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あべこべ世界でのランナー ~マラソン日本記録保持者が女性過多で貞操観念も逆転した世界線に転移し無双する~  作者: アサノ霞
第7章 実績 編

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第60話 今後の動きと鳴野……

 千代乃が手配した黒塗りのワゴン車には会場を一足早く出た里美さんが既に乗車しており、僕らは乗り込んだ。

会場の喧騒を静かに離れ、自宅方面へと向かって走り出す。


 車内には、僕を中心にして向かい合うように座る形で、千代乃、朱里、北川さん、そして真由美さんと里美さんが同乗している。外では、千代乃が手配した別車両に乗る護衛たちがぴたりと追走していた。 


 帰りの車内は、行きとはまるで違う空気に包まれていた。


 しばらく誰も口を開かなかったが――やがて、朱里がぽつりと呟いた。


「……あの人、すごかったね」


「牧野大尉⋯⋯か」


僕が応じると、車内の視線が自然と集まる。

今度は北川さんが静かに口を開いた。


「ええ……彼女は“鋭い”という表現では足りないかもしれませんね。間違いなく“本物”です」


「やっぱりそうなんだ」


僕が言うと、北川さんはわずかに視線を落とし、記憶を辿るように語り始めた。


「牧野大尉は、4年前の大規模汚職事件を暴いた中心人物です」


「……汚職事件?」


僕が目を丸くすると、北川さんは淡々と続けた。


「陸軍、国防省、さらには国会議員にまで及ぶ広範囲な不正でした。発端は、次期主力兵器の開発における『技術要求の意図的な引き下げ』です。あえて性能を落とした仕様を通すことで、特定企業に利益を誘導していたんです」


「そんなことのために、性能を……?」


 思わず絶句する僕に、北川さんはタブレットも見ず、流れるように事実を突きつけていく。


「ええ。そしてその見返りとして行われていたのが、企業側による『性接待』です。男性社員を使い、陸軍内部から官僚、政治家に至るまで同様の行為が強要されていました」


「性接待って……」


「信じがたいことに、陸軍の若い男性隊員までもがその犠牲になっていました。政府の承認を得るという目的のためだけに、上層部の命令で国会議員への性接待に駆り出されたのです」


僕は思わず拳を握った。この世界の「歪み」を、改めて突きつけられた気がした。


「当時中尉だった彼女は、有志組織『若駒会』を通じて現場の隊員から徹底的な聞き取りを行いました。技術データの不自然さを足がかりに、兵士たちの証言、そして資金の流れをすべて突き合わせ、巨大な不正の構造を炙り出したんです」


北川さんの声には、隠しきれない敬意が混じっていた。


「……すごいな」


僕は、心からそう思った。


「でも……そんなことしたら……」


僕は不安そうに言う。


「当然、圧力も凄まじいものでしたし、命も狙われました」


北川さんの視線が、隣に座る真由美さんへと向く。


「そのとき彼女を守り、後ろ盾となって下さったのが――藤野大将です」


その先を真由美さんが引き取った。


「当然、彼女は命を狙われました。何度も、ね」


 真由美さんの声は低く、重いものだった。車内の空気が一気に冷える。

彼女は腕を組んだまま、静かに呟いた。


「ただ……わたしは父が愛した陸軍を……不正の温床にした彼女らを許せなかっただけ、それに……あの子は……父を尊敬していたし、正しいことをしていた」


真由美さんが更に話しを続ける。


「結果として、我が陸軍の少将クラスを含む幹部十数名が逮捕された。国防省官僚、国会議員もね。企業側も多数の逮捕者が出ました」


「……とんでもないスキャンダルですね!」


僕が呟くと、北川さんは小さく息を吐き補足する。


「ええ。あれ以来、彼女は“目的のためなら手段を選ばない女”として知られています。それと―—沖グループ、鈴木グループ、関西州の主要企業は一切関与していないので、安心して下さい」


