。
それが今の僕にできることだった。
走ることを止めない限り、僕の足が鈍ることは絶対にない。そんな確信を胸に抱きながら、僕は新座の風を切って駆け抜けていた。
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新座駐屯地での生活が始まってから、数日が過ぎた。
外に出られないという不自由さはあるものの、僕の妻たちと婚約者の蘭は、それぞれの能力と個性を活かし、この特殊な環境に見事なまでに適応していた。
整形外科医である奈月は、今回の件で東相大学病院をしばらく休むことになった。本人曰く「私はまだ経験不足のしがない勤務医だから、私が一人抜けたところで病院の経営には一ミリも支障はないわ」とのことだったが、その技術が眠っているはずもない。
彼女は現在、新座駐屯地の医務室で「臨時勤務医」として採用され、一般の隊員や体育隊の選手たちの診察にあたっていた。
経験不足と謙遜するものの、日頃から大病院の現場で救急や外来を回してきた奈月だ。平時の軍医たちに比べれば、これまでに診てきた患者の数は桁違いに多い。丁寧かつ的確な彼女の診察は、瞬く間に駐屯地内で「名医が来ている」と評判になった。
民間の最前線の医療に触れる機会の少ない軍医たちも、奈月の流れるような診察や処置を熱心に見学し、まるで研修生のようにメモを取っている。
キャリアウーマンの美月は、個室に籠もってノートPCと格闘する日々だ。リモートで会社の部下たちに的確な指示を飛ばしつつ、外部業者との新規契約や業務委託の稟議書、各種決算書類の作成など、膨大なタスクをこなしている。部屋からは時折、彼女の凛としたビジネス用の声が聞こえてくる。
夜の20時近くまでデスクに向かっていることもザラだが、「天馬と同じ建物にいると思うだけで、オフィスにいる時より俄然やる気が出るわ」と、休憩時間には愛らしい笑顔を見せてくれる。
広報部部長として辣腕を振るう愛里もまた、リモートで部下たちの指揮を執っていた。そんな彼女に、千代乃さんから「いい機会だから、『JISS(日本国総合戦略研究所)』に移りなさい」と直々のヘッドハンティングがあった。
愛里は少し考えた後、国家の裏側の情報も扱う「JISS」へ「出向」という体裁で籍を移すことを決意した。
とはいえ、現在の広報部長としての引き継ぎには数ヶ月かかりそうだ。愛里は次の部長候補である女性の課長クラスの部下に、画面越しに熱心に仕事を教え込みながら、自身の業務を完璧にこなしている。
東相大学病院の看護師である朱里は、現場を完全に離れて休むことになった。看護の仕事ばかりはリモートというわけにいかず、新座駐屯地から出られない以上は致し方ない。
しかし、そのまま大人しくしている朱里ではなかった。
なんと彼女は、その並外れた実績を買われ、「国防軍体育隊」のレスリング選手たちの臨時コーチに就任したのだ。
朱里は元オリンピックの金メダリストであり、この世界における知名度は抜群だ。そんな「レジェンド」から直接指導を受けられるとあって、体育隊のレスリング選手たちは色めき立った。
朱里の指導は理論的で非常に分かりやすく、さらに僕が実践している最新のフィジカルトレーニングのメソッドもメニューに取り入れたため、「驚くほど身体の動きが変わる」と、こちらの評判も上々だった。
東相大学陸上長距離・駅伝部監督のクリスは、僕と一緒にリモートで長距離・駅伝部の指導を行いつつ、グラウンドでは体育隊の長距離選手たちの指導に当たっている。
さらに彼女は、データマニアとしての本領を発揮していた。体育隊の選手たちに協力してもらい、自身のスポーツ科学の研究のための貴重な生体サンプルや走行データをこれ幸いと記録し、論文の執筆に勤しんでいる。
そして、第六夫人の千代乃はというと……。
彼女だけは「幽閉」とは無縁だった。
連日、物々しい数の護衛を従えて駐屯地を堂々と出入りし、国内外の政府高官や重鎮たちと密会を重ねては、水面下で何やら暗躍しているようだった。里美さんを連れて優雅に帰ってきた彼女の様子を見るに、国を揺るがす大掃除の「次の手」を打っているのだろう。これについては、僕としては詳しく聞かない方が身のためであり、精神衛生上も良さそうだった。
婚約者の鳴野蘭は、僕が指導する体育隊の長距離選手たちの練習に完全に混ざっていた。実質的に国内トップクラスの実力を持つ女性アスリートたちと、ハイレベルな環境で、何とか食らいついていこうと、トレーニングを積んでいる。
「テンさんのメニュー、すっごくキツいけど楽しい!」
トラックを走る蘭の表情は、これまでにないほど充実した輝きに満ちていた。
不自由な避難生活の中で、僕たち家族が一番大切にしているのが食事の時間だ。
朝、昼、夕の三食は、全員で隊員食堂に集まってテーブルを囲む。なお、忙しく飛び回っている千代乃だけは、夕食の時間にだけ滑り込んでくるのがお決まりだった。
一般の隊員たちが利用する広大な食堂に、僕たちのような大所帯の家族――それも、時の人である僕と、それぞれの分野の第一線で活躍する美女ばかりの妻たちが並べば、当然のごとく周囲の注目を一身に集めることになる。
最初は好奇や羨望の混じった視線を感じていたが、僕たちが他愛のない話で笑い合い、お互いを気遣いながら食事をする姿は、隊員たちの目に「とても温かみのある理想の家族」として映ったようだ。既婚の女性隊員や、これから家庭を持ちたいと願う若い女性隊員たちからは、いつしか温かい、そしてちょっぴり羨ましそうな眼差しを向けられるようになっていた。
檻の中のような駐屯地生活。
けれど、妻たちも婚約者も、ただ守られるだけの存在ではなかった。それぞれが知恵を絞り、自分の役割を見つけ、この奇妙な新座駐屯地での生活を心から楽しんでいる。
みんなの逞しさと笑顔に、僕は改めて深く感謝すると同時に、彼女たちを守るためにも、もっと強くならなければと心の内で誓うのだった。
次回の更新は、金曜日を予定しております。
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今後ともお付合いのほど、よろしくお願いいたします。