僕はゆっくり頷くと同時に、僕の周りが不正に関与していないことに安堵すると同時に、彼女にあの鋭さがあるのも納得した。


 そこで朱里がぽつりと呟く。


「じゃあ……その牧野大尉って、正義の人なんじゃない?」


 すると千代乃が、ゆっくりと微笑んだ。


「わたしは嫌いじゃないわよ?」


「え?」


僕が振り向くと、千代乃は肩をすくめる。


「若駒会に所属していることを隠さないし、自分の立場も覚悟も全部さらしてる。ああいう人、嫌いになれないわ」


「……確かに」


僕も頷く。

あの真っ直ぐな視線には、嘘がなかった。


 北川さんが少しだけ表情を緩めた。


 そして北川さんが続ける。


「今回、彼女は天馬さんの“経歴”に違和感を覚えたのでしょう」


僕は小さく息を吐く。


「やっぱり、そこか……」


「ええ。でも――少し妙なんです」


その言葉に、車内の空気が再び張り詰める。


「本来、天馬さんのデータは“特別機密”のはず」


「特別機密?」


朱里が聞き返す。

北川さんは指を折りながら説明する。


「国家機密の最上位です。秘、極秘、機密……そして特別機密があります。天馬さん、大舘さん(ヨッシー)、千代乃さんと愛里さん――この辺りは全部そこに分類されます。他には、人気のある男性芸能人や著名人とかも。本来、そのデータにアクセスしようとすると“最高機密”と画面に表示され、詳細は見られないようになってます」


「そうなんですか!」


 僕は驚愕した。確かに、僕とヨッシーは稀人まれびとだ。経歴が特殊になるのも頷ける。


北川さんが言葉を継いだ。


「本来、天馬さんのデータにアクセスしようとすれば、画面には『最高機密』と表示され、詳細は伏せられるはずでした」


「じゃあ、どうして今は……?」


朱里の問いに、千代乃が静かに答える。


「牧野大尉の言動から推測するに……誰かが天馬さんのデータを、意図的に一般男性のレベルまで『引き下げた』可能性があるわね」


「「…………!!」」


僕と朱里は絶句し、室内の空気が一気に張り詰めた。今度は本当に、意味が分からない。

北川さんがさらに補足する。


「先月までは間違いなく『特別機密』に分類されていたことを、この目で確認しています。ところが現在は、最高機密の表示すら出ないようです。後ほど再調査しますが、一般男性と同等の扱いに格下げされているにもかかわらず、正当な権限でのアクセスさえ弾かれる……。そんなことは、本来あり得ません」


「……なんだ、それは」


「異常事態です。一般データなら見られるはずですし、機密ならその旨が表示されるはず。そのどちらでもなく『存在そのものが拒絶されている』……明らかに不可解です」


北川さんは即答し、さらに声を潜めて続けた。


「今回の件、大尉は別の疑いを持っているのかもしれません。男性保護庁、あるいは政府内部で何らかの不正が行われているのではないかと」


千代乃が補足する。


「特定のパスワード、あるいは『裏口』が存在する可能性があるということね」


北川さんが応じる。


「つまり……内部犯の可能性が高い、と!」


僕は背もたれに体を預け、息を吐いた。


「誰が、何の目的でそんなことを……」


「それが問題なのよ」


千代乃は静かに言葉を継ぐ。


「そんな真似ができる人間は限られてるわ。閣僚クラス、男性保護庁、情報省、あるいは国防省の上層部……。後で総理に探りを入れてみる。……もしかすると、男性の海外への不正取引が絡んでいるのかしら?」


「……」


僕は言葉を失う。


「そして牧野大尉は、それに“気づいた”」


 北川さんが続ける。


「だから、あの場であえて踏み込んできた可能性があります」


「でも……あのやり方は」


 朱里が戸惑う。


 千代乃が小さく笑った。


「会場に“内通者”がいる前提で動いたんでしょうね」


「……!」


「だからわざと強引に接触して、“ただの興味”に見せた」


 なるほど、と僕は納得する。


「じゃあ……あの人たち、危ないんじゃ」


 朱里の言葉に、千代乃はあっさり頷いた。


「ええ。だからもう手は打ってあるわ。監視も兼ねて遠巻きに護衛を付けてるから」


「……は?」


 僕は驚く、さらっと言う内容じゃない。


「千代乃……」


「大丈夫よ。バレないようにやってるから」


 千代乃はにっこりと微笑む。


 完全に頼もしすぎる。


 しばらくして――話題は自然と、さっきの“僕がした件”へと戻る。


 真由美さんが僕を見た。


「それにしても……大胆なことをしましたね」


「……あれは」


僕は言い訳を探すが、見つからない。

朱里は顔を真っ赤にしている。


「ダーリン……あれはちょっと……その……」


千代乃が吹き出した。


「あれは正解よ」


「え?」


僕は千代乃を見る。


「少なくとも、“主導権”は完全にこっちに来たわ」


「……そうなのか?」


「ええ。それに――」


千代乃がニヤリと笑う。


「あの子、完全に惚れたわね。間違いないわ」


断言された。


僕は思わず天井を見上げる。


「……マジか」


車内に小さな笑いが広がる中、千代乃が静かに呟いた。


「“敵を知り、己を知れば百戦危うからず”……か」


僕は少しだけ驚く。


「さっきの?」


「ええ」


千代乃の目が、どこか遠くを見る。


「あの人も……よく言ってた」


「……父さんが?」


千代乃はゆっくりと頷いた。


「欧州戦線の作戦会議でね。何度も何度も」


「……」


胸の奥が、少しだけ熱くなる。

千代乃は目に涙を浮かべながら、でも優しく笑った。


「ほんと……似てるわね」


僕は何も言えなかった。


 しばらく千代乃が僕を見つめていたが、直ぐに表情を変え、いつもの調子で言った。


「ま、全部任せなさい」


「……いいのか?」


「当然でしょ?」


いたずらっぽく笑う。


「あなたは走ることだけ考えてればいいの」


その言葉に、僕は小さく笑った。


「……分かった」


 車は静かに街を走り続ける。それぞれの思惑を乗せながら――ゆっくりと、帰路へと向かっていった。


◆◆◆◆◆◆


 千代乃宅へ戻るころには、外はすっかり夕暮れに染まっていた。

 

 立川ハーフマラソンで世界記録を更新した熱気はまだ身体の奥に残っている。だが、それ以上に――今日は別の意味で気が抜けなかった。


 千代乃宅マンション前で里美さんと真由美さんが立ち止まる。


「それじゃあ、私たちはここで失礼するわ」


 里美さんが穏やかに微笑み、真由美さんも腕を組みながら僕を見る。


「天馬さん。今日は本当に大したものでした。だが……今夜の本番はこれからかもしれませんね。頑張って下さい」


 意味深な言葉を残し、二人は楽しそうに笑って車に乗り込んだ。


「……やめてくださいよ、真由美さん」


 僕が苦笑すると、真由美さんは楽しそうに笑って帰っていった。


 リビングへ入ると、すでに千代乃がソファへ腰掛け、北川さんと朱里も席についていた。

 大きなテーブルの上には飲み物と軽食が並べられている。


「さて――」


 千代乃が指を組み、にやりと笑った。


「牧野大尉の件も大事だけど、先に片づけるべき案件があるわね?」


「……鳴野のこと、だよね」


「その通り~♪」


朱里はジトっとした目で僕を見る。


「ダーリン、ちゃんと責任とってね」


「……ハイ」


頭を抱えたくなる。


 僕としては、スパートをかけるために邪魔になったサングラスを、近くにいた鳴野へ預けただけだ。

だがこの世界では、それは違う意味を持つらしい。


 千代乃が人差し指を立てる。


「この世界でね、女性から愛の告白を受けた男性が、自分の私物を手渡す行為は――正式な受諾の意思表示なの」


「重すぎません?」


「重いのよ。男性の意思表示は、それだけ価値があるの」


僕は天井を見上げた。


「でも……コーチと選手ですよ? しかも鳴野は大学生だ。立場的にも、倫理的にもどうなんですか?」


僕は真面目な声で言った。

すると北川さんが、妙に真剣な顔で言う。


「問題ありません」


「即答?」


更に北川さんは詳しく説明する。


「この世界では、男性教師と教え子の婚姻は珍しくありません。むしろ男性教員がいる学校では、保護者が娘を積極的に勧める例もあります」


「えぇ……」


僕は驚きと共に絶句する。


「特に男性指導者は希少です。天馬さんのような若く優秀な男性コーチとなれば、前例がないレベルです」


北川さんは、なぜか少し興奮気味だった。そんな彼女に僕は冗談交じりに言葉を返す。


「北川さん、ラノベの読みすぎじゃないですか?」


「失礼です」


真顔で返された。


 しばらくして、インターホンが鳴る。

妻たちが到着したのだ。奈月、美月、愛理の三人が揃って入ってくる。

 皆、笑顔ではある。だが――目が笑っていない。


(怖い)


 いつもなら真っ先に愛理が飛びついてくるのだが、今日は、それがない。

代わりに美月が腕を組み、冷えた視線で僕を見る。


「……キスしたんだって?」


「……!」


いきなり核心だったので、僕は何も言い返せず、しどろもどろになってしまう。


「いや、あれは、その……」


「牧野大尉に」


「……はい」


 僕は観念し、立川での一件を包み隠さず説明した。千代乃も「作戦上必要だったのよ~」とフォローしてくれる。


 話を聞き終えた愛理が、ふうと息を吐く。


「別に嫉妬してるわけじゃないの」


「……うん」


「でもね、天馬さん。もっと自分を大事にしてほしいの」


奈月も静かに頷く。


「あなたが思っている以上に、あなたの行動一つ一つには意味があるのよ」


美月が追撃する。


「しかも相手は、あの牧野大尉でしょ? 強引にキスされた側からすれば、完全に“好意あり”って解釈するわ」


北川さんまで頷いた。


「その通りです」


「北川さんまで!?」


北川さんは追撃する。


「牧野大尉は、おそらく相当意識しています」


僕は頭を抱えた。


「次に会ったらどうするの?」


奈月が優しく、しかし逃げ道のない声で聞く。


「どうするって……」


助けを求めて千代乃を見るが……千代乃はお茶をすすりながら、完全に知らん顔をしていた。


(裏切ったな……)


 僕は内心で絶望する。だが、冷静に考えると分からなくもない。元の世界線で、もし美女に突然キスされたら――。

 それは“好意がある”と思ってしまうだろう。


(……やらかしたか!)


 再びインターホンが鳴る。


 今度はクリスと、鳴野だった。


 扉が開き、鳴野が入ってきた瞬間――僕は息を呑む。

彼女は顔を真っ赤に染め、蕩けるような瞳でこちらを見つめている。両手には、僕のサングラスが大事そうに抱えられていた。


「て、天馬コーチ……」


 その声だけで胸がざわつく。


 可愛い! そして色っぽい。


(いや、落ち着け)


 全員が席につく。


 千代乃とクリスが鳴野を挟むように座り、僕の正面に鳴野、妻たちも周囲を囲む。

鳴野はぼうっとしているが、意識ははっきりしているようだった。


 千代乃が口火を切る。


「蘭ちゃんの愛の告白を、天馬さんは受け入れた。なら――婚姻するしかないわね」


「……!」


 僕は言葉を失った。

ここで「勘違いでした」は通らないし、彼女を深く傷つけてしまう。


 だが同時に、鳴野には競技人生がある。箱根駅伝を目指している彼女の未来を、軽率に縛っていいのか。


「少し、相談してもいいですか」


 僕は千代乃と北川さんを別室へ連れていき、事情を話した。


「……僕は責任を取るつもりです」


「うんうん」


千代乃は笑顔で頷く。僕は話しを続ける。


「でも、彼女はまだ学生だ。夢もある。中途半端にしたくない」


すると二人は顔を見合わせてから、千代乃があっさり言った。


「じゃあ、婚約登録届けね」


「……何ですか、それ?」


 北川さんが説明する。


「学生など、まだ収入のない女性と男性が将来の婚姻を約束する制度です。卒業し、自立するまで待つ形になります」


「そんな制度が……」


北川さんは補足する。


「ただし、男性側が破棄した場合は重い罰則があります」


「詳細は聞かないでおきます」


僕は本能的にそう思った。


「それと……部には内密にできませんか?」


僕がそう尋ねると、北川さんが首をかしげた。


「なぜです?」


「他の部員まで婚約申し込みしてきたら困るので……」


「ああ、それは大丈夫です。婚約登録届けは、一人のみです」


北川さんは淡々と答える。


「制度設計が妙に現実的だな……」


僕はつい本心を呟いてしまう。


 さらに鳴野の家庭事情も聞いた。


 母・鳴野 さきさんは情報省官僚で第10夫人。父親は都庁職員。家庭環境は複雑で、父親との交流もほとんどないらしい。

他に姉妹はなく、一人っ子である。


 その話を聞き、僕は腹を決めた。


 リビングへ戻る。


 皆の視線が集まる中、僕は鳴野の前へ立った。


「鳴野」


「は、はいっ!」


「僕は……君の気持ちを軽く受け取ったわけじゃない」


彼女の瞳が揺れる。


「でも今すぐ婚姻ではなく、君には競技を続けてほしい。夢を諦めてほしくない」


「……」


「だから――卒業するまで、婚約という形で待ってほしい」


 一瞬、時間が止まった。


 そして鳴野は数十秒ほど固まり――次の瞬間。


「う、うわあああああああっ!」


 大声で泣き出した。


「ほんと……ですか……っ、わたし……っ」


 僕は彼女を抱きしめた。


「本当だよ」


 細い肩が震えていた。その震えが少しずつ落ち着いていく。


 今日一日で、世界記録を出し、牧野大尉にキスをし、鳴野との婚約まで決めた。


 あまりにも濃すぎる一日だった。


 それでも――。


(逃げずに向き合おう)


 僕は鳴野を抱きしめながら、静かにそう誓った。


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